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2023年6月振り返り(「科学者はなぜ神を信じるのか」のレビューをしようとしたら、「なぜ人はカルトに惹かれるのか」を思い出したという話)

 先月までの振り返り↓

<料理>

・鉄フライパン初使用

2年ほど使っていたテフロンのフライパンがダメになったので、新しくフライパンを買いました。昨年購入した26cmのステンレスフライパンだけでも満足しているのですが、ちょっとした料理だとオーバースペックかつガス代泥棒なので、小ぶり(20cm)のフライパンを買うことにしました。

本当は20cmのステンレスプライパンを買うつもりでいたのですが、気に入るものがなく、かつ鉄フライパンを試してみたかったので、こちらを選びました。折角なのでやたらいいモノを買いました。

まだ扱いに不慣れだったり、油が馴染んでいなかったりするので、それなりにくっつきます。精進します。

<勉強・読書>

・1.5冊読破

1冊読破、もう1冊は半分読みました。まず読破した本から。

★科学者はなぜ神を信じるのか

もうタイトルからして面白そうな本ですが、読んでるとやはり面白かったです。宗教に積極的なかかわりのない我々日本人(少なくとも私)は聖書に書いてあることを科学で論駁したくなるものです。一方で、神を信仰する科学者は神の考えた世界を理論で表したいがために頑張ったし、敬虔な人たちはそのエビデンスを基に聖書を解釈するようです。この下りは目から鱗でした。

知識層の多くが神学を修めていたこの時代は、自然科学者の多くも聖職者でした。そこでは科学者と神の関係は、概して単純なものでした。すなわち科学を進歩させたのは、愛する神のことをもっと知りたいという純粋な衝動でした。しかしその結果、聖書や教会の定めとの矛盾に気づいてしまうコペルニクスのようにすぐれた科学者は、信仰と研究のはざまで葛藤することにもなったわけです。

科学者はなぜ神を信じるのか Kindle版 p74

 ガリレオが次のように語ったことがあります。
〈聖書と自然はともに神の言葉から生じたもので、前者は聖霊が述べたものであり、後者は神の命令の忠実な執行者である。二つの真理が対立しあうことはありえない。したがって、必然的な証明によってわれわれが確信した自然科学的結論と一致するように、聖書の章句の真の意味を見いだすことは注釈者の任務である〉
 ヨハネ・パウロ2世(編注:1992年当時のローマ・カトリック教会の教皇)は声明のなかで、このガリレオの言葉を正しいと明言しました。つまり、聖書の読み方は、科学の進歩によって変わるべきであることを教皇が認めたのです。

同 p117

本の中には宗教と科学にまつわる負の歴史(天動説)も紹介されています。アリストテレスが提唱した天動説をカトリック教会が採用し、地動説を異端として取り扱うようになりました。この経緯を綴った記述が、現代にも通じる話で悲しくなってしまいます。

地動説が正しいことを知っている私たちは、天動説に固執した当時の教会を非科学的だと決めつけがちですが、実は教会が天動説を採用したのは「科学」によって理論武装するためだったのです。しかし、ローマ時代に衰退してしまっていた自然科学(編注:支配したギリシャで発展していたが、ローマ帝国では軽視された学問)には、これに反駁する力はありませんでした。学者たちの目は夜空に向かうのではなく、1500年前の資料が眠る倉庫に向かっていました。

同 p58

教会の権威が高まった結果、一定の意見のみ信じてそれ以外を排斥し、真実から遠ざかってしまいました。現代のエコーチェンバー現象と同じです。

不謹慎かもしれませんが、この本は以前読んだ「なぜ人はカルトに惹かれるのか」を思い出す話でした。カルトにハマる人は、決して思考停止に陥っているわけではなく、指導者の教えが正しいという前提で周りの物事を解釈するそうです。また、カルト宗教と「普通の」宗教の間には一見大きな隔たりがあるように見えても、教義をはじめとして共通するものが多いために、地続きであると筆者は主張します。

 ここで私は、オウムも正しかったのだと言っているのでは決してない。宗教と言うのは、このようにして狂う要素を、そのどこかに持っているのだということだ。そして、既存の宗教においても、救済の名のもとに人を殺したり、特定のグルに依存したり、神秘体験を救済の証だとして絶対視したりということは、その歴史の中で幾度となく経験していることだ。現代の名のある伝統教団でも、修行僧へのいじめや、教団職員に低賃金で過度な労働を要求することを、信仰の論理で正当化することをやっている。これは「サリンガスでの大量殺人」を教祖浅原への帰依の踏み絵と舌オウムの論理と、程度にして大きな差はあっても地続きの問題である。
 オウムの事件で明らかになることは、カルトの問題とは、上記を逸した教祖が信者を洗脳して、集団で暴走するような単純な出来事ではないということだ。私は、人間にはこうしたことに身をゆだねる、潜在的な願望があるのではないかと思う。それが何が真実か分からない世界に理由もなく生まれ、死に向かって生き続ける中で、かりそめの生きがいや幸福に身をゆだねるのではなく、はっきりとした真実を知り、その真実に生き抜きたいという願望だ。それが特定の人たちに利用されたり、あるいはそれ自体が純化して暴走を始めることが、カルトの問題の根底にあると思うのだ。それが、ときのそのために人を殺し、社会秩序を破壊することも厭わないという考えにつながっていく。人をして社会秩序を乗り越えさせるのは「真実への願望」ではないか。

なぜ人はカルトに惹かれるのか p101-102

信仰を突き詰めた結果、一方では科学の発展へ貢献し、もう一方ではテロに繋がるという両極端なことになっています。信仰に限りませんが、突き詰めればどの方向に対しても原動力を与えるということでしょうか。

余談ですが、本の中で急に著者のヘイトが溢れている記述があって笑いました。

 スコットランドのジェントルマン(イギリスでは資産家や貴族の家に生まれて働く必要がなく、好きなことをして暮らせる人のことを「ジェントルマン」と呼びます)

科学者はなぜ神を信じるのか Kindle版 p169

★REBEL IDEAS

邦訳版として「多様性の科学」がありますが、英語の勉強がてら原著で読んでます。こちらはまだ読書中です。現代で多様性と書くと、ほぼ性別の多様性とイコールな気がしますが、この著者のコアメッセージは思考の多様性を重視しています。まだ半分程度なので、あっているかどうかはわかりません。

性別はもちろんのこと、人種はどうか、移民か否かなどでも考え方が変わります。例えば移民の場合、行きついた国の慣習や常識などには当然馴染みがありません。逆に言えば、その国の住民が囚われている固定観念を簡単に打ち破る力があります。著者は、Fortune500にある企業のうち43%は移民が単独・共同問わず設立した企業である理由の一つはこのことにあるのではないかと説明しています。

他に書きたいことはまだありますが、半分しか読めていないので、とりあえずここまでで。

<その他> 

なにかあった気がするけど上のレビュー書いてたら忘れたよチクショウ!!!


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