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母の人生ではなく自分の人生を生きられるようになった

私は母親と仲がいい。何でもないことでも、何か問題があっても、嬉しいことがあっても、すべて母に報告してきた人生だった。つい一年前くらいまで、ずっと母に報告していた。オランダで暮らし初めてからも、35歳になっても。

母はいつも私に期待していた。勉強はさほどできるほうではなかったが、運よく新卒で大企業に入社できたからだ。その企業は母が若い時に勤めていた会社と同じ会社で、母は昔から社外の父と結婚せずに社内結婚していれば今頃もっといい生活ができていたのに、ということを繰り返し言っている人だった。私が社内恋愛をしていたときは、その人と一緒になってほしいと願っていたが、私はその人と結婚せず別れた。

このまま定年までこの会社で働こうと思っていたが、彼氏と別れたり、一人暮らしを始めたり、30歳を目前にして、やりたいことをやる、と思い始め、イギリスに留学した。イギリスは私の大好きな国で、何度も訪れていたが、母もイギリスが大好きであった。その影響はあったと思う。

会社を辞めたときに相当母親を悲しませたが、留学先がイギリスだったので母は喜んだ。私を訪れてきたこともあった。でも母はできればイギリスにずっと住みついてほしいので、イギリス人の彼氏を見つけてほしいと常々言っていた。それに比べて私は、30超えたら就活が難しくなるから、期間である1年が終わったら日本に帰るつもりだった私は本当に1年経って帰った。

母はひどく失望して、「どうしてイギリスでイギリス人の彼氏を見つけられなかったのか?」「どうして友達はイギリス人の彼氏や旦那さんを見つけられたのにあなたはできなかったの?」と言ってきた。恋愛とはそんなに簡単なものではない。私はただ縁がなかった。それでも大好きな国で仕事をせずに勉強したり遊んで暮らせたのは私にとって幸せだった。

私はその後、また運良く大企業に入ることができた。正社員で結構いい給料をもらうこともでき、運良く昇進もできて今後も安泰であろうと母は思っていた。できれば早く結婚してほしい。私の妹が先に結婚したこともあり、私にも続いてほしいと思っていたに違いない。

しかし私の婚活はまったくうまくいかず、いい彼氏を見つけられないまま2年が経とうとしていた。私はもう一度ヨーロッパに住みたいとオランダに行くことに決めた。母はいい仕事についてあとは結婚するだけと思っていた娘が、またオランダに行くことになり心底失望し怒った。イギリスならまだしも、なぜオランダ?と。「イギリスなら自慢できるけどオランダではちょっとね」と言われたのを覚えている。

オランダで暮らし初めてから母は2度尋ねてきた。結局ヨーロッパに住む娘がいるというのは彼女の中で自慢となっているらしい。あとはオランダでいい彼氏を見つけて結婚してほしい、そう母は願っていた。でも私は母が尋ねてきてくれたときに、紹介までした彼氏と別れたり、父が尋ねてきてくれたときに紹介した彼氏と別れたりして、恋愛についてはかなり不安定であった。

その恋愛に関しては、母がこの人を気に入る気がする、という基準で選んでいたような気がする。自分がその人を好きだったというより、母が気に入る条件の揃った人と言う感じだっただろうか。でも付き合った人たちに、自分の全てを話すことはできず、彼らとの関係に不安を抱き、不安になればまた母に相談する、というような生活だった。


私が変わったのは今の彼氏に出会ってからだと思う。それまでほぼ毎日のように母と連絡をしていたが、今は一月に1、2回するくらいになった。母をわざと避けるわけではなく、母に話したいことが別にないのだ。不安もそこまでないし、あってもその不安も、楽しみも、すべて彼氏と共有できているからだと思う。

去年は失業して、本当に辛くて母に連絡をしたら、自分の期待していた答えとは違う反応をされた。私は辛くて日本に帰りたいと言ったのに、母は「永住権をとるんじゃなかったの?もう帰ってくるの?」と言ってきた。私はただ、辛かったらいつでも帰ってきたらいいよ、と言ってもらいたかっただけであったのに、母の反応は違ったのだ。精神的にきつかった自分に追い討ちをかけられた気がしてかなり落ち込んだ。しかしそれで気付いたのは、私も母に依存しているところがあったんだなということだ。

自分が母に依存していたことは間違いない。悩みはすべて母に質問し、母のくれたアドバイスどおり動くことが多かった。母がこうなってほしいと思う人生を必死に辿ろうとしていた。母に認められたくて一生懸命がんばって。でもそれは自分のためではなく母のためであって、私は私の人生を生きていなかった。

今ようやく自分の人生を生き初めて、振り返ってみて気付いたのは、私は「母がこう思っているだろう」「母はこう期待しているに違いない」と過剰に考えすぎていた気がする。いつも母の反応や母の言葉や母の顔色を伺っていた。でも物理的に距離ができ、自分が本当の意味で独立できてからは、考えすぎだったんだろうなと思うようになった。

母のことだけではなく全てに対してだけど、私はHSPとまではいかないけど、何かについて色々と気にしすぎていて、他人軸で生きていたと思う。今そうでなくなった自分は、周りの友達とかを見て、気にしすぎだろ・・・と思うことも多くなった。



彼氏と出会ってどうしてすべて克服できるようになったのかっていうと、彼氏はありのままの私を全て受け止めてくれているからだ。常にいい子であろうと母の前でも彼氏の前でも会社でも努力してきた私は、今の彼氏と一緒に住み初めてしばらくして「私に不満とかない?直してほしいところがあったら言って」と聞いたのだ。そしたら彼氏が「そんなのないよ。そのままの君を愛しているし、君もそのままの僕を愛す。そうでないとこの交際はうまくいかないよ」と言われ、こんなことを本当に思っている人間がいるのかと心底驚いたと同時にとても満たされた気持ちになった。

今は無理せず生きられているから、気持ちも楽で、母のことを気にせずに暮らせるようになったのだと思う。ただ、私は今でも母のことが好きで、たまに連絡もするし、母の好きなものを買って送ったり、心が離れていったわけでは決してない。全く母のタイプではない彼氏を紹介したらどんな反応をするかなと少しびびっていたが、年末にFace Timeで紹介をしたらなんだか好反応だったので、やっぱり私は気にしすぎていたんだと思う。


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