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木原敏江『完全版 白妖の娘』 大妖の前で己の想いを貫いた二人の物語

 木原敏江が2018年から2019年にかけて連載した『白妖の娘』の完全版が刊行されました。平安時代を舞台に、一人の少女の復讐譚と九尾の狐伝説が交錯する名作ですが、今回刊行されたものは、連載版になんと286ページ描き下ろしという、まさに「完全版」の名に相応しいものとなっています。

 都の貴族に騙されて死んだ姉の復讐に燃える少女・十鴇と、彼女のために先祖が封印した禁忌の森の白妖の存在を教えた青年・葛城直。妖魔の封印を解いた末、十鴇は白妖の器としてその身を差し出して都に向かい、責任を感じて厳しい修行を積んだ直は、さらに腕を磨くため陰陽師・安倍泰親に弟子入りすることになります。

 直が京で出会った変わり者の青年貴族・藤原玄雪を後見人に、泰親の下で修行に励む一方で、玄雪の親友だった青年・五葉織草を仲間に引き入れ、復讐を果たした十鴇。
 しかし身分だけで他人を判断する貴族たちをひれ伏させるという十鴇の想いと、この国を混沌と恐怖で包もうという白妖の狙いが合わさり、十鴇は玉藻の名で法皇の寵姫にまで上り詰めることになります。そして雨乞い勝負で泰親を破った十鴇は、法皇を操り、女帝の座を狙うのですが……

 という物語自体は、この完全版においても、連載版(以下「旧版」)と全く変わらず、また物語における人々の去就も変わるものではありません。

 もとより本作は岡本綺堂の『玉藻の前』をベースにしつつも、十鴇と直をはじめとする登場人物たちを本作ならではの造形とすることにより、大きく踏み出してみせた作品であります。
 そしてそんな登場人物たちによる物語は極めてエモーショナルであって、そしてその先の結末は何度読んでも涙を堪えきれない、名作の名にふさわしい作品であります。

 しかし、本書が刊行されると聞いた時に思ったのは、「完全版」が刊行される理由もさることながら、どの辺りが完全版となるのか、ということでした。
 まことに失礼ながらこれまで完全版と銘打たれて刊行されたものを思えば、「雑誌連載時のカラーページを収録+数ページ描きおろし」という印象があります。しかも本作は四年前の作品。連載終了からわずかな期間の後に完全版が刊行されるとは――と、疑問に思っていたところに飛び込んできたのは、帯の「新規描きおろし計286p収録!!」の記載であります。

 これは思わず目を疑うほどの分量であります。何しろ、旧版の単行本が大体185ページ前後であったことを考えれば、つまりこの完全版は、単行本一冊以上の追加があるということなのですから!
 そして実際に読んでみれば、なるほどこの描きおろしの分量はもちろん偽りなしの大増版。描きおろしに伴い、それ以外の部分も相当手を加えていることにも驚かされます。

 しかしどの部分がこれほどまでに追加されているのでしょうか。我ながら酔狂にも各話のページ数を比較してみたのですが、描き下ろしの大半となる260ページ弱は、完全版の下巻に集中――それも旧版の最終巻に収録された5話分のページ数は、第16話が6割増し、それ以降の第17話から第19話にかけては2倍以上、最終話に至っては約3.3倍なのですから、その凄まじさを思うべし。
 巻末のあとがきによれば、そもそもが本作は連載の時点で全5巻を想定していたというのですから、まさにこれこそが本来の形、完全版なのでしょう。

 そしてその内容はといえば、これは圧倒的に登場人物たち――それも直と十鴇だけでなく、玄雪や織草、はては白妖といったメインどころほぼ全員の、過去にまつわる部分が中心となっています。
 もちろん、終盤のクライマックスというべき直の冥界下りの部分も大きく描写が加えられていますが、しかし特に目に付くのは、この過去描写の部分であることは間違いありません。
(これは後半ではありませんが、十鴇に復讐されるあの××貴族にも描写の追加があったのにも驚き――もっともこれは十鴇の姉についてのものと思うべきでしょうか)

 正直なところ、旧版読者としては、物語の筋は変わらずに登場人物の過去話が一気に増えたのに少々驚かされるのですが、しかし内容としては、そのいずれもが、「現在」を語るのに必要な――つまりは何故その人物が現在そのように振る舞うかを語るためのものであると理解できます。
 何よりも、過去の巡る因果の水車に翻弄される人々を、そしてそれでも現在を生き、そしてその先の未来に向かおうとする者を描く物語として、これが必要な部分であることは間違いないでしょう。
(そして現在――これも今回描きおろされた、クライマックスでの直の言葉を聞いた十鴇の表情だけでも、この描きおろしの価値はあったと感じます)

 そしてまた、個人的に大きく唸らされたのは、ラストシーンであります。本作が、岡本綺堂の『玉藻の前』を踏まえたものであることは既に述べましたが、この場面には、『玉藻の前』の結末を意識した描写があると感じられます。
 もちろんそれは私個人の印象かもしれません。しかしあるいはこのまま、旧版と異なる結末を迎えるのでは、と一瞬危ぶんだところから、鮮やかに爽やかに立ち上がってみせるこの描写が素晴らしいことは間違いないでしょう。

 そしてそれは単に大妖に利用された犠牲者ではなく、あくまでも己の意思で以て大妖と行動を共にし、その運命を生き抜いた十鴇と、そんな彼女のために己の全てを擲とうとしながらも、なおそれだけが彼女を愛する形だけではないと知る直と――あくまでも己の想いを貫いてみせた二人の物語に相応しい結末であり、そしてそれこそが、玉藻前の伝説を現代に描いてみせた一つの意味であると感じるのです。
 この完全版によって、本作は見事な本歌取りを成し遂げてみせた――そう感じるのです。

 分厚い上下巻セットで五千円超えというスタイルにたじろぐ方も少なくはないと思います。実のところ、私もそうでした。
 しかし旧版をご覧になり、本作に惹かれた方であれば――あるいは未読でも作者のファン、玉藻前ファンであれば、ぜひ手にとって欲しい、それだけの価値は絶対にある作品であります。
(お求めやすい六分冊の電子書籍版も出ていますので……)

ブログのほうに書いた、旧版の紹介です。


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