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次へのステップ(37)

「大事な人っていうのは早逝しちゃうっていう法則でもあるのかねえ。ネットのあの動画見たときはもう本当に憂うつで言葉浮かばないけど、ブルーになって固まったもんね」と前も聞いたことを言った。幸子さんの団体も、しばらくポルポルへは人は派遣できなくなった。ボランティア計画は実質打ち切りになった。あの農場の野菜はどうなったんだろうね、今までの努力が水の泡になったね。北ポルの人は無事なのかな。南ポルの避難民の人は大勢殺されていたもんね。見覚えのある人も被害者にいたから、本当につらかったねと言った。わたしも同じ気持ちだった。平和になりかかっていた国が、第三の勢力によって、また紛争地になってしまった。今度は宗教的な思想の異なったテロリストの攻撃ということはテレビで言っていた。あのテロリストたちのせいで、アラブや、北アフリカは怖いというイメージが強くなったねと返した。
 ちょっと方向を変えて、奈津はこれから先の進路どうするのと聞くと、「今、わたしたちのやっている英語やフランス語の勉強を優先して、アメリカかイギリスに留学するかも」と言い出した。「アフリカはもう行かないの?」と聞くと、「お父さんもお母さんも、ボランティアに行くのは許したけど、安全だったからのことで、紛争地には行かせられないって言い出したの」とのこと。そうか、奈津のご両親ほどはっきりは言わなかったけど、うちの親もそれを心配している向きもあるのかもしれなかった。佐竹さんと青山さんのむごすぎる死のことは両親には当然話したから、娘を大事にする親なら、紛争地に行ってほしくないのは当たり前のことだ。「留学する費用は親任せにはできないから、これからバイトを増やすかも」と奈津は言った。奈津は学業優秀で、私大文系だけど、理系の勉強もできた。わたしと同じ学校を目指したいし、わたしも奈津がここを受けるなら、絶対この学校しかないと思って頑張った。入学してからは2年間バイトもしながら勉強も頑張った。英語はまあ何とか、英米に滞在しても困らないぐらいのところまで、徐々に近づいている。これからも頑張ろうねと励まし合った。ただ、奈津が長期留学するとなると、少し寂しい気持ちもあった。
「それで、秀とはどうするの」と聞かれ、わたしも一刻も早く会いたいと思っているのだけど、相手の気持ちや状況がどうなっているのかわからなくて、悩んでいることを話した。あのカナコのことも一筋縄じゃいかない感じがしたし。誰かから奪うことになるということも、今まではあまり直視してこなかった。奈津が、「秀は大事だった、二人で気持ちを確認し合ったあの日のことを思い出したなら、マヤを選びたいんじゃないかなって思うよ」と言ってくれた。やっぱりそうかなと思ったけど、あらためて奈津にも言ってもらえると安心した。

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