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2年3カ月、毎日同じ場所から三鷹跨線橋を撮り続けた出版社社員の記憶。

 
 94年間に渡って地域に愛された三鷹跨線橋(愛称:陸橋)が、ついにその生涯を閉じました。
 2年前にJRが告知した撤去工事が、2023年12月11日より始まったためです。橋の南北にある階段の入り口は閉鎖され、もう橋を渡ることはできません。

撤去工事開始と同時に、橋の階段は封鎖。前日まで晴天が続いた東京に涙雨が降り注ぎました

 2023年12月15〜17日には、事前予約制の「渡り納め」イベントが三鷹市の企画として開催され、4,000人超の応募があったそうです。
 跨線橋そのものは姿を消してしまいますが、人々の心に残る風景や思い出は、色褪せることはないでしょう。
 そんな記憶と記録を永遠に残し、次世代に伝えるために、「三鷹跨線橋の記憶と記録を残そうプロジェクト」は立ち上がりました。発足の経緯については、こちらのnote記事をご覧ください。

 記事には多くの反響をいただき、新聞やテレビなどマスメディアにも取り上げていただきました。ありがとうございます。
 お寄せいただいたエールやご期待に応えられるよう、三鷹跨線橋に親しんだ地域の方々や文化人、専門家に取材・撮影を続けながら、記念書籍の発行に向けての準備を進めています。2023年の年末には、編集会議も開催され、出版スケジュールや書籍の仕様イメージについてのすり合わせをしました。
  
 さて、この編集会議ですが、開催場所となったのは、プロジェクト発起人である川井伸夫さんが社長を務める出版社・文伸(本社所在地・三鷹市)です。
 実はこの文伸という出版社、地域密着型の印刷業を主業として1962年に創業し(当時の社名は「文伸印刷所」)、井の頭公園100周年記念書籍や吉祥寺の街の今昔を記録する書籍、中央線沿線に縁のある文学作品を編纂した書籍など、”ローカルに特化した出版事業”にも力を入れてきた会社です。
 
 創業者である父・川井捷一郎さん(故人)、2代目社長を務めた叔父の川井信良さん(現会長)からバトンを受け継ぎ、2年前に社長に就任した川井伸夫さんにとって、三鷹エリアは「公私の日常が溶け込んだ、自分と切り離せない街」。「私のモットーは、フットワークとネットワーク」という口癖どおり、街を走り回って地域の活動にも関わってきました。

 会社から徒歩1分足らずの距離にある三鷹跨線橋の階段をかけのぼり、100メートル近くある長い橋を歩きながらパノラマの街並みを眺め、反対側の階段をかけおりるーーそんな時間を繰り返すことが「あたりまえの日常」だった川井さんにとって、「三鷹跨線橋の撤去決定」のニュースはただただショックだったのだそう。

 いてもたってもいられなかった川井さんは、「三鷹跨線橋の記憶と記録を残す書籍を出版する」というステートメントを発表。ただし、JR側から撤去の具体的な時期が示されていなかったため、すぐに本の制作に取りかかることはなく、地域市民から跨線橋の思い出を伝える写真を募集する活動からコツコツとスタートしたのです。
 写真募集を告知するチラシを制作するのと同時に、写真を自由に投稿できるFacebookグループ「跨線橋の思い出」を公開しました。

 さらに、同時期に始めたアクションがもう一つ。
 それが「三鷹跨線橋の写真を、毎日同じ場所から定点撮影する」という取り組みでした。

 川井さんが撮影担当として”任命”した文伸の社員の方が、朝の出勤時に跨線橋に立ち寄ってパチリ、パチリ、パチリ。北側の階段の下から見上げた全景、橋の上からの線路、最後は橋の下のコミュニティバスの「跨線橋前」から日めくりカレンダーと共に。同じ位置から撮り続けた写真の枚数はゆうに1,000枚を超えます。
 2021年9月から始まって、春夏秋冬の跨線橋の姿とその日の気象情報も併せてFacebookに投稿する活動を今も続けています。

 2022年春に文伸に入社し、”3代目”の定点撮影担当となった営業部・鎌田孝之さんは、三鷹に暮らした経験はなく、「跨線橋とは決して長いお付き合いではない」のだそう。しかしながら、毎朝毎朝、同じ場所から跨線橋を撮影するうちに愛着が湧いてきたのだと言います。
「長い年月、この場所でずっと在り続けた跨線橋を眺めているだけで不思議と心が落ち着きます。慌ただしい日常の中で、”変わらないことの価値”を教わった気がします」(鎌田さん)

三鷹跨線橋の「定点撮影担当」3代目の鎌田孝之さん(株式会社文伸営業部)
撮影/キッチンミノル

 毎日変わらずそこに在り続ける跨線橋の背景にある空の高さや光の変化に、「季節の移ろいを感じる楽しみを知った」と語る鎌田さん。特に印象的だったのは、跨線橋越しに見えた夏の入道雲だったとか。ちなみに、鎌田さんの前任・2代目担当者の記憶に残っているのは、2022年1月6日に投稿した「積雪の跨線橋」だそうです。
 晴れの日も雨の日も雪の日も、毎日決まった朝の時間に撮り続けた記憶と記録は、三鷹跨線橋がここにあり続けたという確かな証となっています。

 社長の川井さんだけでなく、社員の皆さんにとっても身近な存在だった三鷹跨線橋。毎月の月初に行っている地域清掃活動の一環として、2023年12月1日の朝には社員総出で跨線橋の周辺のゴミ拾いをする様子も見られました。
 

撮影/キッチンミノル

 定点撮影の「記録」は、現在準備中の記念書籍にも収録される予定です。ぜひ楽しみにしてください。
 最後に、三鷹在住の写真家・三坂修二さんによる、三鷹跨線橋から眺めた車両庫越しの富士山の夕景の写真をお届けします。

三鷹跨線橋の上、車両庫越しに見える富士山。この写真が撮影された2023年11月下旬は、「ダイヤモンド富士」が見られる期間として多くの人々が橋から見える夕景を鑑賞していました
撮影/三坂修二


※三鷹跨線橋が残してくれた記憶と記録を次世代に伝える当プロジェクトの書籍制作・発行をご支援いただける個人・法人のスポンサー様を募集しております。詳細は下記までお問い合わせください。
株式会社文伸 出版事業部 武藤
TEL: 0422-60-2211
E-mail : office@bun-shin.co.jp

ヘッダー写真/キッチンミノル
編集・取材・執筆/宮本恵理子(当プロジェクト記念書籍編集長)

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