ミテモの本棚_澤田さん_

「新しい意識」を生み出すためのレッスンとしての、ネイティブ・マインド

ミテモのメンバーが、1冊の本を読んで感じたことを綴ります。
今日の書き手は、澤田哲也さん。
本は、「ネイティブ・マインド―アメリカ・インディアンの目で世界を見る」です。
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【読了時間: 12分】
(文字数: 3,300文字)

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まず、この文章を読んでくれているあなたに、質問したいことがある。好きな作家、と言われると誰を思い起こすだろう。

好きな小説家、あるいは漫画家を思い浮かべたかもしれないし、そもそもそんな人はいないなぁ、と思ったかもしれない。ちなみに、僕はミステリー小説が好きだから、好きな小説家は?と聞かれれば、森博嗣さんを思い浮かべる。好きな漫画家は?と聞かれれば、好きな漫画が複数あるので悩む。影響を受けたビジネス書は?と聞かれても、同様だ。ただ、好きな作家は?と聞かれれば、一人、北山耕平さんが思い浮かぶ。

このミテモHOMEROOMを読んでくださっている読者の皆さんは、北山耕平、という作家をご存知ないかもしれない。なので、簡単に紹介しておくと、北山さんは作家であり、編集者だ。彼の代表的な仕事の一つは、かつて存在した宝島という雑誌だろう(元編集長を務めていた)。その他にも数々の書籍を手がけられてきたのだが、いわゆる小説のようなフィクションではなくノンフィクションを主に取り扱い、主には様々なカルチャーを独自の切り口と表現で紹介する作家であり、編集者である。

かつて彼が手がけていた頃の宝島は、1970年代というカウンターカルチャーとしてのヒッピー・ムーブメントが少し落ち着いてきた時代に、都会的な表現でありながら、大量生産・大量消費の波に飲み込まれて国民総消費者に成り下がることは断固拒否しようとする自立的なスピリットに満ちていたのが田舎育ちの僕には刺激的で、高校生の頃、古本屋などで見つけては読み耽り、色々な影響を受けたものだった。北山さんは宝島の編集長を務めた後、POPEYEの創刊などにも携わるのだが、僕は「編集者としての北山耕平」よりも、「物書きとしての北山耕平」のことがとても好きだ。洗練された言葉づかい、語りかけるような表現。数十年前に書かれた文章でありながら新鮮さを失わない類い稀なる着眼点。そんな北山さんの文章に触れるために、今もよく北山さんの書籍やエッセーに目を通す。

何よりも北山さんの書く文章からは、「良い声」が聞こえてくる。

文章から声が聞こえる、というのも北山さん独特の表現だ。彼の作品の一つに「新世代のための文章学 新しい意識が鉛筆を握るとき」というエッセーがある。このエッセーは、文章の書き方を取り上げた読み応えのあるエッセーなのだが、その中で彼はテクニック的なことは何も語らず、「心のなかの声に耳を傾け、それを活字で表現することの大切さ」を伝えている。たしかに、北山さんの文章からは声が聞こえてくる。しかも、太く、決して威圧的ではないけれど、強い「良い声」が聞こえてくる。きっと僕は、そんな北山さんの文章から聞こえる声が好きだ。ちなみに僕は北山さんと会ったことも動画で見たこともないので本当の声がどんな風かも知らないのだが。

さて、そんな北山さんの作品の中でも、今回おすすめしたい書籍は「ネイティブ・マインド―アメリカ・インディアンの目で世界を見る」という一冊。

ネイティブ・マインドは、副題にある通りアメリカ・インディアンに関する書籍だ。実は北山さんはアメリカ・インディアンの哲学、カルチャーを日本に紹介していった作家としてもその界隈では有名なのだが、そんな彼のインディアンに関するはじめての書籍が、このネイティブ・マインドだ。

この書籍をおすすめする第一の理由は北山さんの書籍のうち、kindleで読めるから、という中身のない理由だ。実は、僕自身、雑誌などでエッセーを書く北山さんの文章を読んだことはあっても長編の書籍を読んだことがなかったため、なんとなくkindleで読み始めたのもこのネイティブ・マインドだった。だから、はじめはアメリカ・インディアンへの興味なんてなかった。にも関わらず、僕はすっかりはまってしまった。いや、はまるなんてもんじゃなくて、世界の見方が大きく変わる、僕にとってこの一冊の書籍との出会いはそれほどのインパクトがあった。

興味を持ってくださった人には、先入観なくこの書籍を読んでもらいたい。だから、あまり多くのことは書かないが、この書籍は宝島やPOPEYEに携わった後に渡米した北山さんが、砂漠に魅せられ、地球とつながったかのように感じた体験をきっかけに、今も砂漠に生きるアメリカ・インディアンへ興味を持つ物語から始まる。そして、アメリカ・インディアンのメディスンマン(呪術医)であるローリング・サンダーとの出会い、ローリング・サンダーとの対話、そして膨大な記録を紐解きながら、アメリカ・インディアンのネイティブ(地球とつながる)・マインド(精神性)とは何かを紹介していく。

ちなみに、アメリカ・インディアンと僕たち日本人。遠く離れたこの2者には、驚くほどの様々な共通点がある。例えば日本の縄文時代の遺跡とアメリカ・インディアンの遺跡は同じ円環状型であるということで共通している。あるいは信仰。現代の日本人の場合、信仰と言われてもピンとこないところがあるかもしれないが、アメリカ・インディアンも元来の日本人も多くの人は、一神教ではなく自然信仰であるという点で共通している。(もちろん現在は様々な宗教の人がいるが)

太平洋を挟んだアメリカ大陸の先住民とアジアの極東にある日本の祖先との間に共通点が多いのは何故か。その答えは、アメリカ大陸の先住民と日本人の祖先とがネイティブ・モンゴリアンをルーツにしているからではないか、というのが本書の主張である。

一方、現代の日本人とアメリカ・インディアンとは全く異なる価値観を生きている。アメリカ・インディアンはリザベーションと呼ばれるアメリカ国内の2%に該当する限られた土地に暮らすことが”許され”ている。その限られた土地で、受け継がれてきた信仰、世界への態度、考え方、生き方などを維持しながら今を生きている。

日本人は、アメリカ・インディアンの人たちが言うところの「白人の道」を歩き、外見はともかく中身はすっかり「白人化」してきた。北山さんは、生まれながらに「白人の道」を歩かされることが当たり前のものとして育てられた最初の世代だ。そして、今は、そんな世代交代が2周まわり、かつて日本人の中でに受け継がれてきた信仰、世界への態度、考え方、生き方といったルーツをすっかり忘れてしまった。

自分たちのルーツを忘れてしまった巨大部族日本人。この構造はなかなか見えにくい。北山さんは、そんな状況を、こう書いている。

私の目には日本は、インディアンのリザベーションに見える。四方を大海で囲われた大きなリザベーションの中にいて、もし自分のことを自由だなんて思っているようなら、その人はけして真の自由を知ることはないと言える。アメリカ・インディアンを野蛮人のように考えていたりすると、かえす刀で自分が切られかねない状況をよく考えて見なくてはならなくなったのだ。

僕にとって、アメリカ・インディアンを知ることは、自分のルーツ、つまり自分と自分の生まれ育った場所、そこで受け継がれてきていた考え方や信仰、世界との繋がり方、世界の秩序を理解していく過程と密接に関わっている。そして何より僕が、教育という領域でどのように振舞い、どのような価値を生み出していくのかを考えていく過程と密接に重なっている。

アインシュタインは「The problems that exist in the world today cannot be solved by the level of thinking that created them.(この世の重要な問題は全て、それを作りだした時と同じ意識レベルで解決することはできない)」と指摘した。この言葉にならえば、「新しい意識」レベルを創造していくことこそ教育の出番なのかもしれない。

しかし、自分たちの意識レベルがどのようなものであるか、は中々見えにくい。だからこそ、僕はアメリカ・インディアンを知る、そして、自分が生まれ育った場所にかつてあった信仰、世界への態度、考え方、生き方を知る。それは、僕にとって「新しい意識」を生み出すためのレッスンなのだ。


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