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コミュニティの形は無限大、自然のように持っている可能性も無限大の中で。

おはこんにちこんばんは。みすずです。
どうしても書きたい気持ち・ことがあったため、走り書きをしている。
様々ないい刺激が複合的に混ざりあった結果。
noteを更新していなかった間、お前は何していたんだという気持ちと共に読んでいただきたいと思う。しばらくは4月からここまでを振り返っている。


●社会人1年目、リーダーの重みとコミュニティ運営

株式会社小高ワーカーズベース(以下OWB)に入社して4ヶ月目に、一気に転機が訪れ、社員に上がることになったのと、担当していた部署の責任者を務めることになった。
「3月末からここまでかなり手探りで回していたのに、ここからリーダーになるのか」という一抹の不安はありつつ、支えてもらいながらも自分が先頭に立つことに対して、楽しみなところもあった。私の部署というのが、原町区にあるマチ・ヒト・シゴトの結び場NARUというコワーキングスペースに値する。ひとつの事業全体を管理しているのは、小高パイオニアヴィレッジでいう福ちゃんと変わらんやん、とか思っていた。が、変わらないならまずは福ちゃんを出来る範囲でマネしていこうという気持ちになり、務め始めた。

福ちゃんと言う見本がいて標識があって。その傍ら同級生の動きも気になり。
結果的に、10月中旬までは身を固めるという意味でも「何者かになりたい、なってみせたい」という思いが強かった。

だが、どれだけ福ちゃんのことを追いかけて学んでいても、福ちゃんにはなれない。
彼の尊大さや性格面というのもあったが、コミュマネ1人1人強みと弱みがあるということ。それが分かったのが、弊社で受け入れたリサーチインターンの事務局をやった夏。
福ちゃんの下で、私はインターン生の生活サポートを中心に行っていた。私は生活面でのメンターサポートは出来たが、リサーチ内容に関しては何も触れられなかった。進捗がわかる会議や、一人ひとりの生活メンタリング時間に進捗まではあえて聞かなかったことが一つではあるが、聞いたところで私は何もできないと思っていたのもあった。

その一方で本インターンのいわばプロジェクトマネージャーにいた福ちゃんはインターン関係の業務でいろんな人・ことをさばきながら、リサーチ内容面の壁打ちや地域との接続点を一緒に探していくことを長い時間担当していた。

もちろん経験値や力量は違えど、本事業の責任者として、かつOPVのコミュニティマネージャーとして繋がりを生み出すことや、常に接続点を持っていることは彼の4年と言う年月だけではなしえないものであり、もっている強みである、と同じ事務局として真近で見て思えたことだ。

また、私自身はインターン事務局が終わった後から、福ちゃんとさとのば大学地域事務局を共同で行うことになったりなど、コミュニティマネージャーの要素が求められる仕事が飛んできやすくなっていた。NARUでも同様に、事業責任者=コミュニティマネージャーのような、NARUの看板としてだんだん活動幅が広くなっていった。

責任者として、利用者の把握はもちろんではあるが、スタッフのハンドリングもする必要がある。いや、全社で年齢も経験も一番下な私が?と訳が分からない状況ではありながらも、毎日、的確なフィードバックを受けながらも、事業の幅を問わず、業務内容が幅広くなっていく。経験値が上がっていく傍ら、ただ経験値が上がっていくという事柄に満足できない自分がいた。

そこで、自分のやりたいことは何かなと考えた時に出てきたのが、イベントの企画などの、繋がりを作るうえで、ハコの盛り上げ・ヒトを呼ぶ種を創ることであった。

●やりたいこと、やれること、可能性もコミュニティも広げたファシカレ

コミュマネとして、人として。イベントの企画・運営や、何かの物事を先導することがやれること、そして改めてやりたいことなのだということに気付いたことから、前々から気になっていたRaise Your Flagというコミュニティに参加することにした。

過去の経験からも、会議やイベントの進行担当などを務めることが多かったが、これが的確だったのかといつも考えていた。このスキルもまた、大人を見てマネをして身に付けたあやふやな物だったから、これを機に何か一つ、確実なスキルを身に付けていきたいと思えた。
3ヶ月間でイベントのファシリテーターや会議進行、ワークショップの組み立て、実践などを通して、技術はもちろん、コミュニティの作り方・繋げ方を考えるというもの。

インプットよりもアウトプット重視であり、ワークショップ1人2回(ペア・ひとり実践)の実践の場はもちろん、仲間のワークショップも体験し、刺激になるところはところはどんどんもらっていくというスタイルで、参加する度にめきめきと視野と技術が身についていった感覚はあった。参加者層も学生から社会人(10年目とかもいた)までとても幅広く、職種や興味分野も違うものの、どの人とも対等に接しようがモットーのコミュニティで卒業してからも横の繋がりはどんどん広がっている。

ファシカレに参加したことで、大きく変わったことが一つある。
それは人前に立って話す自分に自信がついたことだ。コミュマネとしては人前に立つということが当たり前だと思うが、私はまだ半人前。人前に立つという経験が、特に小高に来てからはまったくなかったので、オンラインでも人前に立ち、ワークショップを通して諭すという行動が出来て嬉しかったのもあり。技術を磨き合っているみんなからのフィードバックでさらにやる気と自信をいただく。


最近では、ファシカレの卒業記念として、NARUで2週連続、自己内省系のワークショップを開催した。このワークショップで大学生1人の心を動かしたり、年齢層が高めなグループでは絆や繋がりが生まれたりなど、コミュマネと言うよりかはワークショップデザイナーとして、コミュマネのような仕事が出来た。

そこからは、ワークショップデザイナーとしてのお仕事も身近なところから少しずつ動くようになった。ゆくゆくは外だけではなく、OWB社内やイベントでの会議進行やモデレーターをやりたいなという願望はある。だが、そこに行きつくまでにも小さなことから場数を踏んでいきたいところだ。

11期B日程の卒業式

●現在地を再確認するきっかけになった広島遠征

同時進行で、10月中旬に広島県に研修にいった。福ちゃんがXでリツイートしていた、コワーキングマネージャー養成講座(以下コワーキングマネージャーをコワマネと略します)というものに興味を持っていたところ、小高パイオニアヴィレッジで得た施設利活用補助金で行けることになったので、行ってきた。私的には、この広島遠征が人生の大きな分岐点であると考えている。

興味から行動に落とし込めた理由として、現在地の再確認をする時間・内容に適していると思ったのが一つ。
それだけではなく、
”小高というコミュニティで、OWBにいる自分に満足してはいけない”という危機感があった。この危機感はいわば、怠惰な道を、人間として退化するのではないかという気持ち。
じゃあおまえはこの半年間、小高で何を価値として提供できていますか?と聞かれると、何も出来ていないので静かにすることしか出来ないが、こういわれたときに●●出来ていますとか私がいることで進んだこととかを話せるようになりたい、そのために原点を見つめ直す必要があると考えたのだ。

コワーキングマネージャー養成講座では、尾道市にあるONOMICHI SHAREの後藤 峻さんカフーツの伊藤富雄さんと共に学び、3日目には千光寺や向島、商店街の街歩きも行った。


そもそもコワーキングって何ぞや?とかコワーキングマネージャーってなに?といった疑問点。養成講座の受講を通して、コワマネとコミュニティマネージャーコミュマネの違いはそこまで落とし込めなかったとしても、コワーキングとコミュニティの守備範囲の違いや私の今の仕事はコワマネだったと言うことを再確認した。また、現在地とのいる意味も見つけられた。

簡単に違いをいえば、コミュマネはスペースの中にあるコミュニティに特化してお世話するのに対し、コワマネはコミュニティを含めた事業全体・スペースの環境等を全体的にお世話・統括する人である。事業責任者である私は問答無用でコワーキングマネージャーに値するのだが、包括関係も同時に生まれているので、コワマネとコミュマネをうまく使い分けることも出来る。

その辺も含め、コミュニティ運営やイベントの企画・集客の工夫や、ワーケーション、収益モデルなど、コワーキングスペースをモデルに一通り網羅できる内容である。
養成講座が気になる方は以下のリンクより。(笑)



私が本遠征でどうして分岐点になった、といえるのか。
今回、広島には10/17-10/21の4泊5日の日程で行ったのだが、尾道の前後で福山市を訪れた。1日目は福山市の鞆の浦に、4日目の夜には参加者のご縁あって福山駅から程近い、iti SETOUCHIという複合施設に行ってきた。そこで出会ったプレイヤーとの話を通してである。

●0→1を創るプレイヤー、ロールモデルの存在は当たり前ではない
まずは鞆の浦の話から

鞆の浦では、コミュニティ運営のパイオニアである、長田 涼さんにお会いした。そもそも長田さんを知ったのは、福ちゃんとの会話からである。コミュニティに関する話をよくしていたのだが、その時に頻発して「長田さん」という単語が出ていた。ものの、私は長田さんって誰だろう…?という感覚。そんな時にふとXでリツイートを見て、コミュニティに精通した人だと知った。そこからSNSを見ているうちにコミュニティに関して、私が悩んでいたところに対して的確な内容がツイートされていたりなど、会ったことはなかったけど、もしかして神様なのでは?と思い始めた。そのままXを中心に見ている内に、いつしかこの人すごい、コミュニティ運営の先駆者として尊敬するようになった。そして、そんな長田さんと一緒に仕事している福ちゃんまで凄いなと思うようにも。

今回、広島行くときに午後が余白なんだよね、と福ちゃんに相談した時には迷わず「長田さんに連絡してみれば?」と提案いただいたので、緊張しながらも連絡を入れてみた。結果的に快諾していただき、お忙しい中2時間程度取っていただけることに。
ありそろうの見学や鞆の浦を歩きながら、長田さん自身の思いを深く聞いた。

その中で、「鞆の浦は0→1を創るプレイヤーが圧倒的に不足している。余白がいくらあってもプレイヤーがいなければ進んでいかないんだよね」という一言が未だに強く残っている。というのも、小高にいた私は、0→1を作っている・作ってきたプレイヤーに囲まれていたから、この長田さんの発言の感覚が非常に鈍っていたのだ。

傍から見たら、プレイヤーがいない方が当たり前な環境であるのに。その衝撃と言うか、価値の見直しをした後に、私の中で「次のフィールドはここかもしれない」とピンと来た。0→1を創るプレイヤーになりたい気持ちはずっとあったが、小高ではない気がするというこの違和感。母数がそれなりにいるからか、比較されるようにもなる。比較されておしりを叩いてくれるのはすごくありがたいのだが、やりたいことを小高で実現というのは私の中で考えていなかったり。
”内容は違えど、いっぱいいる中でやるよりもいないところで展開した方が怖さはあるかもしれないが、価値は大きそう。”というワクワク感を覚え、鞆の浦を離れた。

余談だが、長田さんにお会いする前に声をかけていただいたおっちゃんも素敵だった。
長田さんに会うまで少し時間があると話したら、お茶を出してくれて、そのあと少しばかり近くを歩いて案内してくれた。何かの縁なのか、前日に小高の関係者がそのおっちゃんの周辺を通っていたらしい。その話で盛り上がったのもいい思い出。

また鞆の浦に行くよ、と言ってあるからその時はぜひとも会いたい。

iti SETOUCHIでの話
iti SETOUCHIには、講座参加者でおおもとを運営している西谷 天さんと施設内にあるコワーキングスペースtovioのコミュニティアドバイザー(コワマネ)の山縣 玲夏さんがいる。

天さんとの話の中では、ロールモデルという言葉がよく出てきたのが印象。
「20代前半の若い人たちで、ばりばり自分なりのキャリアを積んでいたり、0→1を作っている人がいない。そういう人たちが少しでもいてくれれば、支援していくうえでも、福山にいる大学生や高校生のロールモデルにもなる。」
ということだった。

”わたしを通して、地域を、好きなことから第3の居場所の良さを教える、同世代のロールモデルとなりたい”という、私の行動軸が響いてきた。
ここで、鞆の浦の長田さんの話も繋がって、”私が20代前半に福山に行って、0→1を創るプレイヤーになりつつ、学生コミュニティのマネージャーとして関わり、ロールモデルに慣れればどちらも叶えられるのでは”。私の行動軸ややりたいことと需要がマッチした瞬間だと思えた。ここである程度、固まった意思があったのかもしれない。

はまってしまった机。

●尊敬する方を追っかけて

長田さんとは、その後も10/28と11/24にお会いしていた。10月に関してはイベントでちょこっとお話しただけだったが、その存在にお目に書かれただけでモチベをいただけた気がした。(結構すごくないか?笑)

この写真はお守りです。福ちゃんお誘いありがとう

昨日に関しては、駅でお会いしてから一度は家に帰ったものの、福ちゃんから夜ごはんのお誘いをいただき、うっきうきになりながら、北風かつ暴風の中を走って居酒屋まで行った。
送ってもらう車内で「長田さんが神様で、福ちゃんはその下。ここは2大コミュマネ巨頭として私は尊敬しているの」と思っていることを面と向かって初めて口に出した。
この気持ちが分かる人には分かるかもしれないが、尊敬している人とご飯が食べれると言うのはこれほど嬉しいものはないから。

そこでは福ちゃん・長田さん・自分の3人だったのだが、コミュニティ運営やキャリアの話、あとは恋愛(?)の話で時間があっという間に溶けていく。
コミュニティ運営に関してはみんなが携わっていることから積もる話が本当に多かった、、、という感想しかないのだが、
キャリアに関しては、3人の中でコミュニティ運営という着磁があっても歩み方が異なるから話していて面白かった。

その中で、私がずっと引っかかっていたことがある。それは、「どんなコミュマネ、コワマネになって何をしたいのか」というもの。今回、長田さんにも質問されたがこの質問に即した答えは出てこなかった。だが、ずっと考えていること。
同じ仕事をしている福ちゃんにも、改めて聞いてみたいことではあるのだが、私もそろそろこの質問の答えだけは確立させておく必要があるのかもしれない。

ただ、3人で面と向かって話していて、一つ見えたのは、”コミュニティマネージャーの姿・形は無限大であり、正解がないからこそ自分の強み、コミュニティメンバーの強みを思う存分に活かしてみんながいやすい環境を創り上げること”というのは何があっても変わらない軸だと思っている。そのうえで、自分の強みやハコの仕組みなどによってやりようが変わっていくものである。

●ちょっとした表明

ここまで、4月からのわたしと直近での出来事を書いてきたが、11月に入ってから、やりたいことや好きなことが私の中で見えてきた。
・ファシカレにいたことで、ワークショップで人を言葉や非言語で諭す。
・社内で広島遠征の報告会をやったことで人前に立って話すことの楽しさ。
・職場でワークショップ2本を骨組みから作り実践し、フィールドワークで受け入れていた大学生のnoteをジャックしかけたこと。

広島遠征の報告会の様子


上の3つをやっていた時間が本当に楽しかった自分。その一方で最近の仕事はどうも調子が上がらず、いつも誰かに指摘を受けてばかりになってきた。これはある種、自分のなまけに近しいのかも知れないが、なんかやりたいこととずれてきているのかも、という像に苦しんでいるのかもしれないということにも気付き始めた。

その点、10月に広島に行って、2人の話を聞いた上で、長田さんの存在が本当に大きいのかもしれないが、次の挑戦場所は福山は鞆だと強く思っている点。(小高同様、直感を信じている)
OWBに感謝しつつ価値を提供するのはそうなのだが、いつまでにしようか見切りをつけて、逆算したいという意味からも、昨日長田さんと深く話し、決意を固めた。

まだ、身内にも言っていないのだが、早くて25年3月、遅くてもNARUが終わるであろう9月末を持って、小高を一旦離れたいと考えている。鞆で長田さんやその周りの方と共に、0→1を創るプレイヤーになりたい。数年修行し成長してまた小高に戻ってくるかもしれないし。

今は自分が退化しないためにも、ある程度区切りをつけて逆算から仕事をしたい気持ち、0→1をつくるプレイヤーになりたいという気持ち、小高同様、次の土地は鞆だと直感が先行しているため、すべてを汲み取った判断である。

ちなみにどうして、小高を離れる決断が早くなったのか、は別のnoteで書けるぐらい深い理由がちゃんとある。

離れる、と言っても完全に関係が切れるわけではないし、関係が切れるということは絶対にないと思っている。鞆の人と小高を繋ぐパイプが出来たらいいなとも思っているし、このパイプが作れるのはわたししかいない。私が出来ることを見つけては実践し、価値を生み出す。小高で泥臭くやっていくことも必要ではあるが、危機感や原点に立った時、総合的に考えて、NARUのタイミング次第という形で自分の中では決めたのだ。

まだまだ発展途上な自分、このタイミングでの決断はある種賭けではあるが、自分にけじめをつけてより集中したい意味でも、期限を設け、次なる準備をしつつやりきって見せたいと考えている。

「やり切った!」という感情で小高を離れるには、福ちゃんを超えるコミュマネ・コワマネになっていることが最低条件であると思っている。そのためにも、これから逆算して、言葉で発して終わっていたタスクたちを呼び起こし、行動に移して行きたい。

すべては福ちゃんを超え、浜通りの・福島一のコミュニティ・コワーキングマネージャーになるべく。
また、同世代で最強な人になるべく。
そして、自分が楽しい・幸せと思える日々を過ごすために。

後記

7000字越えの力作ですが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
ここで表明したからにはすべて実現しないといけない、この楽しみかつ苦しみが自分にとって良い刺激となっている感覚があります。もうぴよぴよなみすずじゃない、本当に負けたくないので、25年度中に無事に鞆に移住できるように適宜ミッションを課しながらも楽しみたいと思います。


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