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政治に仁義なく、司法に正義なく、行政に規律なし…崩れ去った国、法を犯す企業

 上に書いたタイトルが現在のわが国を表現するのに最も相応しいと思う。
現在の日常で起きている様々な出来事はすべて上の現実で容易に説明できる。
 弱者は善意によってのみ救われると言う、本来国家が持つべき機能が欠落し、これを変えられることは不可能な状況である。
 かつてギリシャのアテネ民主主義が実践されたが、直に『衆庽政治』(ポピュリズム)が台頭して滅び行くことになった。
 知恵の貧しい人達(言い換えれば馬鹿)が国の指導者になり、票目当ての政策がもっぱら行われるようになったからである。
 歴史は繰り返すとよく言われるが、まさに現代を見ていると、アテネで歩んだ失敗の道を着実に歩んでいる。
 これに気付いたローマでは、共和制を取った。指導者は国難にある時のみ選ばれ、任期は6か月と限られていた。ローマはその後、ローマ帝国となって強大な国と長い時代繁栄を作って行った。
 ここで思う事は、もし我々が歴史を学んでいれば現在のわが国のような頽廃と堕落の時代をここまで放置することは無かったであろう。
 人間は生れ落ちる時は、縄文時代やそれ以前のホモサピエンスと同じ生物であるので、基本的には文化的なものは全く相続していない。
 言い換えれば、同じような失敗を繰り返すのは、ある意味、十分に起こり得ることなである。同じ状態から出発するからである。
 数十万年前にホモサピエンスが登場して世界に広まって行った頃と、人間の本質は同じであるので過去を知れば犯す過ちも繰り返されているだけである。見えようとすれば容易に分かる事なのである。
 従って、生れ落ちて使い方だけしか知らない道具で過ごす現代の日本人は、昔に工夫して物を作り、文化を興してきた人達に比べて遥かに知的レベルが低くなっている。
 大学で学んで来たことなど、スマフォで検索すれば容易に分かる事なので入試を突破することしか考えて来ていない日本の若者の脳は縄文人より劣ることは間違いない事実である。これは工夫したり、その為に考えるという脳の本来持つ機能をほとんど使わずに(便利と言って)バカチョンツールばかり使っているからである。ネズミもどのスイッチを押せばエサがあるかを学習するが、現代の若者もせいぜいこの程度と変わらないからである。
 しかし、明日から違う道を歩むという選択肢はどの時点でも選択可能である。
 すでに述べたように、現代人は
       『楽あれば苦あり』
の道を歩んでいる。まさに明治に導入した
       『西洋文化の完全敗北』
なのである。
 楽をしていると、その後大変な苦しみに会うのは間違いないのである。
 容易に杖を使わずに苦しくとも自分の二本足で歩く、これこそその後に自ら健康に歩いて行くための考え方である。
 西洋医学の医者は、
  『あんた、杖つくと楽になるで』
と直ぐに言う。江戸時代の映画を見ていても、筆者が知る限り、杖をついている人は二人きりである。
 1.水戸黄門
 2.座頭市
である。しかし実はこの二人とも武器として持っているのである(山伏も同じ)。農村を映しても、腰は曲がっていても十分に農作業もしているし、筋肉の鍛えようが違い、頭もしっかりとしているのである。
 苦しくても自分の足で歩いているとシッカリと歩けるようになるのである。
 『苦あれば楽あり』
なのである。
椅子に座ると、楽…一時は事実なのであるが、
 『長く座っているとエコノミー症候群
になってしまうのである。なにも飛行機に長時間座っている事だけでは無いのである。本質は同じ…長く座っていること。
 この椅子に座る文化も西洋から持ち込まれたものである。
 また、江戸時代まで人間が歩くときは、
 『ナンバ歩き
と言って、手と脚が揃っていたものである。この歩き方は、明治時代に軍事教練として西洋から持ち込まれて手と脚を逆に動かすようになったのである。現代の歩き方は、体の腰辺りを捻(ひね)るために便秘などの症状を誘発しているのである。
 ほんの、150年前に『近代的』と言うだけで導入された『西洋文化』が日本人に多大の弊害を生んでいることを認識すべきであろう。
 信じるだけでは無く、時にはこれをよく考えてみることも自分たちの将来には必要なことである。


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