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正論の使い方を間違えてはいけない

つねに読者へ
多くの気づきを与えてくれる
「ももまろ」さん。

先日、ステキな記事を拝読いたしました。

コチラです☟

正論せいろんについて、
「たしかに!」と納得いく
考えを再認識させてくれる内容です。


今回は、
上記の記事を拝読させいただき感じた
わたしの所感を皆様と共有させてください。

読み進めていただく場合は、
かならず上記のご紹介した
「ももまろ」さんの記事を
読み終えてください。

宜しくお願いします。

では、いってみましょう(^^♪




正論せいろんを知る

ももまろさんは、記事内で
「正論」について
下記のように説きます。

正論は正しい主張に関わらず
悩める仔羊の心へ届かない


側で聞いていても、間違ってないが
正しいが故に、
相手へ敬意などの姿勢を見せず
「自分の意見こそ正しい」
「相手の言い訳に耳を貸す必要はない」
暴走する独りよがりが、
正しさを凶器にする

そもそも正論は
相手を言い負かす武器なのか?

ももまろさんの記事より引用


「正論」
とは、道理について議論する場で
正しいものであると評価する呼び方を
指します。

納得のいく間違いようのない
道すじの通った説得力の塊。

正論には、言われた相手にも
反論の余地を与えないほどに
強力な言葉の刃を持ち合わせます。

だからこそ、
正論の持つパワーそのものに
酔いしれる人はあとを絶ちません。

正論を使う側が
「どのように場面で活用して使うか」
に采配が分かれます。

「ももまろ」さんも
記事内でおっしゃるように
「そもそも正論は
 相手を言い負かす武器なのか?」

と説きます。

正論はときと場合によって
使う人にとっても、使われた人にとっても
デメリットの大きいコミュニケーション
ともいえるのです。




✔正論の使い方

間違った正論の使い方で
人間関係に亀裂を生んでは、
この先、困りものですよね。

正論を正しく使うために…

最初に考えるべきは
「正論の性質」です。


正論とは、道理を正しく議論すること。

つまりは、道理について議論する場で
「こっちのほうが正しいよ」と
道を示すときに正論は使われます。

反対に、議論する気のない場では
正論をかざしても相手に取って
心臓に杭を指すようなもの。

ましてや、
「わたしの心に寄り添って」
と思う場面で、
正論は何の役にも立ちません。


共感にもっとも遠いところに
「正論は存在する」と
考えてください。

なぜなら、正解のない場でも
正論は強引に正解を
相手へ突きつけるパワーを
持っているからです。

【正論の性質】
 ・道理の発生する場所で
  正しく議論するときに使う
 ・共感を求める場に適さない



✔デリカシーのない人は
 正論を使わないで

何度も申し上げますが、

正論は、
道理を正しく議論する場で使用します。

けして相手を負かしたり、
悟らせたり…
自分の権力をアピールするために
使用するものではありません。


あなた「この方法が正しい」
相手「たしかに!納得だ」

そうした建設的な話し合いの場に
正論はおおいに役立ちます。

「ももまろ」さんも
「正論自体は嫌われない」と
おっしゃっています。

その後、大切なことを
「ももまろ」さんは続けています。

正論を言う人のデリカシーのなさが
正論を悪いもののように思わせている
わたしには、そういう風に見えた

ももまろさんの記事より引用

そう!

正論を言う人の”デリカシーのなさ”です。

正論を使う側にデリカシーがないとき、
それは目も当てられない惨状を
生み出します。


たとえば
愛犬をなくし悲しんでいる女性に

「なに泣いてるの?
 寿命でしょ?」

と正論を投げかける人がいれば
その人の道徳心を疑います。

それこそ、デリカシーを
どこかに忘れた悲しい人です。

悲しむ女性は、二度と
あなたと口をきかないでしょう。



* * * * *




どれだけ知識にあふれ、学力が高くても
相手へ配慮の行き届かない人は、
今後、正論を言う立場にありません。


「え~、何で!!」
と思うかもしれません。

いえ、
言ってもいいですよ。


「自分は配慮のできる人だ」と思い
正論を言い放ってもいいでしょう。

正論を言いたい人は、
どうぞ相手へ伝えてください。

おそらく、人間関係に失敗するのが
容易に想像できますが…

自分で自分に「配慮のできる人」と
思い込んでいる時点で、
「正直ないな…」とわたしは考えます。


すいません。
少々、厳しい物言いになりました。

わたしの言葉を「優しさ」と
受け止めていただけた方には
感謝申し上げます。



あなた自身がデリカシーを守る
素晴らしい人
かどうかを判断するのは、
あなたではなく”周囲にいる人”です。

もしも、あなたの周囲に
あなた自身を大切にする人で
囲まれているなら、
あなたは「配慮のできる人」です。

それこそ、相手の行動は
”あなたの鏡写し”なのですから。


最近、あの人の当たりがキツイな…

そう思ったとき、
あなたは正論を振りかざしていませんか。

知らぬ間に
相手へマウントを取っていませんか。

いま一度、正しい正論の使い方を
理解いただければ幸いです。

では、また。
失礼します。

「ももまろ」さん、
ありがとうございました✨

サポートしていただければ、あなたの習慣活動を全力で応援します!!