何となく

死にたいと生きたくないとの狭間を行ったり来たりしていろいろ考えてはみたのだけれども結局の所、生きるのは面倒だという結論に至った。

きっと、多分、絶対、私の考えすぎな性格もあるのだろうけれども、現実は余りにも現実的で、私の手には余るものだと気づいてしまった。

自分を鼓舞し続けるよりも自分を卑下し続ける方がずっと楽で、その方が自分に合っている様な気がした。

そして気が付けばそれは私のアイデンティティとなった。

こうなってしまうと後は簡単でひたすらに下へ下へと落ちていく。連鎖的に、自発的に、積極的に。

人生のうちに何度か心から死にたいと思った時があった。だけど今もこうやって何だかんだ生きてしまっているのは本当は死にたくないと知っているからだと思う。私は死にたいのではなくてただ生きるのが面倒なだけなんだと。

ただこうやって普通に生きているだけで心臓は脈を打ち、肺は呼吸をしている。ただ生きようとしている。

漠然と死にたいと思う事がある様に、漠然と生きたいと思う事があっても良いのではないか、なんて事を漠然と思った。

私たちはあらゆる事に意味を持たせようとし過ぎていて、私はきっと、多分、絶対、それが息苦しかった。

何となく。

何となくで生きれば良い。

大層な夢や目標が無くとも、来週の週刊少年ジャンプを楽しみにするくらいで良い。

何となくで生きれば良いや。


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