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無遅刻無欠席という美徳

 Dという同級生がいる。彼は小学校から高校卒業までの12年間、無遅刻無欠席で皆勤賞を達成した頑強な体の持ち主だ。高校卒業の時にその話を聞いて、すげーなと言ったら、「毎朝、早く家を出ろって怒鳴ってくれた母親と二人でとったようなもんだ」と高校生らしくないコメントをしていた。人間もできていて素晴らしい。

 学校や職場を休まないことは、ある時期まで評価の対象だった。職場では「風邪くらいで休むな」、「仕事に穴をあけるな」、「自己管理ができてない」と休むことを否定する言葉があった。体調不良だけでなく、有給休暇も制度自体は年10日間とかあるのに、空気で取得しづらく、結局みんな上限まで溜まっているのがどこの職場でもある光景だった。古い話ではなく、10年くらい前まではこんな感じだった。

 それが2009年の新型インフルエンザの世界的な流行で、「うつされるとヤバいからインフルは休め」になり、コロナの流行で体調が悪くなったら「とにかく休め」になった。この傾向はコロナが落ち着いてどうなっただろうか。有休も働き方改革でとりやすくなり、もはや休まないことは美徳ではなくなった。

 新宿区立の小中学校でも無遅刻無欠席を表彰する皆勤賞はなくなった。病気だけではなく、不登校の問題もあり、行きたくない学校に無理してこさせるような仕組みはよろしくないという理由だ。かといって学校は来ても来なくてもどっちでもいいのではなく、教育委員会は「無理はしなくていいが、可能であれば通ってほしい」と言っている。微妙な態度だ。

 親が休みを取りやすくなり、学校も必ず来いという機関でなくなったためか、学校を休んで平日に旅行する(遊びに行く)はなしを聞くことが増えた。遊びに行って「すいててよかった」と聞くこともあれば、逆にあの親は遊びで学校を休ませてけしからんと聞くこともある。この論争はかつての有休取得を巡るオジサンと若手の見解の相違を思い出す。時代の流れは休ませてもいい方向に進んでいる気がする。
 以前、選択的夫婦別姓を「家庭の問題なんだから当人同士で決めればいいじゃん」と賛成する人が、平日に学校を休ませてディズニーランドにいく親を「ありえない」と批判していて、それも家庭の話では? と思ったことがある。思わぬ人が思わぬ考えをもっているものだ。

 さて、愛知県の公立学校では年3日間「ラーケーション(校外学習)の日」として休んでも欠席にならない運用を始めている。家族旅行を校外学習とするのは物は言いようだが、とにかく旅行や遊びが学びになる建前を書いて提出すれば欠席にならない。これはなかなかいい制度だ。制度さえあれば、あとは活用するもしないも家庭の方針で、案外これまでけしからんと言っていた親も使って、結構いいじゃんなんて言うかもしれない。
 価値観の多様化が早すぎて、行政も追いついていくのが大変だ。

いちご狩りは校外学習(?)

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