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仕方ない、はほんとなのか。


周りに同調するように「仕方がない」と言っている人を見ると、実は腹が立つ。

何かうまくいかない問題にぶつかって、うまくいくように良い方向に行くように工夫、やり方などを試してみて、これ以上方法がない!いろいろ試したけれど、もう本当にこれは従うしかないのだ、となったときに初めて
仕方がない。と言うもんじゃないのか。

私は、なるべくカフェに勤務している時は、
子供連れの人が来ていても、なるべく手を貸さない。なるべく手を貸さないと言うと、語弊があるかもしれないけれど、
本来は、自分の子供は自分で見れると言う責任のもと、飲食店を訪れていると言う前提があると思っているからだ。うちは子連れ用のお店ではないので、もちろん他の一般のお客様もご来店される。なので私は、あくまで、カフェの業務をする人であり、誰かの子供をあやすためにそこにはいない。もし私が子供に手がとられていたとして、その間に、他の人へのおもてなしができなくなる事は、お店としてのポリシーに反するからだ。


子供が泣いているのに、大人同士の話に夢中になって、ずっと子供の方を見ない大人がいる。そういう人たちの間には、子供が泣き出して、すぐに「仕方ないね」と言う暗黙の了解みたいなものが存在する。宥め合う空気感。泣いていて放置しているくせに、子供は泣くものだから仕方ないね。子供を連れてきて、周りに迷惑かけても子供だから仕方ないね、わかるよ、そうだね、仕方ないね。そんな同調を感じる。

いやいや、仕方ないのはアンタたちであって、店側は仕方なくない。場所を考えろ。
家や公園ではないのだ。
この場所がなんのために存在しているのか考えろ。
と心の中で思う。

子供があまりにもずっと泣いているのに、ちょっと声をかけたり、抱き上げたりしたらいいのになと私は思うのだけれど。もしそれをした先に、泣き止まない場合は、初めて仕方ないと言えるのではないだろうか。それなら、こちら側も納得する。なにより、子供自身がかわいそうだ。大人の都合で連れてこられたのにあれはダメこれはダメと言われる。話を聞いてもらえない。泣いても無視される。


 
子育てがしやすい社会にしようという風潮が強まり、世間が実際そうなってきたような気がする。が、同時に子供がいるから、ある程度は許されると勘違いする大人もたくさん増えた気がする。

子供連れならば、優しくされて当然だとか、子供がしたことだったら仕方ないから許されて当然だと言う態度はよろしくない。
保育園だって公園だって、子供が思いっきり遊べるけれど、何をしても良いと言うわけではない。自分だけの場所ではないところほど、その振る舞いが周りの人にどういう気持ちを与えるのかと言う配慮は必要だと思う。

私も、子供を持つ親なので、子供と出かけると段取りが自分の思い通りにならなかったり、子供のペースに疲弊してしまったりすることもあるけれど。
それでも、社会の中で、人と関わって生きていくのなら、自分の子供が、きちんとその関わりの中で人と接していけるように成長してほしい。
だからこそ「仕方ない」という前に。
自分にとっても、我が子にとっても、
私たちに関わってくれる人たちにとっても、何事も心地よい関わりができるように、配慮していきたいなと思う。

読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。