家族を支え続けた先にあった自己実現 ー山陽堂書店 萬納幸江

東京表参道で創業。
130年以上続く山陽堂書店の主人を務めた女性のお話です。

名前は萬納幸江さん。

お見合いで結婚したご主人の家業は書店経営。

書店を家業として営む家庭は、想像以上にハードでした。

姑さんと二人三脚で家庭を切り盛り。
嬉しいことに3人の娘も誕生し、更に慌ただしい日常を送っていました。



人生の辛い時期


萬納さんが40代後半になったときでした。

お姑さんが病に倒れ、同時に自分にも乳がんが発見されます。

萬納さんのがんは、手術で取り除けたものの、体力が落ちてしまい、精神的にも弱ってしまいました。

なかなか回復しない体調をご主人も心配し、地方で療養することになりました。

そんな中、親しくしていた姑さんが他界しています。
家から離れていた萬納さんは、看取ることも葬儀に出ることもできませんでした。

そんな苦悩が重なった時期、萬納さんは、

「生きていても誰の役にも立たないし、もう死んでしまいたい」

と、真剣に思ったこともありました。

この家にいても意味がない。離れたい。お姑さんを看取ることもできず、立場のない自分を恥じていました

そんなある日、娘さんから厳しい一言を投げかけられます。

「お母さん、自分のことばかりじゃなくて、私達のことも考えてよ!」

その言葉に萬納さんはハッとさせられます。

自分のしんどさにばかり執着していたけれど、この間もずっと家族はがんばってくれていたのだ。

そのことに改めて気づくと、自分のことばかり思い悩み、現実逃避していたことを申し訳なく感じました。

そして、このままではいけないぞと気合いが入り、自分のあり方を改めました。

その後は、心が元気になったせいか身体も徐々に回復に向かっていきました。

山陽堂書店の女主人となる


それから何年間もの月日が経ち、3人の娘が巣立ちました。子育てが一段落した矢先に、今度はご主人が病に倒れてしまいます。

それをきっかけに萬納さんは、山陽堂書店の女主人としてお店を切り盛りしていくこととなったのでした。

実はお見合い前には服飾関係の仕事で、当時では珍しく男性と同等に働いていた萬納さん。

ご主人が倒れた後も、代わりに問屋へ通って本を仕入れ、書店経営にも本腰を入れて取り組んでいきます。

その頑張りをご主人はとても誇りに思い、たくさん褒めてくれたと言います。

萬納さんは当時を振り返ってこう話します。

「今思うとその頃が『本屋の嫁』として、最も充実していた時期かもしれない」

「しごととわたし」梶山ひろみ

その後、ご主人が他界してしまってからは、娘たちや親戚が協力してみんなでお店を切り盛りしました。


82歳を迎えた萬納さんの楽しみ



高齢になった萬納さん。もう引退しても良い歳です。

ですが、毎日お昼の時間になると書店へと足を運んでいました。

「いまは、娘3人と自分のお弁当を作っていって、みんなにそれを食べてもらっている間に店番をする。それがわたしの役目なんです。近くにコンビニもあるけど、それじゃ味気ないし、お昼くらいゆっくり食べさせてあげたいですからね。」

「しごととわたし」梶山ひろみ

家族、家業を支え続けた日々。
その先に、社会への役目も果たすことができた
萬納幸江さん。

家族との関係性で苦しい時期もありましたが、そこから這い上がった理由も「家族」だったのでした。


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参照:「しごととわたし」梶山ひろみ

山陽堂書店ホームページ:https://sanyodo-shoten.co.jp/

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