26 ―――ふと我に返った。 そういえば、この指輪、確か茂木さんから貰ったといっていた。 ラボに戻れば、ロッカーの中になにか、向こうの世界とコンタクトを取るヒントがかくされているかもしれない、と思った。 何で今まで気づかなかったんだろう。 仮野は地下鉄の駅まで駆け出した。 入真知に会いたい―――その一心だけだった。 駆け出したその時だった。 さっきまで座り込んでいたカップルが立ち上がって、お互いを向いて、泣き腫らしていた。 仮野は人混み越しから、じっと様子を伺
25 「そろそろお迎えだから、あたし行くけんね。さらばだ!童貞!」 仮野は懶く、ああと言ったきりだった。 未だに、眼の前の女霊が死んでいるとは認識できなかったし、圧倒的な存在感から、眼の前から消える姿を想像できなかった。 ああ、それと―――といいかけて、振り向いた。 「何やるんだかは知らないけど、新しい方に行って無理だったら、また戻りな」 外の噴水がパッと水しぶきを上げた。 「これはお世辞でもなんでもないけど―――多分お前才能あるから。」 その噴水の傍らにカッ
24 「あたしの事、恨んでるだろ?」 六本木のオープンカフェは、店内も窓ガラスの外も閑散としていた。 行き交う人は、どこか無機質だった。 いや、そんなことは、と仮野は言葉を濁した。 それに、よくよく考えたら、あんなのは愛情じゃない、と小声で付け足した。 入真知は、カップを持ちながら微笑した。 都会の人間は、宙にカップが浮いていても、プラズマの実験か何かだと思っているのだろう。事さらに騒ぎ立てる人間は居なかった。 隣の席に、背の高い外人が座った。パンパンになった
23 かなり気温が落ちていた。上着を持ってこなかったことを後悔した。 夕暮れ時で、商店街が活気を帯びていた。 丸文字で150円と書かれた焼き鳥屋のネオンが明滅する。 隣に住む中年女性が、怪訝そうに、エレベータの方を、首を長くして見ていた。 目が合うと、 「大丈夫かしら、さっきの子―――」 といって、部屋に入っていった。 「気にするな―――急げ」 入真知はエレベータホールでボタンを押した。 誰が乗っていったのか―――最上階まで行っていたらしい。 降りてくる
22 オレンジと藍のグラデーションをバックに、お寺の鐘はくっきりとしたシルエットを浮かび上がらせていた。 手に持っていたアイスも、たまたま、柑橘とブルーベリーのミックスだった。 食べるには、あまりにも、季節も時間もめちゃくちゃだった。 でも、寒さ等、もう感じない。 血みどろの足を、屋上のフェンスの上からブランブランさせていた。 5階と言っても、結構な高さがある。俯瞰するにはちょうどいい。 寄り集まって住む、人々のエネルギー。 みんな、楽しそうだな。 どうして
21 どこから歩いてきたのか―――裸足で足が血まみれになっていた。 髪がざんばらんになって、表情を覆っている。 ピタピット足音を立てて、玄関を入ってきた。 小声で何か言っているようだが、聞き取れない。 「来ないで!」 入真知が仮野の前に立ちはだかった。 姫容李は目を見開いた。 「邪魔だ!」 叫んで、手で払い除けた。 入真知は床に跳ね飛ばされて、動かなくなった。 仮野はいよいよ動けなくなった。近づく度に、金縛りがひどくなる。 この指輪をしていれば、助かる
20 ゆっくり振り返ると、そこには姫容李は居なかった。 髪型も、服装も、あの頃のままだった。 「殺されるところでした―――変えていただいて有難う御座います。」 相手は土足のまま、部屋に上がっていた。 顔面が蒼白で、丸い目をこちらにロックしている。 「やっぱり思ったとおりでした―――友達の男友達、全員失踪してました。」 眼の前の相手は、一方的に事象だけを伝えてきた。 「あの時付き合ってた私の相手も、行方不明に―――」 やはり、あのメールは本人からではなかったと
19 扉の向こうに何か良からぬものがいる気がした。 仮野は、玄関の前でしばらく気配を消していた。 入真知は一体どこに行ったのだろう。 今朝まで威勢よく居座っていたくせに。 頼めば、扉の向こうに誰がいるか、見てこれるのに――― 「あの―――すいません、居ますか?」 聞いたことのある声だったが、かなり久しぶりに聞いた声だった。 誰の声か識別するまでに時間がかかった。 「助けて下さい――開けて下さい」 向こう側からドアを叩き始めた。 間違いなかった―――あの時
18 慌てて帰ってきた。 警察沙汰になることもそうだったが、あの笑顔はどうにも見ていられない。 どす黒い放射体を帯びている。 彼女の中の、どの時点で、あんなものを発するようになったのか。 こないだコルクボードに貼り付けてあった写真も、謎のままだ。 冷蔵庫を開けて、作り置きのお茶を取り出した。 隣にいたのは、茂木だった。 射抜くような目線で、真顔で、カメラの方を向いていた。 壁にかかった鳩時計が時を刻んでいく。 外から子供の声が聞こえた。 自分のやり方で、
17 朝、駐車場に着くと、姫容李さんの車が停まっていた。 流線型の白いエコカー。 遅刻しても、何も言わずに入ってくるから、この時間に来ている事に違和感を覚えた。 中庭の駐車場から、廃屋の研究棟を見上げる。 半開きになった窓から、蛍光灯が明滅している。 出勤すれば、元のヒエラルキーに戻る。 これからの12時間を考えて、気が滅入った。 錆びついた玄関扉を解錠する。 静まり返った廊下にギッと響く。 天井の非常口灯が、不自然な緑を放つ。 すぐとなりに、紙札が吊り
16 サーバールームだった。 暗がりに見数のオレンジと緑のランプが点滅している。 冷却しているのだろう。 首筋がヒヤッとした。 姫容李さんは、一体ここで何をしているんだろう。 「さっきの番号の機械、早く探せ。」 存外すぐに見つかった。 簡易型のラックに、ブレードが所狭しと並んでいる。 PCを接続する。 「あった。これだ!」 入真知は画面にあったテキストファイルを指さした。 何が記録されているのか、皆目検討がつかない。 「一番上のアイコン開け」 見覚
15 商店街の並びにあった。 五階建ての、縦に長い建物が目を引いた。 表向きは趣向を凝らしているように見える。 夜になっても、人通りは絶えない。 姫容李のプライドの高さからは少しそぐわない気がした。 こっちっぽい―――と行って、入真知はエントランスに入った。 ダウンライトが一つ、くすんだタイルを照らしている。 掲示板に、指名手配犯の精悍なポスターが貼ってある。 オレンジの光がゆっくりとカウントダウンして、鉄の古い扉が開いた。 正面に、何故か姿見が貼られてい
14 狭い室内を埋め尽くす、たくさんの植物。 真紅の薔薇−−−ベールを纏った、赤すぎる薔薇。 外はざあざあ降り。 花なんて、初めて買いに来た。 スポーツ刈りで、サイドが飛び出た髪型。 昨日ポテトチップスをこぼして汚れたジーンズ。 そんな中学生の自分にも、花屋のおばさんは優しかった。 包み込むような笑顔で、薔薇を包んでくれた。 渡された瞬間、外の灰色と真紅のコントラストで、目眩がした。 仄かにローズの甘い香りがした。 いつものあの人の髪の香り。 これを渡
13 暗がりの中、中央分離帯に佇んで、誰かと話しているらしい。 俯角から撮影されている映像。 スマホの画面を通じて、手に取るように認識できる。 「よっこらせっと−−−」 茂木が側で、どかっと腰をおろして、ため息を着く。 「最近掛け声かけないと座れなくなっちった。」 室内の高級感と全くそぐわなかった。 「柱田さんからマンション買ってもらったって、本当?−−−凄えじゃん。」 白のホットパンツから、すらっと伸びた脚に、茂木が触れようとした瞬間、姫容李は音もなく立ち
12 「私、ここで死んだんだ−−−」 入真知は、特に感情を込めることなく、凛とした声が、轟音の高架下に響く。 「フロントガラスに頭ぶつけたことあります?」 緑がかった信号が明滅する。 「めっちゃ痛いんよ−−−衝撃で耳も聞こえなくなるし。」 レーザービームが行き交う。 「柱田さんも、本気で突っ込んでくるからさ−−−バスと軽じゃ敵わないよね、流石に。」 夜勤のサラリーマンが、リュックを背負って、自分らの横を通過した。 銀縁の眼鏡から、冷ややかな視線を投げかけてい
11 「基本的に、承認欲求の強い人間手のは、自分を称賛しない人間を全員排除してくんよ−−−−」 愛猫を殺された割に、論理は明晰だった。 「私が柱田さん獲ったから、やっかんでやったんだろうけどさ−−−」 丸い目はまっすぐ前を見ながら、仮野の横を平行に移動していく。 霊から愚痴を聞かされた事は初めてなので、多少の戸惑いを感じていたが、懸命に喋る彼女を見て、仮野は親近感すら感じていた。 「どうしたら、あんな思考回路になるんかね?」 言い切った後で、しばらく沈黙が続い