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働かない人って、どう思いますか?

19年間の長~いトンネル時代を抜けて、やっと会社が軌道に乗った創業23年目に思うこと。
残業土日出勤当たり前のドタバタ自転車操業から、どうやって週1日3時間の勤務で年1.4倍のペースで成長する会社に生まれ変わったのか?

キーワードを挙げるなら、この2つだと思う。

『ヒエラルキー』と『自己愛』

いつかは出口にたどり着くと信じてトンネルダッシュを繰り返し19年という年月がすぎると、さすがに気づくことがある。

「もしやここは無限ループ?」

トンネルとは言え19年間という年月を生き延びてきているわけだから、あんなことやそんなことやこんなことなど、それなりにいろいろ、だいぶいろりろ、かなりりろりろやってきている。
(「い」と「り」って似てる。どうでもいいけど。)

それでも「うまくいかない」。
19年間儲からないのである。

すると、いい加減自分を疑いだす。

何か根本的にまちがっているんじゃないのか?
決定的に勘違いしていることがあるんじゃないのか?
そもそもオレ自身に大きな問題があるんじゃないのか?

「もうこれしか残っていない。
 これでダメだったら、会社を畳もう。」

その覚悟で取り組み始めたのが、ヒエラルキー型の経営 である。
2018年8月のこと。

それまでの僕らは、スーパーフラットだった。
それが信条だった。
学生起業、大学時代同期3人の共同経営、フラットを地で行くとはオレらのことよ!くらいのノリ。

長いトンネル時代も終盤に差し掛かるころ、世間ではちょうどティール組織なんかがもてはやされ始め、

「ついに来たんじゃないの!?やっと時代がオレたちに追い付きはじめたんじゃないの??」

くらいのことを本気で思っていたくらいのフラット。

まさに180度の大転換。

みんなで同じように汗をかくフラットな社長改め、
ヒエラルキー型組織の社長は、役割として暇 なのである。

ちょうど、ほかにやることが思いつかないくらい一通りやりつくしていたタイミングだった。それなのにトンネルを抜ける兆しzero。
そのタイミングで、ヒエラルキーを再解釈した、現代版ヒエラルキーとでも呼べる世界観に出会ったのだ。
ある意味、究極的に合理的で無駄を排除した哲学。

役員3人で話し合い、それまでの自分たちの信条と決別することになるが、思い切って導入する決断をした。
大英断である(何かが振り切れたという意味で)。

そして1年後・・・、


僕らは 過去最大の赤字 に直面することになる。


HAHAHA~
もう笑うしかない。

単なる赤字ではない。
それまでなんとかしのいできた一線を踏み越えるヤバメの刃な赤字だ。

そうして、
僕はそれまで避け続けていた関門にぶち当たることになった。

従業員を半分に減らす

ずっとわかっていた。
会社には、やっている商売に対して、適正人数というものがある。適正人数を定義するなら、今の売り上げで会社が黒字化する運営人数のことである。

わかっていたけど、怖くて手を打てなかった。
やっている商売に対して、商売の規模に対して、抱える人の数が多すぎた。
それでもそれをポジティブシンキングよろしく敢えて契機と捉えて、一人ひとりを人財として売り上げに替える道を探った。
ヒエラルキーの導入も、そこに目的があった。

その結果が、ヤバメの刃な赤字だった。

経営はシンプルだと思う。

「見えている売上に対する予算の配分と管理」

言い切ってしまえばやることはそれだけだ。
それだけやれば、100%黒字になる。
必要なものはたくさんある。言い出せばキリがない。
それでも、本当に必要なものは顎がはずれるくらい限られている。

何が本当に必要なのか?
それを見分けて実行することが経営の本質と言ってもいいかもしれない。

問題は、それができるかできないか。
僕はそれができなかった。

じゃあ今は?

アイムソーリーひげソーリー。
今もたいしてやれていない気がする。

「どういうこと??」
と突っ込むあなたのためにご用意いたしました。

それがもう1つのキーワード、

『自己愛』

『ヒエラルキー』と『自己愛』、
どちらかが欠けていても、今の僕はなかった。
会社が軌道に乗ることもなかった(気がする)。

話には続きがあるけど今日のところはこの辺で。
また次回!

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