見出し画像

毎秒更新される自分

自分は自分のことを見ることができない、なぜなら自分の目は自分にくっついているから。

何も考えていなければ自分の目からは他者ばかりが映る。

何も考えていない状態、他者を見ている方が楽な状態なのだ。

他者に目を向けることは実は受動的なことだ。

そこを敢えて意識して目をぐいっと内側に、自分に向けることはとても能動的な行為。

エネルギーがいる、負荷がかかる。

日常や世界はいつも目まぐるしい。

ねこじゃらしを追う猫のように、

動いているものには勝手に目がいくように、

必要もない世間のいろいろには関心が向きやすい。

自分の思考回路だって本当はいつもめまぐるしい。

でもそこに目を向けることは意図的にならないとなかなかできない、

なぜなら目まぐるしく動いている様子が物理的に見えないからだ。

思考は目に見えないけど確かに存在する。

確かに存在するのに目に見えない。

自分の思考は自分にしか見えないからこそ存在の重みが大きいはずだ。

それなのに自分で無意識のうちに無視することになってしまうのは外界に振り回されてしまうからだ。

外界をシャットダウンして、自分の内側に目を向ける。

今の自分、さらには過去の自分も引っ張り出す。

気づけなかった自分の思考を辿りに辿る。

朝起きて仕事に行って陽が沈むまで働いて家に帰って疲れて寝る、

そんな日常生活の連続では敢えて自分の内側に目を向ける、

つまり自分と向き合うなんて脳に負荷のかかることを敢えてしようとも思い得ない。

例え、自分と向き合うことをできたとて、きっと浅い層で終わってしまう。

本来自分と向き合う、その自分とはほんの数分の時間で覆えるほどの体積ではないのだから。

だから私はノートに書き殴る。

するととんでもないものができあがる。

初めてクレヨンで線を色を図形を何かの意図を頭の中の景色を紙に写し書いた子どものように。

自分で目を瞑ってなにか動物を描いてみたようなそんなもの。

ぐちゃぐちゃで当たり前だ。

だって、思考って昨日今日レベルじゃなく毎秒更新されているもの。

天気も私も同じ。

大地の自然も私も同じ。

今日が大雨でも明日も大雨でも、明後日は嘘みたいに晴れるかもしれない。

1週間ずっと大雨でも1か月ずっと大雨なことはない。

天気も大地も私も自然物。





下書きにこんなのがあったので投稿してみた!
毎秒どころか何日も経ってるので覚えてない、、笑

この記事が参加している募集

振り返りnote

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?