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ホワイトなヒエラルキー、ブラックなティール。

今年で創業23年目。長く続いていることを褒められることがあるけど、ぶっちゃけ起業後19年間は鳴かず飛ばずのトンネル時代だった。
ターニングポイントは2019年7月。そこから、週1日3時間の勤務で年1.4倍のペースで成長する会社に大変化。事業は輸入メインだけど、円安や世界的なインフレ、燃料高騰による仕入れ原価爆上げにもめげず、2022年上半期は最高益も達成。

キーワードは『ヒエラルキー』と『自己愛』の2つ。
今回は1つ目のキーワード、『ヒエラルキー』に迫りたいと思う。

ヒエラルキーと聞くと、どんな感じがするだろうか?
アレルギーを示す人たちが結構いるんじゃないかと思う。そういう僕もそうだったし、会社をスーパーフラットからヒエラルキー型(ピラミッド型)にした後、1年間くらいは社内のザワザワが収まらなかった。
しかも、ヒエラルキー導入1年後に業績は過去最大の赤字。従業員を半分に減らさざるを得なくなったため、当然のことながら社内の反発は大きかった。

振り返ればここがターニングポイントだった。
2019年7月のことである。

このタイミングで再びフラットに戻すことは考えなかった。なぜなら19年間スーパーフラットでトンネル生活だったからだ。
やっている事業に対して人を抱えすぎていたのは別の問題だということも分かっていた。むしろヒエラルキーがその問題を鮮明にあぶりだした。
だから僕の決断は、従業員を半分に減らしてヒエラルキーを続けることだった。
問題は、過去最大の赤字を出す中で、従業員を半分に減らしたうえで、会社をさらにヒエラルキーにはめに行くことでどのような批判に晒されるのか、その心理的抵抗とどう向き合うのか、そちらの方だった。
周りからの失望、反発、非難。それらを受け入れられるか?それこそが僕の関門だった。これがもう1つのキーワード、『自己愛』につながるのだが、それはまた別の機会に。

もちろんティールという選択肢もあった。が、ティールには確立された再現可能なパターンがない。まさに複雑系そのもの。扱うマネジャーの人間的な成熟度も問われる。資本主義経済、株式会社という枠組みに合った組織論なのか、疑問もある。なによりも、自分自身の成熟度、組織としての成熟度、業績の状況を冷静に考えたときに、時間がかかりすぎて先に会社がつぶれてしまうと思った。
一見ティールでも、経営陣の抑圧で成り立っている逆ブラックな会社あったりするのでは?と思ったりもする。何を隠そう、以前の自分たちがそうだった。

「無理してやる必要ないっしょ。」

そんなこんなで、ティールはこの先の選択肢の1つ、でも今はヒエラルキー。それが僕の決断だった。

結果どうなったか?

過去最大の赤字を出した半年後に業績はV字回復を遂げ、以降コロナの風吹く中、毎年1.4倍のペースで成長を続けている。従業員1人当たりの平均給与も半期ごとに上げ続けることができているし、社員1人あたりの残業も月10時間以内に抑えられている。
ぶっちゃけフラットだった頃と比べて、ヒエラルキーの今の方がずっとホワイトになったと思う。今の路線でもっとホワイトにできると思うし、どうせなら白飛びするくらいホワイトにしようと思っている。

では、具体的にどうヒエラルキーを導入したのか?
ホワイトなヒエラルキーとはいったい何なのか?

その話をするにあたって紹介しておきたい会社がある。その名も株式会社識学。ヒエラルキーの導入を決断したきっかけは識学との出会いだった。彼らに学んだことを語らずに具体的な話をすることはできない。
識学のコンサルティングを受けたのは2018年8月から翌年7月までの1年間ほどだったけど(なにせ過去イチの大赤字をたたき出したので、識学も経費削減の対象)、今も自分なりに咀嚼したうえで識学に学んだノウハウを活用させてもらっている。

識学の詳細はこちら↓


ここでは、僕なりの解釈で識学を説明したいと思う。識学の教えと異なる部分もあるかもしれないけど、そこはかわちか流ということで。

先に伝えておくと、僕としては社長業をあまり自己同一視せず、プレイの1つとして楽しむことにしている。
独占的な通貨発行権を文脈とする資本主義経済は、「ここから外の世界のことは知りません」というつれない境界線をどこかで引かない限り、WinWinすら成り立たない。そしてその海は、日に日に赤さを増している。ヒエラルキーでもティールでも、コンテンツが文脈を変えるわけではない。個人としていくら意識を高めたところで、文脈を生み出す集合無意識はまた別のリアリティだ。
100年後に今と次元の違う豊かな世界があったとして、そこではどんなお金が当たり前なのか?どんな経済が循環しているのか?どんな出来事が起こり、どういった合意が形成されてそこに至るのか?
そんな文脈の差し替えストーリーを妄想しつつ、今日も適合よろしく「えんやーこらせ~」と資本主義経済なる海を漕ぐのである。
すべては妄想の実現のために。

 
 識学とは?
 ヒエラルキー型組織において、
 目標に向かって自走するチームをつくるために、
 責任と権限の一致を仕組化し、
 成長※を評価する循環を生み出すことで、
 所属の動機付けをはかる
 思いのほかホワイトな組織論。
 ※ここでの『成長』とは、資本主義経済に適合する能力を高める意味。


識学では、組織の存続条件として、次の2つの前提を仮定している。

 前提1)構成員が同一の目的を共有していること。
 前提2)外部に対して有益性を発揮すること。

まずは前提1を満たすべく、ルールの設定を通して同一の目的を共有する。ルールには、役割定義、目標設定、評価制度などが含まれる。
そして前提2は、1人1人が設定されたルールに基づいて役割を実行し、結果を出すことで自然と満たされることになる。

上記2つの前提が成立した状態をいかにスムーズに作り出すかが『識学』で、そのための効率的な組織のあり方として、ヒエラルキー型(ピラミッド型)組織を選択する、という話である。

図解するとこんな感じ↓

識学流ヒエラルキー


ヒエラルキー型組織は、意思決定が上意下達であることが基本的なスキームだ。意思決定は、ルールの設定ともいえる。つまり、上意下達で上記2つの前提を満たすべくルールを定めていく。言い切ってしまえばそれだけだ。
上が偉いとか発言権が強いとかそういう話ではなくて、川の水が高いところから低いところへ流れるように、意思決定をポイントAからポイントBに向かって一方向に流す、ただそれだけの話。
そして今度は、下意上達で『行動の結果』を数字として返していくことでコミュニケーションを図り、最終的に組織の有益性につなげるのである。
図の双方向の矢印部分がコミュニケーションが発生するポイント。2階層間でしかコミュニケーションが発生しないことも識学の大きな特徴だ。
(業務遂行に必要な横のコミュニケーションは必要に応じて行う感じ)

たとえば、全体目標をつくるのは社長である僕の役割だ。全体目標をどれくらいの予算で達成するかを決めることも僕の役割だ。そのためにどんなビジネスモデルを選択するか、どんな役割を配置するかも僕の役割だ。
ただし、社長の権限は思いのほか限定的でもある。実はここが味噌で、まずトップの社長から権限を絞り込んでいくことになる。
ヒエラルキーにおいては、トップにすべての権限があるかのように勘違いされることがあるが、これは本当に気絶しそうなくらいの誤解だ。
ヒエラルキーとワンマンはまったく別物なのだ。

僕が直接業務のやり取りができるのは、事業部門長を兼ねる2人の執行役員だけだ。原則として、彼らに渡すスケールでしか僕は物事を決められない。その先はアンタッチャブル。事業部門長が束ねるプロジェクトメンバーに僕が直接指示だし口出しする権限はない。事業部門長への指示だし口出しも極力避けている。監督がグラウンドに加われないのと一緒だ。すでにルールは設定済み。あとは走ってもらうしかない。
プロジェクトメンバーが直接僕に指示を仰いだり相談したりすることも当然NGだ。なんのための事業部門長か、ということになってしまう。
だから僕は徹底的に会社に顔を出さないようにしている。(そもそも必要ないという話だけど)
これが週1日3時間勤務の理由である。ルーティンは週1の役員ミーティングのみ。両手両足を縛られた状態ともいえるけど、だからこそそこでどう全力を尽くせばいいか知恵が働く。役割として鳥の目が得られる。結果、社長という役割の責任も果たせる。
もちろん情報はほしい。事業部門長を通して『行動の結果』という形で現場の状況を週1回のペースで定量的に吸い上げては、目標に届いていない部分があれば仕組みで返す。それを繰り返すのだ。

そして今度は、2人の執行役員が僕から渡された全体目標を達成するために、部門内での目標や予算、どんなやり方を選択するかをブレイクダウンしてマネジャーに渡す。2人の執行役員もまた、マネジャーが束ねるチームメンバーに指示だし口出しするのはNGである。マネジャーへの直接的な指示もできるだけ避ける。その代わり、現場の状況を定量的に吸い上げては仕組みで返す。それを繰り返す。
そして最後にマネジャーがチーム目標や予算、どんなやり方を選択するかをブレイクダウンしてチームメンバーに渡す。マネジャーもまた、指示だし口出しを避け、各メンバーの状況を定量的に吸い上げては仕組みで返すことを繰り返す。

どれくらいの規模の事業をやるかにもよるけれど、組織として実現したいことを実務のレベルまで落とし込むためには、最低でも3階層の役割が必要になると思う。視座も最低3階層は必要だと思う。
たとえば個人事業主として仕事をする場合も、結局いろんな視座を用いて思考をしたり、階層の異なる実務をしたりする。事業の規模が大きくなるにつれ、複数人で階層を分けて対応した方がうまくはまるのだと思う。


『仕組みで返す』とは、どういうことか?

『仕組みで返す』とは、最終目標をいじらない前提でルールを見直すことである。
たとえばチームメンバーが残業しないと業務が終わらない状況が生じていたとする。残業は大問題だ。なぜならあらかじめ定めた予算を超えてしまうからだ。
「もっと効率をあげろ!」と激を飛ばすのは星一徹すぎる。そんな化石なことを言われなくてもわかってる。何の意味もない。そもそも個人の業務のパフォーマンスをあげることは個人の責任のはず。
こういった場合には、たとえば上司の権限で役割を見直すという方法がある。より具体的には、チームメンバーが抱えている業務のうち、目標達成に遠いところを上司の責任で取り除くのである。すべての業務が目標達成に対して同等の重みがあるということはあり得ない。意味のないブルシットジョブや、都市伝説的に「それはやるべきだ」とされている根拠レスな業務はたくさんある。全力で走ってる現場では、それがなかなか見えない。だから上司の権限で何をやらないかを決め、予算を守りながらも目標が達成できるよう支援するのだ。
こうして仕組みで返していくのである。


コミュニケーションはどうやって交わすのか?

コミュニケーションのためのツールとして利用しているのが『成長シート』なるものである。成長シートには、各々にブレイクダウンされた目標が定量的に掲載されている。
目標設定は、事前に各階層ごとにプレイヤーと上司間で調整される。たとえば僕が立てる全体目標(目標というより推測と言った方がしっくりくるけど)は、現場の情報を吸い上げた執行役員との調整のもと最終的に定められる。そこからブレイクダウンがはじまる。上位下達といっても、事前に定量的な数字を媒介したコミュニケーションがなされるのだ。
そのうえで、全体目標を分解した数字を各『役割』に紐づけて、あらかじめ給料に連動させる。そして一度決めた全体目標は、原則としてシーズンが終わるまではいじらない。なぜなら話し合って決めた約束事(ルール)だからであり、そこを基準に定量的に査定がなされ、役割に対する給料として反映されるからだ。

この定量的な約束事を盛り込んだ成長シートをもとに、プレイヤーと上司間で定例ミーティングが行われ、目標に到達していない場合は互いに役割を果たして不足を補う。プレイヤーは結果を自責化して不足を見つけ、行動の変化を通して役割を果たす。上司は口や手を出さずに、プレイヤーが走りやすいよう目標を細分化する、目標達成に遠いと思われる仕事をとりあげる(捨てる)などして、仕組みで後方支援するのだ。

ときどき仕事を拾いにいったり「こうしたらいい」とアドバイスすることがいいことだと思う上司がいるが、良いことのようでブラックである。そうすることでプレイヤーのやる気をそいだり、逆に無責任な状態をつくりだして自走の機会を奪うことになる。そもそも上司に、プレイヤーに対して口や手を出す役割も権限もない。それをやると成長の機会が奪われ、ホワイトヒエラルキーの定義に反するのだ。必要な教育があれば、ルールの1つとしてあらかじめ設定すればいい。

これらの仕組みを、シンプルにプレイとして楽しむ、言ってみればシミュレーションゲームである。もしくは何かアドリブで舞台でもやっている気持ちで取り組む。たまたま僕は社長の役を演じている。
あまり自己同一視せず、特別アツくならず、かといって冷めもせず、シンプルにルール、権限の中で思い切りゲームを楽しむ感じで取り組んでいる。
どんなゲームかと言えば『ひとりじゃできなさそうなスケールのことをみんなで実現するゲーム』である。
もちろんゲームがうまくいくこともあればうまくいかないこともある。完璧などない。だからこそ葛藤が生まれる。不快にも直面する。こうして生まれる葛藤や不快をどう扱うか、人生の一部としてどう向き合うのか、どうせなら小島よしおよろしくそんな不快までをOPPして楽しむか、なんなら骨の髄までゲームとして楽しんでルールを知り尽くした暁には、「おりゃー!!!」と根こそぎちゃぶ台返しするようなルールのすり替えを目論むか、そんなこんなに本質的な『生きる充実』があるのだと思う。


さて、我ながら視座が高すぎる話は一旦わきに置いて、ナウな将棋の打ち方の1つにホワイトなヒエラルキーを、ということで、ポイントとなる施策をまとめると次の通り。

①必要な役割を定義する
組織がやりたいことの実現に向けて、必要な役割ありきで人をあてる。ポイントは人ありきで役割をあてないこと。定めた役割に対しては『定量的な目標』をぶら下げる。役割定義は上司の仕事。

②1人上司/6人プレイヤー体制
各プレイヤーの上司は1人のみ。業務に関するやり取りは1人の上司とだけする。直属の上司以外に何か指示を出したり口をはさむ権限はない。社長も例外ではない。プレイヤーの成長を支援するのはただ1人の上司。そして1人の上司が成長を支援するプレイヤーの数は6人くらいが上限と考える。

③結果視点で成長を支援する
成長の支援は、客観的に誰の目にも明らかな『結果』(数字)を通して行う。プロセス(経過)は大事だが、それ自体は評価の対象外。成果(仕事の出来栄えなど主観的なジャッジ)も同様に対象外。こうすることで「それってあなたの感想ですよね?」的コミュニケーションを最小限に抑えることができ、やりたいことの実現に向けて相関関係が高いと推測されるKPIの設定にフォーカスできるようになる。

④ルール決めと権限付与で放牧(≠放置)
役割に対して何を達成してほしいか定量的に定義したあとは、必要な予算などのリソースを提供し、人を管理するのではなく定量的に定義した数字を管理する。人はどこまでいっても管理できない。数字は思いのほか管理できる。人は放牧、数字は管理。こうすることで放置ではなく自走が可能となる。ただしゲームである以上ルールは守る。

⑤2階層間の定例会議
次回の結果(数字)を約束する場として、上司⇔プレイヤーの2階層間会議を定期的に行う。数字に不足がなければそのまま放牧。不足があれば、プレイヤーは結果につながる新たな行動を提示。上司は口や手を出さずに、プレイヤーが走りやすいよう目標を細分化する、ルールを追加/削除するなどして仕組みで後方支援。大原則として、最終目標はいじらない。

⑥成長(結果の完了の向上)を評価する報酬制度
役割に応じて「できないことができるようになる」ことを成長と定義し、それを何かしらの数値指標とリンクさせる。役割に対してぶら下げた数値指標を『成長シート』で管理し、数値の達成度合いと給料を連動させる。定性的な指標を評価に用いることは原則として避ける。なぜなら主観や感情が混じり、そこから役割、責任、権限の不一致が起こり始めるため。定性的に評価したいことがあれば、評価ではなくルールとして盛り込む。

これらをすべての階層間で、異なる『粗さ』をもって、個別に設定する。

社長⇔事業部門長
事業部門長⇔マネジャー
マネジャー⇔チームメンバー

といった具合に。あとは各階層ごとに、それぞれの役割を果たすべく、おおいにクリエイティビティを発揮すればいいのである。

思うに、ヒエラルキーであってもティールであっても、自走する条件そのものは変わらない。違いは、自走する条件をどう決めるのか、その決め方なのだと思う。つまりはルールの決め方の違いである。たとえば上位下達で決めるのか、DAO的に全体の合議として決めるのか、それともAIに任せるのか。そういった違いがあるだけだと思う。

ティールがルールのない組織でそれが自走する条件のように語られることがあるが、「それは本当か?」と思う。ルールが多いことがいいとはちっとも思わないが、ルールがないことが自走の条件だとも思わない。
変化する状況に応じて、どれだけ自走のためのクリティカルなルールを見つけられるか?それこそが自走の鍵だと思う。
そして自走できる組織は、ティールだろうがヒエラルキーだろうが気持ちよく走っているので、概ねホワイトなのだと思う。


ということで、今日はここまで!
また次回をお楽しみに~


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