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【追憶】山崎先生に教わった2つのこと

小学校4年の時の担任が山崎馨先生だった。
先生は自分にとって唯一恩師と呼べる存在かもしれない。

先生は愛情深くも厳しさを併せ持つ信念の教師だった。

今の時代ではあり得ないだろうが、悪さをすれば平手打ちが飛んでくるのが、まだ不思議ではないと思えた時代のことだった。

先生の必殺技はハサミビンタで、大きく開いた両手で両頬を挟み込むようにビンタするその技を食らったら、男子でも泣く子がいた。

怒られた時は怖かったが、子供たちと真正面から向き合う先生の熱い思いが伝わっていたからこそ、同窓会などでは皆が口々にそのことを勲章のように語り継ぐそんな教師だった。

そんな先生の教育方針は、子供たちに読書の楽しさを教えることだった。折に触れて読書の機会をたくさん与えてくれた。国語の授業がそのまま読書の時間になったこともままある。

お陰で、自分も読書が好きになり、やがて習慣となり、その後の人生を豊かに過ごすことができたように思う。

読書により、想像力を育み、自分が経験するだろう数百倍、数千倍の知識を身に付けることができたのは、先生のお陰だ。

もう1つ先生から教えられたのが、本を書く喜びだ。

学年末のある日、先生は教壇の上に400字詰め原稿用の束をドサッと置いて、クラス全員に「欲しい人は、好きなだけ持っていきなさい。好きなだけ書きなさい。」と言った。

その頃、先生の影響で本を書くことに取りつかれ始めていた自分は50枚ほどの原稿用紙の束を受け取り、来る日も来る日も書き続けた。

一緒に書き始めた同志が5人ほど居て、その仲間で会社を設立した。M君が社長で、会社名は本書社(ホンカキシャ)、社員はそれぞれ自分の本を書くのが仕事だった。いい加減な設定である。

子供は飽きっぽいので、1人抜け2人抜けて、最後は平社員の自分だけが残った。

やっと完成させた大作を山崎先生に提出できたのは、もうクラス替えも終えた5年の新学期の初登校日だった。

先生はもう他のクラスの担任だったが、忙しだろうなか、私の本の最初の読者となり感想文で褒めちぎっていただいた。そのことが嬉しくて、ずっと心の奥底の宝物になっていた。

処女作は、その頃凝っていたモーリス・ルブラン『アルセーヌ・ルパン』を模した探偵冒険小説だったと記憶している。

あれから何年の月日が経ったのだろう?

その後、授業をサボって入り浸っていた高校の図書室で先生の書いた本を見つけた時、先生に手紙を書いたこともあった。

最後にお会いしたのは、大学生の頃なぜだか呼ばれて参加した隣のクラスの同窓会だっただろうか。そのときも先生は先生だった。

この歳で再び本を書こうと思ったとき、ずっと忘れていた先生との想い出が蘇ってきた。

この度Kindleで書き上げた『資産運用の新常識』を先生に読んでいただける機会が永遠に失われてしまったことだけが残念でならない。


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