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映画ノート⑱「リバプール・サウンド」を初めて映像で紹介した映画『ポップ・ギア』

1965年10月に日本公開されたイギリス映画『ポップ・ギア』(1964)。   ストーリーは特になく、ブリティッシュ・ビートグループ(+数人のポップス歌手)の演奏を映しただけの一種の記録映画でした。当時、「リバプール・サウンド」と言われていたビートルズやアニマルズなど、1960年代前半にデビューしたブリティッシュ・ビートグループが大挙出演。他に「ロシアより愛をこめて」で有名なマット・モンローやスーザン・モーンなど女性歌手も出ていました。

当時は、人気は高いのにどのグループも「声はすれども姿は見えず」状態。日本のファンは彼らの動く映像に飢えていましたから、非常にタイムリーな映画だったと思います。公開当時、ビートルズの出演場面になると映画館に押しかけた女性ファンたちが画面に向かって「ポール!」だの「リンゴ!」だのキャーキャー叫んで大騒ぎしたというという騒ぎが新聞やテレビで面白おかしく報道されました。

ただし、他のグループの映像が映画用に新しく撮影されたものだったのに対して、最初と最後のビートルズ出演シーンだけ他のバンドと違って解像度が低く、スクリーンの大画面では妙に荒れた画質。既存のコンサート映像を流用したのが見え見えで、ちょっと興ざめでした。

この映画の日本公開直前、1965年2月?に「エド・サリヴァン・ショー」のビートルズ出演回が日本でもTV放映されていますが、残念ながらこちらは白黒。ビートルズの動く姿が大画面のカラー映像で拝めたのはこれが初めてでしたから、あまり文句も言えませんが。                

『ポップ・ギア』の出演バンドと曲目は、次の通りです。        司会は、映画と同じ名前のDJ番組をもっていたジミー・サビル。     エド・サリバンショーで紹介済みのビートルズ以外は、どのグループも初お目見えでした。

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ビートルズ「シー・ラブズ・ユー」「ツイスト&シャウト」       アニマルズ「朝日のあたる家」「悲しき願い」                                        ハーマンズ・ハーミッツ「朝からゴキゲン」              ハニーカムズ「ハブ・アイ・ザ・ライト「Eyes」               スペンサー・デイビス・グループ「Nobody Knows You When You're Down And Out」
ナッシュビル・ティーンズ「タバコ・ロード」                            ピーター&ゴードン「愛なき世界」                            ビリー・J・クレイマー&ダコタス「Little Children 」                           フォー・ペニーズ「Juliet 」                     サウンズ・インコーポレーテッド「ビッグ・エナジー」        ロッキン・ベリーズ「What In The World's Come Over You」      フォーモスト「A Little Lovin'」                    トミー・クィックリーとレモ・フォー「Humpty Dumpty -」                               

「リバプール・サウンド総出演!」という前宣伝だったのに、ローリング・ストーンズ、デイブ・クラーク・ファイブ、キンクス、ザ・フー、ヤードバーズなどの大物バンドが入っていなくてこの時もお預けを食らい、もやもや感が残りました。欲を言えば、ポップス歌手をカットして、全部紹介して欲しかったですね。全く知らないバンドもいくつかありました。                            

さて、文句はこのくらいにして、ここからは『ポップ・ギア』での彼らの演奏シーンを観て行きましょう。映画のおかげで若い頃の彼らのライブをイーストマンカラーの高画質映像で今も観られるのは大変有難いことです。
ただし、ビートルズ以外はすべてリップシンクで、映画の中で実際に歌っている訳ではありません。

ビートルズ「シー・ラブズ・ユー」~「ツイスト&シャウト」

映画前年の1963年11月20日、マンチェスターにあるABCアードウィックシアターで撮影された映像を映画用に編集したものです。リンクした映像ではメドレーになっていますが、『ポップ・ギア』では切り離され、「シー・ラブズ・ユー」は冒頭、「ツイスト&シャウト」はラストのオオトリに使用されていました。まだアメリカ進出前ですが、初期の熱狂ぶりがよく分かりますね。因みに米国への初上陸は、1964年2月です。

アニマルズ「朝日のあたる家」

古くからあるアメリカのフォークソングの歌詞を男性視点に変え、印象的なギターイントロとキーボードによる間奏を加えてアレンジ。洗練された現代的フォークロックに仕上げた手腕には非凡なものを感じます。アレンジのクレジットはキーボードのアラン・プライスになっていますが、実際にはメンバー全員で考えたようです。それをうまくまとめて仕上げたのが、アラン・プライスだったのでしょう。                               
BSの音楽番組「ソング・トゥ・ソウル」の中でギターのヒルトン・バレンタインが「イントロのアルペジオは俺が考えたんだ。キーボードのアラン・プライスは、文句を言っていたけどな。」といばって語っていました。アラン・プライスのキーボードもギターイントロに負けておらず、後半に向かって曲を盛り上げていきます。ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗り、曲の良さも手伝って見事3週連続で全米ナンバーワンに輝きました。

アニマルズ「悲しき願い」

「悲しき願い」については「カバーポップス黄金時代聴き比べ①」に 少し書いていますので、省略します。

ハニーカムズ「ハブ・アイ・ザ・ライト

「ハブ・アイ・ザ・ライト」はハニーカムズ唯一の大ヒット曲で、英国チャート1位、全米チャート5位、世界各国でもチャートの上位にランクインしました。世界的大ヒットを受けて、世界ツアーを敢行。日本でも公演を行い、当時は珍しかった女性ドラマーハニー・ラントリーがとても目立っていました。なお、もう1曲の「Eyes」は3枚目のシングルですが、全くチャートインせず不発に終わりました。

ハーマンズ・ハーミッツ「朝からゴキゲン」

このデビュー曲がいきなり英国チャートの首位となり世間を驚かせました。アニマルズと同じく、1960年代中盤にアメリカのヒットチャートを席巻したブリティッシュ・インヴェイジョンの一員としてアメリカに進出。「ミセス・ブラウンのお嬢さん」「ヘンリー8世君」が全米1位に輝きました。本国よりアメリカでの人気が高いグループでした。

その後もロックと言うよりはポップス路線の「恋はハートで」「ハートがドキドキ」「見つめ合う恋」などのヒットを放ちます。徐々にアメリカでの人気が下降したため活動の本拠を本国に戻したのは、デイブ・クラーク・ファイブと同じです。日本でもボーカルのピーター・ヌーンの八重歯が可愛いとアイドル的人気がありました。

スペンサー・デイビス・グループ「Nobody Knows You When You're Down And Out」

「Nobody Knows You ~」は1925年にジミー・コリンズが作曲したブルースのスタンダード曲。ベッシー・スミスやデレク&ドミノス時代のエリック・クラプトンがカバーして有名になりました。             ボーカルとオルガンのスティーブ・ウィンウッドは、撮影当時何と16才。独特の黒っぽい歌声は、当時のブルースロックバンドの中でも群を抜いており、アニマルズのエリック・バードンと共にこの映画の中でも異彩を放っていました。

ブルースバンド「スペンサー・デイビス・グループ」とスティーブ・ウィンウッドについては、その内「マイナー調名曲シリーズ」のブルースロック編で取り上げる予定です。

デレク&ドミノス「Nobody Knows You When You're Down And Out」

                                  ナッシュビル・ティーンズ「タバコ・ロード」

イントロの鮮烈なギターとそれに続くドラムスとベースの黒っぽくて重々しいサウンドで、一気に曲の世界に引き込まれる名曲です。

バンド名にナッシュビルが付いていますが、アメリカ出身ではなくビートルズとほぼ同時期のイギリスのビートグループ。下積み時代は、カール・パーキンスの「ビッグ・バッド・ブルース」のバックバンドなどをやっています。無名時代のビートルズがドイツのハンブルグに出稼ぎに行っていたことはよく知られていますが、そこでトニー・シェリダンと知り合い、「マイ・ボニー」のバックバンドとして採用されて出世の糸口をつかんだたのとよく似ています。 

ナッシュビル・ティーンズはボーカルが二人いる6人組で、1964年のデビュー曲「タバコ・ロード」が英国で6位、アメリカでも14位となり、好調なスタートを切ります。2枚目のシングル「Google Eye」も英国チャートの10位に入りましたがその後が続かず、1973年に解散。結局「1発屋」の仲間入りをしてしまいました。
          
余談ですが、「タバコ・ロード」の歌詞を見ると、やはりコールドウェルが1932年に発表した同名小説にインスパイアされて作られた曲のようですね。1939年のスタインベック「怒りの葡萄」と共に大恐慌時代を背景にプア・ホワイト農民の悲惨な生活を描いたアメリカの社会派リアリズム文学の代表作。 2作ともジョン・フォードが映画化しており、特にヘンリー・フォンダが主演した「怒りの葡萄」は傑作でした。

ピーター&ゴードン「愛なき世界」

ピーター・アッシャーとゴードン・ウォーラーの二人組。ピーター・アッシャーは前回触れたジェーン・アッシャーの兄で、この曲もそのつながりからポール・マッカートニーに提供してもらったというのは有名な話。「愛なき世界」は、英国と米国で共に1位を獲得するなど大ヒット。ヒットを受けて、日本でも来日公演を行っています。コンサートの前座がスパイダースだったのは、アニマルズの来日コンサートと同じですね。

ビリー・J・クレイマー&ダコタス「Little Children 」

マネージャーがビートルズと同じブライアン・エプスタインということで、初期はレノン&マッカートニーからの提供曲「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット/アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」(英国チャート2位)「バッド・トゥ・ミー/アイ・コール・ユア・ネーム」(英国チャート1位)で大ヒットを飛ばし、人気グループの仲間入りをしました。「Little Children 」は4枚目のシングルでビートルズとは関係ありませんが、この曲も英国チャート1位になっています。この曲辺りが絶頂期でその後は人気も下降線。ビリー・J・クレイマーはダコタスと別れて独立しますが、結局鳴かず飛ばずで終わってしまいました。この曲もなんだかなぁという感じで、あまりパッとしません。

参考までに
ビリー・J・クレイマー&ダコタス「アイ・コール・ユア・ネーム 」

独自色を出すためかイントロのギターリフや間奏を変えたりしていますが、やはりビートルズの劣化版にしか聞こえませんね。

                                  ここまで『ポップ・ギア』からの映像を10曲紹介してきましたが、残りのグループの曲は個人的にはロックと言うよりはポップスっぽいつまらない曲ばかりなのでリンクするのは止めおきます。全曲ユーチューブに高画質でアップされていますので、興味のある方は検索してみてください。

この映画に出ていたフォー・ペニーズの別の曲で、もろマイナー調の「BLACK GIRL」というなかなかいい曲があるので、最後に紹介しておきます。サビと言うものがない珍しい曲で、ワンフレーズのメロディで最後まで押し通します。

フォー・ペニーズ「BLACK GIRL」


ナッシュビル・ティーンズについては、こちらの記事でも触れています。

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