子育ては楽な方がいい

子育てに限ったことではないですが、考えてみたら、私は昔から「楽する」ことを追求するのが好きだったと思います。

たとえば、大学生だったある日(私は被服機能を専攻していました)、私は布の性質を調べる実験をしていました。布の形状が変わる様子を、針とペンを使ってプロットする作業をしていたのですが、何しろ地道な作業です。で、考えたのは、その形状を同じ条件で撮影し、その面積を計測して済ますことはできないかということ。当時の指導教官は苦笑いしつつも「楽しようとする考え方は発明を生むから、大事なんだ」とも言ってくださいました。

また、ある時、大量の商品の中に、注意書きを入れ忘れてしまったことがありました。仕方なく、全部開けてチェックをしていたのですが、大変な作業だし、袋は再利用できないので無駄になってしまいます。考えた末「紙一枚分が違うんだから、精密な秤で袋ごと計ったらわかるんじゃない?」と提案しました。(結果として、衣料品は重さの誤差があるので、これでは違いはわかりませんでしたが。)

そんなわけですから、私は子育てでも、当然楽をすることを大事にしていました。

先の実験の例でも、袋の例でも、目的は、大変な作業をすることではないはずですよね。子育ても、大変な思いをすることが目的ではなく、子どもが健やかに育てることが目的なわけです。だったら、それは楽な方がいいのではないのでしょうか。

もし楽して実現できる方法があるとしたら、それは時間の節約になります。単純作業を繰り返す虚しさもなくしてくれます。先の袋の例で言えば、資源(袋)を無駄にしません。こうしたことが、気持ちの余裕も生んでくれます。

子育ては(そしてそれ以外の先の例も)修行ではありません。楽して子育てできる方法があれば、採用したら良いのではないでしょうか。今の世の中、楽をするための方法はたくさんあります。

そして、そんな楽できそうな方法をいろいろ試した結果、たどり着いたのは、おっぱいと抱っこ。ほとんど文明の利器を使わない方法だったのです。「え?」と思いますよね。それは修行なのではないかと。

このあたりを次回は話していきたいと思います。


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