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サイレンを待つ

 空き箱のように殺風景な部屋で眠っていたわたしは、迷い人を知らせる放送で目を覚ました。
 昨夜から未明にかけて、女性がひとり行方不明になっているらしい。年齢はわたしと同じ25歳で背格好も近い。仕事からの帰宅途中、行方がわからなくなったという。
 つい最後まで耳を傾けていたわたしは、芽生え始めた取るに足らない感情をうやむやにするのもなんだか気が引けて、まどろみにまかせて「へぇ」と短い声を枕に埋めた。
 ベッドから起き上がり、台所でコップ一杯の水を飲む。体内にゆっくりと流れつたう水分の冷たさが、本来の自分を刺激してくれているような気がした。段々とはっきりしていく意識の隙間で、わたしはさっきの放送を思い出す。
 ツイッターで検索してみても、それらしき目撃情報は見当たらない。迷い人を知らせる放送なんていくらでも耳にする。でも、見つかった報告を聞くのは少ない。普段はおじいちゃんやおばあちゃんを知らせているイメージがあるせいで、どうにも引っかかるものがある。
 彼女はどこへ消えたのだろう。夜の街で、たったひとりきりで。
 もどかしさを無理やり飲みくだそうとさらにもう一杯の水を飲む。心なしか、水はぬるく感じられた。

 相変わらず、日々は淡々と過ぎていった。
 時間を浪費するために仕事をこなす毎日。メールをチェックし、注文書を整理して出荷の手配をひたすら繰り返す。やりがいを感じられるほど確かな手応えはないけれど、無機質と呼ぶほどルーティンワークでもない。次の仕事をどうこなせば効率よく終わらせることができるか、そればかりを考えていた。社会の流れに順応すると、自分の存在が次第に世界そのものに融解されていくようだった。
 なんでわたし、ここに居るんだろう。
 ぼんやりと頭に浮かんだその言葉は声にもならず、意識の底に薄れていく。電車の吊り革にかかる指先がじんじん痛む。そのささいな痛みだけが、どこか遠くを夢みるわたしをぎりぎりのところで繋ぎとめてくれていた。

 終電で帰った日、わたしはバスを逃して家までの道のりを30分かけて歩いていた。
 高架下で息を潜める人影たち、終バス後のバス停で語り合う大学生、折れたハイヒールを手に涙を拭う女、抱擁を重ねる年の離れた男女。
 夜の端々でまだ動きはじめる前の、あるいは動き始めたばかりの人間関係が垣間見える。明かりのない真夜中だからこそ浮かび上がる光景に、わたしはつい視線を奪われてしまう。
 月を背にして歩く。ふらふらと見えない線をたどるように、折り目に沿って夜の終わりを丁寧に折りたたむみたいに。次第にわたしという存在そのものさえ、小さく折り込まれて暗闇の隙間にすっぽり収まってしまいそうな心細さが胸をさす。
 だれか、と思わず声がもれる。
 街灯の下に立ち止まり、アイフォンを取り出してツイッターを開く。なんでもいいから繋がりが欲しかった。
 開いた数秒後、あの迷い人について検索した履歴が目に留まる。わたしは顔も名前も知らない彼女について反芻した。まだ彼女が見つかったという知らせを聞いていない。
 彼女は今もどこかで、だれかが自分を見つけてくれるのを待っているのだろうか。わたしと同じように、夜の街でひとり取り残されているのかもしれない。
 冷たい風が頰をなでつける。気がつけば、月は雲の流れに呑み込まれて、辺りはひどく仄暗い闇に包まれていた。
 
 次の日、わたしは迷い人を知らせる放送で目を覚ました。

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