見出し画像

令和 × アラサー女 × 生き方 = 多様性しかない

タイトルに深い意味はありませんが、タイトル通りの文字がぽんと頭に浮かんだそんな秋の夜長。

一昔前までは、30歳までに結婚出産してない女性は白い目で見られていたのだとか。

多くの女性は男性より収入が低く、その代わり気立てが良く家事が得意な家庭的な女性を目指していたのだとか。

理想の結婚相手は3高と言われる高身長、高学歴、高収入だったのだとか。

時代は進み令和となったけれど、マジョリティや傾向が変わっただけで、それらの文化がゼロになったわけではなく普通にまだ息をしている。

現在私は30歳だが、結婚もしていなければ出産もしていない。
収入はパートナーである彼より私の方が多く、家事は私よりも彼の方が遥かに得意だ。
ゆえに生活費を全て負担する代わりに家事はほとんど彼に任せるという生活スタイルをとっている。

女性の社会進出!
専業主夫!
多様性!
と言われる最近でもやっぱりまだ大黒柱の女性や専業主夫と聞くとそうなんですね!とめずらしがられる。

めずらしがられても別に良いのだけど、というか昔からいわゆるフツウにはなるつもりはなかった。

若くして結婚出産をし、専業主婦になって誰かに養ってもらうなんて考えられなかった。

なんでも自分の思い通りにしたい私は望み通り今のような生活ができているけれど、たまたま現在は令和だったから社会の風当たりが強いと感じることはないが、これが昭和とかそういう時代だったらすごい生きづらかったのだろうか。

そう思うと今の時代に生まれてラッキーだなと思う。

さらに言うと、今の私の仕事はインターネットがないと成り立たないものなので、インターネットがここまで普及していない時代に生まれていたら社不な私は今頃そのへんで野垂れ死んでいたのでは…。

多様性というワードの普及のおかげでいろんなものが寛容に受け入れられているこの時代でも、何かに囚われ縛られたまま生きている人は大勢いると思うし、こんな私だってホルモンバランスによっては、その日の天気次第では、囚われ縛られた頭になってしまうことだってある。

最近読んだ本で印象に残ったことが私の背中を押してくれている。

人生というものをいくつかある選択肢から選ぶ人もいれば、何もないゼロから自分でつくる人もいるということ。

どうして私はみんなみたいに会社勤めができないんだろう。

どうして毎回飲み会を断って家に帰りひとり過ごしているんだろう。

どうして同世代の子みたいに結婚や出産から逸れた生活をしているんだろう。

かつての私は、自分の人生はこれでいいんだと思いつつもたまーにこんなことを思っていた。

今でもごく稀に、ほんの少し、思う時がある。

でも、会社も飲み会も専業主婦、予め用意されたよくあるメジャーな選択肢のひとつに過ぎない。

私はレールを外れたんじゃない。

仲間に入れなかったんじゃない、初めから自らの意思で選ばなかっただけなのだ。

多くの人はでかでかと用意された線路を進んで、当たり前にたどり着く主要の都会の駅を渡り歩いている一方で、自分はおもしろそうだなと思った小道や脇道を進んで偶然見つけた田舎の駅や無人駅の味わい楽しんでいるようなものだ。

どちらが良い悪いなどではなく、人それぞれの道があるだけ、多数派か少数派かの違いがあるだけだ。

みんなと違う、というだけでなぜか見えない大きな手により弾き出されコントロールされたような感覚に陥りがちだけれど、そうではなくて、私は自分の意思でみんなとは違う道を自分で選択してきた、自分の舵を自分が握ってきてここまで来たんだということを忘れないようにしている。


※令和じゃなくてもアラサー女じゃなくても生き方は各々の自由でいいのだ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?