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ASDっ子の育児と母の勘、小1の現在

Instagramに、ASDの娘への工夫について書きました。

自宅でしている他の工夫や、逆に敢えて配慮していないこともあります。

敢えて配慮しないのは、
療育で習ったことは自分事に落とし込まないと意味がないし、
不器用だからと言っても道具を使えないと困る。
いざ集団の場や社会に出た際に、必要とされる最低限のマナーや定番のものには慣れておく必要はあると思っているからです。

DCD(発達性協調運動障害)もあります。

兄もしている朝の学習習慣を、妹にも。
音読で読み取り力の強化やビジョントレーニングもしています。

ただ、配慮や工夫の方法や程度は、その子によって違うかと思います。
我が子には効果てきめんでも、他のお子さんには通用しないこともあるので、
精神科医の益田先生も仰っているように、
まさに各家庭ごとで「トライアンドエラー」だなと感じます。

我が子の場合、診断は受けていますがグレーゾーンに近い子です。
所謂、受動型ASDというタイプで、
普段は普通学級に通っているので軽いと言われればそうです。
けしてKYではなく寧ろ、学校では空気を読んで大人しくしています。
傍目ではお利口に見えて、そうは見えない子なのです。

そんな娘も、小さい頃は言葉は出ないし、癇癪持ちで落ち着かず大変な時期もありました。
主にはそういった傾向で、「この子はなんか違う…」と支援センターに自ら電話したのが発達支援の始まりです。

ですが、その前のもっと小さな赤ちゃんの時期から気になることがあり、
今思うと、母親としての私の勘は鋭かったなと感じます。

それは、以下の違和感でした。

  • 真顔が怒ってるように見える

  • ミルク咽せがひどく、気管支の機能的な異状まで感じる

  • 寝つきが悪い

  • ハイハイをせず、歩き始めが早かった

真顔は写真にも残っています。
上の子を育てた経験があるからこそ、比べて違和感を感じていたのかもしれません。
が、当時は「自分が看護師だから敏感になりすぎているのでは」とも思っていました。
で、初診での問診でそれを話すと、医師が納得の表情をしたのです。
あ、やっぱり関係あったんだと理解しました。
当時から、身体的・情緒的にも発達が未熟だったということです。

その後の発達検査では約1年の遅れと凸凹があると言われ、4歳後半から集団・個別療育を受けて今に至ります。
今は、週3~4回の放課後等デイサービスと週1回の通級指導教室で療育を受けています。

2歳くらいからASDかなあと思いながら育児をしてきたので、
診断が下った時には「やっと」という安堵と、「ああ、やっぱり」という悲しみと相反するものがありました。

今も、正直娘の未来は全く見えません。
上の子だと何となく大人の姿を想像することもできるのですが、
娘の将来の姿は浮かばないのです。
今後どう成長するのか見えない。

長いトンネルを、時々溝につっかかりながら歩く感じ。
明るい抜け道があるかもしれないことを期待して。

そんな漠然とした不安はありますが、
療育を受け始めた頃から、周りに相談できる人もでき、私は段々と受容が出来るようになりました。
娘のことで泣くことはなくなりました。
相談すると問題事を共有化でき、親自身がそれを大ごとに捉えることが少なくなったのが大きいと思います。

今は、通級の先生に気になったことを話しまくっています。
ほぼ愚痴です。
先生ごめん。
本当にありがたい存在です。
娘も4歳から個別療育を受けていて1対1に慣れているせいか、先生に懐いています。


あ、ひとつ訂正。
この子は多分、塾も個別指導じゃないとダメかもなという
学習環境の将来だけは見えました…。

家では特性も出るけど、色んなお話をしてくれて、
基本はお調子者な明るい子です。
外では抑えてるけど、本当はたくさん表出したいことがある。
この家での陽の部分が、将来社会に出た時に遠慮せずに出せるようになるといいな。

ペンギンが好きで、ぬいぐるみを沢山所有。
レゴの人形を階段に並べる。
家族キャンプや野外体験への参加など、
自然体験も積極的にしている。
一応、軽量ランドセルも準備してるけど、
今は通常のランドセルで大丈夫なよう。
すみっコぐらしも好き。

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