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2021年振り返り

こんにちは。ヨシミツダです。
今日は大晦日です。
ギリギリになりましたが、2021年を振り返りたいと思います。

最終面接不合格の余韻

2021年の最初は、少し不安を持って始まりました。年末ギリギリに転職先候補の一つで最終面接まで進んでいた会社の最終面接が不合格だったのです。
2020年の年末のことでした。
その時点で、2社最終まで進んでおり、関西✖️異職種への転職ということで転職先候補もそんなに多くはなかったので正直焦りました。
ただ、不合格になったことで残る1社に対しての覚悟が明確になり、結果的によかったと思います。

また、不合格になった会社は一次面接、二次面接、さらには最終面接で「転勤は大丈夫ですよね?」という質問があり、大丈夫だと回答したものの正直ひっかかっていました。今思えば給与条件がよくても単身赴任生活は、つらかっただろうなと感じます。
今だからこそいえますが、家族と離れて生活することは絶対にしたくないと思います。
ましてや、子どもが小さい今の時期に一緒に過ごす時間は2度と戻ってこないのです。

話を戻します。データサイエンスに絡む仕事がしたい、そのために自分をアップデートしたいというのが転職の動機でしたが、すでに40歳になっている人間にジュニアレベルの教育をしてくれる会社はありません。Factory Automation業界でのプロジェクトマネジメント経験などを足がかりに、最終面談までなんとかたどりついた感じです。なので、もう1社(今の会社)に受かった時にとても安心したことを覚えています。

早々に考えたポジショニング

入社してオンボーディングの受け入れをしてもらった後に、早速データサイエンティストとしての仕事を開始しましたが、一流になるには時間がかかるなと早々に感じました。恐らくオンボーディングは100時間くらい、各種データサイエンスの通信講座を受講すれば素地はできると思います。ただ実際に問題を解く場合のサイエンスの知識や、ドメイン特有のサイエンス、エンジニアリングの知識などもあるので、学ぶことが沢山あることは私にとって喜びであるものの、新卒でもない私がヨチヨチ勉強していても大きなバリューは発揮できそうにない。どうしようかなと考えていました。

価値を紡いだジェネラリストのスキル

その時点で私にあったものは、プロジェクトをオーガナイズしてマネジメントするスキルや、業界の技術に関するドメイン知識でした。幸いなことに会社の成長に伴いPjMの需要は増加しているものの、社内でPjMは不足している状態でした。そんな社内事情もあって、私は特に注力アカウントのPjMを担当することになりました。データサイエンティストが多くいる会社ではPoCがたくさん走っていることが多いです。そのうちいくつかのプロジェクトがプロダクト化されたり、プロダクトの機能として組み込まれることがでてきたときに、やはりPoCのソフトウェアのままだと、前提が不足したりしているので改めて必要なタスクを洗い出すようなことが必要になるのです。一方でコアな技術は機械学習だったりするので、そこの理解がないとよいデザインはできません。アプリケーション開発チームのメンバも機械学習にめちゃくちゃ詳しいわけではないため、必要な要求仕様はPRDにしっかり残してあげる必要があります。そうやってできることから足場を作り、価値を発揮することを意識していきました。

ただ、私の所感ではソフトウェア技術者であれば、40代くらいからデータサイエンスを勉強してリスキリングすることは、全然できるんじゃないかなという気がしています。
今いる場所にそういった技術がないことが多いと思いますが、大学のオンライン資料、オンライン講座などかなりコンテンツは多いです。
分野もかなり細分化しているので、専門の分野を絞ればキャリアをソフトウェアエンジニアからトランジションすることも可能ではないでしょうか。

組織の土台を築く楽しさ

今所属している会社は、いわゆる数人で立ち上げる時期は過ぎていて、人がどんどん増えていっているようなフェーズです。そんな中、医療系のソフトウェア製品を開発するために社内で品質管理システムを構築する必要性がでてきたため、前職がメーカーでISOについて比較的経験があった私にも白羽の矢が立ちました。
前職ではただ社内で決められたルールに従って、開発を進行していたのですが、今回はそのルール自体を作る立場を経験することになりました。
なにせ、各種手順やデザインレビューのやり方、ドキュメントの管理手順などをゼロから作らなければならなかったのです。これはものすごく貴重な体験でした。また、Gitを使って設計ドキュメントを管理できるようにしてCI/CDでPDFファイルの形で保管できる仕組みなど、この機会に構築することができました。

このように、成長過程であるが故に発生する組織の土台を作っていく仕事も楽しさを感じました。

プロダクトマネージャーになる

海外でPMという書き方をすると、通常はプロダクトマネージャーの方を意味します。そのため、プロジェクトマネージャーのことをPjM、プロダクトマネージャーのことをPdMと表記をわけて区別します。

プロダクトマネジメントという本ではその違いを以下のように説明しています。

プロジェクトマネージャー
「いつ」に責任を持つ。
 ・いつプロジェクトが終わるのか?
 ・すべてが予定通りか?
 ・締め切りに間に合うのか? 
というようなことが関心事となる。

プロダクトマネージャー
「なぜ」に責任を持つ。
 ・なぜこれを作るのか?
 ・どうやって顧客に価値を届けるのか?
 ・ビジネス目標を達成する上でどう役に立つのか?
ということが関心事となる。

「なぜ」に答えるためには、顧客やビジネス、マーケットや組織といったことを理解した戦略的なマインドセットが必要です。これは優れたプロダクトマネージャーであるための極めて重要なスキルなのです。 

前職では、このPjMとPdMの役割がごっちゃになってプロジェクトマネージャーと呼んでいたりしていたので、改めて自分がやりたいことは何かと考えたらどちらかというとPdMの役割でした。

ちょうど、立ち上げたばかりのプロダクトを任せられることになり私はPdMになることにしました。

PdMになることを決めてからTwitterで発信する情報も、プロダクトマネジメントに関わる内容を意識するようにしました。

英語を学ぶのではなく英語で学ぶ

話は前後しますが、今いる会社は海外出身(海外居住)のメンバーが30パーセントくらいいたので、入社してからの自己紹介も英語でやって下さいと頼まれてびっくりしました。会議も英語と日本語、半々くらいでした。英語は嫌いではありませんでしたが、前職ではほとんど使っていなかったので最初は会話についていくのが大変でした。

とりあえずよく使うセンテンスをまとめたり、海外メンバー使う表現を耳でコピーしたり、DeepLやMeetのリアルタイム字幕機能など使えるツールをすべて駆使して日々過ごしているうちに、だんだん言ってることはほとんど理解できるようになりました。話す方は3歳児くらいのレベルではないかなと感じます。

そんなこんなしてるうちに一参加者として会議に出席する立場から、会議をホストする立場になったり、海外のお客様との商談に参加するなど、どんどん敷居が上がっていくので、やることに合わせて必要になりそうな表現を覚えるという風なことをやっていきました。

さらに10月くらいから海外の開発チームのマネジメントも担当することになり、ちょっとジェットコースター感がすごくなってきました。

そこまできた時に、英語を勉強するのは卒業して、英語で勉強しながら英語を覚えようという方針に方向転換しました。これは私が勝手に師匠と呼んでいる萩原さんの言葉なんですが、ここまで業務に英語が必要になってくると、他のことも勉強しないといけないので時間が足りません。なので、必要なことを英語で学ぶようにするのです。海外の知識も獲得できて一石二鳥という感じで、英語で調べものしたり、ブログを書いたりするようにしてます。

マネージャーになる

そして入社して半年が経ち、入社前のシナリオからは変わりましたが、10月からプロダクトグループ、アプリケーショングループのマネージャーになりました。

ちなみに入社前のシナリオは、データサイエンティストになって独立性の高い仕事を身につけつつ、フリーランスになってもやっていけるようにするというイメージでした。データサイエンスの勉強はコツコツやっているものの、どかーんと進むのは難しいです。ただ、この分野に関しては知識のアップデートが必要だと感じて転職もしているので、勉強はずっと続けていくと思います。

もともとのミッションであるプロダクトの完成度を高めることや、新プロダクトのMVPリリースはもちろんですが、EX(エンジニア エクスペアリエンス)の向上、海外チームと日本チームの連携強化、エンジニア広報・採用活動などにも取り組んでいます。何かを始めることが好きなので、組織作りをしながら仕事を広げられる今はとても楽しいです。

今年のストレングスファインダーの結果

今年実施したストレングスファインダーの診断は以下のような結果でした。

1.個別化
2.活発性
3.最上志向
4.学習欲
5.運命思考

若い頃一度だけ受けたことがあったのですが、その時と比べると個別化の考え方は、ものすごく強くなっている気がします。これは、北野唯我さんの戦国ベンチャーズを読んだり、その過程での北野さんの発言を聞く中で影響を強く受けていると感じます。


活発性に関しては、もともと起承転結でいうと完全に起承フェーズが好きな人間なので、新しいことをどんどんはじめられる今の仕事はとても楽しいです。ただ、転結フェーズの仕事は、甘いというか特に結ぐらいまでいくと、興味が残っているかも怪しいところがあります。前職では、全てのフェーズを自分でやろうとして、転結型の人に何か指摘されると「面倒な奴らだな」みたいなネガティブな受け止め方しかできていませんでした。
改めて自分の強みを認識すると、達成欲、戦略性、分析思考が強みである人達とうまく仕事をすることでいい結果がだせるのではないかと考えています。

学習欲、最上志向、運命思考は前と変わらない性質ではないかと思っていて、学習することが好きだからこそ今の仕事をやっているし、昔から最高のものを作りたい、そして人の強みを最大化したいという思いは前述の通りです。

歴史や地政学が好きなことも、運命思考の影響かもしれません。なぜ、争いがおきるのか、なぜ栄えたり、衰退したりするのかルーツを調べることが好き
なのです。

はじめて活用できた茶道スキル

実は20代の頃から茶道を習っていたのですが、日常であまり使うことがないので、自分の中ではイマイチだと感じていました。使わないものに果たして価値があるのか、やめようと考えたこともありました。

そんなとき新しいセカンドオフィスが11月にオープンする時に思い切って、抹茶をふるまってみようと思い立ち、準備をはじめました。会社のロゴを捺印した和菓子を京都の老舗の和菓子屋さんに創作してもらい、抹茶をオープニングイベントにきてくれた人にふるまったところ思いのほか好評で、個人的にはやっとアウトプットすることができた気持ちでした。長くだらだら習っていたのでモチベーションが低下気味でしたが、やはりお茶はおもてなしをしてなんぼやなという気持ちを実感しました。

成長する子ども達

家族関係の話では、上の子が小学校に入学し、下の子は保育園で年中さんになりました。
この年代の子は、ちょっとしたきっかけで昨日までできなかったことが急にできるようになるのでびっくりします。
今年は上の子は縄跳びや跳び箱ができるようになったり、下の子はブリッジができるようになりました。下の子がマフラー作ってるときは、本当にビビりました。子ども達が何かにチャレンジするとき、邪念や迷いのない行動への移行をみていると、自分もこれくらい何も考えずに、まずはやってみないといけないと感じました。

身体性への目覚め

個人の仕事管理術としては、エネルギーを管理するという概念を日々の業務に取り込むようにしました。

メンタルヘルスマネジメントは、働く側も雇用する側も持つべきリテラシーになりつつあると思います。
自身のエネルギーを無視して、時間管理する仕事のやり方ではメンタルヘルスを阻害しかねません。
エネルギーを管理するには身体の仕組みを理解して、認知負荷をシチュエーションに合わせて適切に管理できるようにします。

朝は脈を適度に上げられるような身体を温めます。具体的にはウォーキングを始業前に実施し、業務開始時に体調のピークをいくようにしました。

エネルギーの漏洩、発散を回避するために以下のようなことを行いました。

・食べすぎない、飲みすぎない。
・睡眠時間は7時間以上確保
・基本早起き
・スラックなどのチャットは都度反応せず、ミーティング終了からタスク移行などのトランジション期間で返すなど認知負荷の低いタイミングに返す。
・計画フェーズと実行フェーズを分ける
・計画は前日に完了しておく

また、1日のエネルギーが枯渇したと感じたときはいつもより早めに寝たり、ネガティブな出来事が多いときには、その日のうちにポジティブなことで処置をして次の日に影響を持ち越さない工夫をしていました。

瞑想や子供にくっつくなどすることも回復には有効でした。

バイモーダルワークに向けての活動

バイモーダルとは、「2峰性の」という意味で、バイモーダルITという考え方で有名です。

バイモーダルITとは、IT調査会社のガートナーが2015年に提唱した考え方で、コスト削減や効率化を重視するSystem of Record(SoR)向けの「モード1」と、柔軟性や俊敏性が求められるSystem of Engagement(SoE)向けの「モード2」という“2つの流儀”を使い分ける手法のことを意味します。ウォーターフォール型開発とアジャイル開発という開発手法の違いに用いられることや、組織の区分けなどについて語られることがあります。

バイモーダルワークとは、私が勝手に作った造語で、自分の価値を高めて労働市場に価値を認めてもらうという従来の働き方(モード1)と労働市場に評価されるわけではないが、自分の内発的衝動に基づく動機づけで押し進める働き方(モード2)の2つの流儀を使いわける仕事のやり方と定義しています。

今年私はこのモード2のアクションを知人のお誘いを受けて始めたところで、具体的には以下の2テーマで具体的アクションをとるべく活動しています。

・中年世代(30代後半から50代半ばくらい)までのミドルトランジション(ライフキャリア転換)を支援する活動
・海外の技術者(労働者)を日本に招き、その仕事の満足度や日本での生活体験の価値を向上する海外労働者サクセスに関わる活動(OSES)

どちらも、高齢化社会でのペインを想像して考えた活動ですが、前者の活動について京都市のオープンイノベーションカフェ(KOIN)のACCELERATOR PROGRAMでメンターについていただき、進めることができるようになりました。


ぼんやりした内容を言語化するだけでも、前に進んだ気がするので、あと2ヶ月ほどがんばってなんらか最初のアウトプットを形にできたらなと考えています。

今はモード1の仕事も楽しい状態ですが、徐々にモード2の仕事に移行していく、そんな予感がしています。

かなり長い振り返りになりましたが、2021年は私にとって、本当に記憶に残る年になりました。
何よりスタートアップの世界は、これほどまでに楽しいとは。

来年も、新たな目標を決めてがんばります。
それではまた。

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