自己紹介

こんにちは。
大手化粧品会社に勤める40代男子です。
妻と子供2人(とウサギ1匹)と、東京郊外のログハウスで暮らしています。

教育系インフルエンサーを目指してます。
(突然だな。笑)

自己紹介させて下さい。

広島県生まれ。
( ただし、生後3ヶ月で東京に来てるのでほぼ東京育ち) 

学歴的には。

青山学院初等部→青山学院中等部→慶応義塾高校→慶応大学法学部法律学科→株式会社資生堂19年目(営業7年、法務7年、デジタル3年、営業サポート1年)で、比較的ハイキャリアだと思います。
(これどういうトーンで言えばよいかわからないな。笑)

小さい頃から、「いい学校入っていい会社入れば幸せ」 という親の価値観( 当時一般的だったのだと思います)で育てられ、社会に入って「全然幸せじゃねーな」と思い、鬱々とした日々を長年過ごしてきました。

そんな暗い?社会人人生の中で私に大きく影響を与えてくれた人が2人。

一人は、法務部時代に法務の仕事と同時に、労働組合の中央執行委員(職場の代表として会社経営陣に職場の声を届けるお役目)として活動した際に、当時組合委員長をやっていた「赤塚一(はじめ)」さん。

もう一人が、会社同期女性で、入社7年目のときにお付き合いすることになり、人生の伴侶となった妻です。

(ここから少しくだけた口調になります。「ですます調」と「である調」の混じりが気になる方ごめんなさい。初めての自己紹介文だからちょっとトーンがわからなくて。笑 本当はクダけたい。けど最初だからキチンとしたい。笑)

赤塚さんは、インターネットでググると出てくる伝説の労働組合委員長で。有名なのは「涙のベアゼロ交渉」 というやつ。詳細説明すると長くなるので興味ある方はググって欲しいけど。いわゆる世間的な労働組合のイメージの賃金アップのためだけの活動をやるのではなく、「会社業績が上がらないと賃金も上がらない」前提で、組合員の声をもとに、どこに会社の問題があるのか「人的観点」でチェックし、会社に突きつけ、会社側に改善要求すると同時に、組合員に対しても、会社側の説明する方向性ややってることの意義をちゃんと伝え、現場レベルでも自分たちが何が出来るかを考えさせる委員長だった。(考えさせないと会社の変化についていけない組合員が出てくるからね。変化が怖い人はどこにでもいるから。その人たちを見捨てない、という強い思いをもってらっしゃった)

とにかく組合員への熱い思いと、組合員を元気にすることで会社を良くしたい、社会を良くしたいという思いが強い人で。その熱い思いと行動力で、会社役員や社外役員、あらゆる人の心を動かし、労働組合委員長というある種誰のこともコントロール出来る権限はないが、会社全体を動かすことが出来る本当にスゴイ人だった。(現在は定年で退職されてます。が、今でも人のために動き続けるアンパンマンみたいな人)

この人に私は、社会や人の見方、働くうえでの姿勢、モノの考え方を全て教わった。それも何か丁寧に教えてくれるというより、昔ながらの、自分の背中で、生き様でそれを教えてくれる、めちゃカッコいい人だった。

特に印象に残ってるのは、こんな言葉だ。

「 三浦さん、世の中には2種類の人間しかいないんだよ。「利己で働く人」か「利他で働く人」。前者は自分のために働くから、人がついてこないし、(その人自身がいくら優秀であろうが)できる仕事の範囲も狭い。でも後者は多くの人が応援してくれるから、大きな仕事が成し遂げられるんだよね。でも残念ながら後者は少ない。仕事ができる人でも結構前者が多いんだよ。だからね、組合では「人のために仲間のために社会のために」という考えをブラしちゃ駄目なんだ。そこがブレちゃったらもう組合じゃないからね。」

彼と一緒に活動できたのは、入社6〜9年目のときのたった3年間だけだったが、入社19年目になる今も、彼の言葉は心に残り続けているし、彼以上に私の人生に影響を与えた人はいない。そしてこれからもずっと私の人生の目標となる人だと思う。

もう一人の影響を与えてくれた人。妻は。

芸人とかにありがちな言い方になるが(笑)、私の不遇時代というか、駄目だった時代を支えて、励まして、私が自信をもって生きれるようになるまで常に寄り添ってくれた人生の恩人。

私は学生時代から気分のムラが激しくて、鬱っぽい時期とハイな時を行き来しながら生きていて。(しかもその割合は7:3で鬱っぽい。苦笑)

ハイキャリアなくせに、自己肯定感が鬼低い人間だったので。結婚後、妻はかなり苦労したと思う。特に子供が生まれてからの、子供ケア&私の鬱ケアというのは地獄で、今振り返るとよく離婚しなかったなぁと思う。

ただ、その状況を打開するために彼女は、コレクティブハウスという北欧型シェアハウスを見つけて来て、「そこに引っ越そう!」と決意。

そこは、単身世帯からファミリー層まで20世帯がいるアパートで。各部屋にトイレもキッチンもあるので基本的には各部屋で生活は完結出来る。

が、それとは別に広〜い共有スペース(主にダイニング&キッチン) があって、そこで居住者は月に一回、居住者のうち希望する人数分の料理を作り(一回に20〜30人前)、そして月に一回居住者で定例会といって、組合費(マンションでよくある管理費みたいな奴)の使い道だったり、共有廊下に出して良いもの等、暮らしのルールなどを話し合う。(なぜか毎回3時間くらい。苦笑)

その他にも活動グループというのがあって、居住者はどこかの活動グループに入って、植栽やらイベントやらの企画運営をする。(例えば地域の人にも開いた餅つき大会とか、流し素麺とか、色々やります)

まぁそんな変わった暮らしを3年間やったのだ。

彼女の意図としては、夫に「 会社と家庭」という狭い社会だけでなく、いわゆる「(会社以外の)社会」へ少し足を踏み出すことで、見えてくるものがあるのでは?という淡い期待と。そして、単純に彼女自身もその社会と繋がることで、子育ての苦しみや夫への対応について、人と話したりして、気を紛らわせたい、ということがあったのだと思う。

私の鬱っぽさがそこに住むことで完全に解決した訳では無いが、その小さな社会で繰り広げられる、ある種あけっぴろげな他人の日常は、ハイキャリアな人生を歩んできた自分にとって、「あー人はこうやって日々生きてるのか。幸せってもっと身近にあるもんなんだな」とか「皆結構悩みながら生きてんだな」ということを感じれたのはすごく良かったのだと思う。

なんなら、第二子が出来て、彼女が「そろそろここを出たい。狭いし」と言い出したときには、私は「えっ?何で?一生住むのかと思ってた」と返したくらい。笑 ここの暮らしにハマってたと思う。

今もそのコレクティブハウスの近くに、一軒家を建てて暮らしているので、ハウスでイベントがあれば参加したり、たまにゲストミールといって、私がミールを作りに行ったりして、ゆるーくハウスのメンバーとは繋がっている。

妻の話から、コレクティブハウスの話に少しズレてしまったが。

妻は、そういった献身的に私を支えてくれた、ということに加えて、特筆すべきは「社会を良くしたい」ということに対する意識の高さだろうと思う。

もともと学生時代からそういう社会性の高い活動(NPOやNGOなど)をやっていたが、子育て期間を通じて、「女性をエンパワーメントしたい」という思いが強まったらしく。

今は会社の社会貢献の部署に手挙げして異動し活躍している他、プライベートでも母親アップデートコミュニティ(HUC)といった組織で、同じように社会で戦っている女性と意見交換をしたり、一緒にイベント企画などをしている。

その社会性の意識の高さたるや、ちょっと尋常ではない。笑

そして私にも。

「健ちゃん。これからは、オトコは仕事と家庭をやるのは当たり前。そこに加えて社会でも何か活動をしなきゃダメよ。」

と結婚して12年間言われ続け。笑

私もようやく重い腰をあげて、今年からPTA活動をやり始めたところ。

そんな2人に大きく影響を受けて今の私がある、と言って過言ではない。

そんな私が「教育」に興味をもったのは。
(ここからが本題?前置き超長!笑)

やっぱり「いい学校入っていい会社入れば幸せ」という価値観は、人を幸せにはしてくれないし、何なら不幸にさえする、ということを強く思ったから。

何故か。

それは、いい学校、いい会社という「正解」 を目指して生きるということは「自分は何が好きで興味あるか」 ということは関係なしに人生を生きるということであり、それによって担保されるのはせいぜい安定した収入くらいであって。

40という人生折り返し地点に来て、会社でもなんとなく自分がどこまで上に行けるのか限界が見えてきた時に、「はて?これから会社人生20年、自分の人生40年をどうやって生きていこう?自分はそもそも何やりたい人間なんだっけ?これから会社で、そしてプライベートで何を達成したら、自分は人生満足だと言えるんだっけ?」 というものすごい焦りと、コレまで選択してきたこと(良い学校、良い会社、そして出世を目指す?) の後悔が押し寄せてきて。

これはアカン!ちょっと遅いけど、自分の人生もここで立て直さなきゃ。そして自分たちの子供世代には同じ思いをさせてはイカン!と強く思ったのだ。

いまだにある「お受験戦争」、会社の出世レース、どこの大学卒とか、会社の肩書やポストとかではなく。

自分はどういう人間で、何がやりたくて、どこで学び、どこを目指し、誰と何を実現したいのか。それが天命のようなモノだとしたら、それを人生で見つけるのは簡単ではないけど。それを幼少期の無限にある興味の中から見つけ、学生時代から主体的に学び、そこでまた新たな人(恩師?)と出会い、そこから世界を広げていけるような。そんな人生を子どもたちには歩んて欲しい。

そう思った時に。「教育」やらなきゃ!って思ったんですよね。

ただ、私は18年間サラリーマンをやってきたので。もちろんギリギリ「 教師への転職」も出来なくはないし、ソレも楽しいかな?と思って、教員免許の資格とるための資料も取り寄せたけど。

だがしかし、教師の知り合いの「 ブラックな労働環境」や「子どもたちに向き合う以外の仕事の多さ」、そして「校長ガチャによっては理想とかけ離れた教育になりえること」 を考えると、ちょっと転職は博打だなと思って。

だったら、会社で働きながら教育に関わる方法を考えたほうが良いなと思い。

とりあえずPTA活動に着手したという訳。

PTAもいまコロナもあって活動縮小し、色んな学校で「PTAなんてもう要らなくない?」とか、PTA解体した人が一部SNS等でヒーロー扱いされてたりするけど、(今回の自己紹介記事では多くは語りませんが)調べてみると、結構大事な機能があって。

もちろん、共働き世代で忙しい親御さんにできるだけ負担をかけない形で、どうPTA活動するか、という問題はあるにせよ。

現代版アップデートしたPTAの形( モデルケース) を作る必要あるな、と感じ、いま色々情報を集め、活動骨子案を考えて、先週末に自身の所属するPTAのメンバー(若干5名)でキックオフ会議したところ。

多分結構面白い活動とPTAの新しいあり方を提示できると思います。(多分。笑)

そしてゆくゆくは、息子を入れさせているボーイスカウト組織でも、子供を指導する隊長になって、組織改革をしようと思っていて。それも追々アップデートして共有していきます。

ということで、長々と自己紹介文読んで頂きありがとうございました。

(こんな無名のどこの馬の骨とも分からん人の、しかもこんな暑苦して長い自己紹介文読む人おるんかな?と思うけど。笑)

これから、PTAやボーイスカウトはもちろん、会社で働きながら感じる、今後の社会で必要な能力であったり、コミュニケーションのあり方、そこから広がる人間関係のあり方、豊かな人生とは?その他、子育てや日常生活で感じたことなどを色々アップして行きたいと思います。

これ、ここまで数年間、小中高大、社会人で知り合った700名のfacebook友人メンバーに対して、日々の気づきを長文でアップしてて。それがかなり好評でして。笑

色んな同期や同窓生に「いつも読んでるよ。面白いよ」と言って頂けて。

ただ、これから教育改革をやっていきたいのに。しかもそんな伝手今現在あまり無いのに。笑 もっと教育関係で頑張ってる人と繋がりたいのに。facebookではそれが実現できないことに気付き。笑

なので、(知り合いからの勧めもあり)noteに移行することにしました。

初回自己紹介はこんな感じで。

また会いましょう!

クリエーター名(クリエーターじゃないんやけどな。笑): ミウケン(小学生時代のあだ名)

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