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画面の向こうの人へ”言葉”を届ける姿勢

先日、
とても多くの気づきを得られました。

そのキッカケは、
わたしの浅はかな解釈から
誤解を招く言葉を送ったことです。

そうした言葉を相手へ伝えたとき
「もしかしたら、
 こういう意味で捉えるかもしれない」と
想像できなかったこと。

わたしの未熟な理解力によって
生まれた結果でした。

表面だけで相手の言葉を理解する。

本当の意味で「伝えたい内容」を
くみ取れない読解力の無さ。

まだまだ、足りない部分の多いわたしだと
大変、学びになりました。

そして…

あらためて、
画面の向こう側には
ひと”がいること。

読んでくれる
生身の相手がいること。

心をかよわせてくれる
noterさんがいること。

強く…強く、実感しました。


けして、ひとりでは
到底、叶わない世界。

だれでも想像力豊かに発信できる場には、
そこに生きる人がいること。

想いを伝えようと
言葉にする人の存在があること。

noteとは、
人と人とのつながりを意識する場だと
再認識できました。


どうか、未熟なわたしですが
今後もどうぞ宜しくお願いします。




✔言ってくれる人の
 存在

今回の体験をとおして
気づかせてくれる方の
ありがたみを感じました。

「それって違うよ」と
言ってくれる人の存在。

本当に
助かります⸜(*ˊᵕˋ*)⸝


やっぱり、いい大人になると
「言う」よりも「言わない」のほうが
効率的で角が立ちません。

一般常識を持ち合わせているからこそ
余計に深追いせず、あえて言わない。

人間関係を良好に保つ秘訣でもあります。


でも、


言われなかった人は、
残念ながら、そのときの過ちに
気づきません。

「それは正しいことだ」と理解し
間違った解釈のまま
その後を過ごすでしょう。

それは言わば
”裸の王様”状態です。

だれかが「それは違うよ」と
教えないかぎり、
一生、恥をさらし続けることでしょう。



だれでも
自分が一番カワイイんです。

そして、自分への評価を
過大評価する傾向にあります。


だからこそ、
「言ってくれる人の存在」は
大切にすべきです。

傲慢で怠惰な自分の考えを
正してくれる。

こんなにも
嬉しい存在はありません。

一生で出会えるかどうか。

おそらく、片手で収まる程度でしか
出会えないはずです。

そのときの出会いを…

つながりを意識できるかは
自分次第だと感じます。




* * * * *




今回、あらためて
「noteって、
 自分にとって大事な場所だ」
と再認識いたしました。

大事な場所を守り続けたい…

そのために
わたし自身、感謝の気持ちを忘れず
「気づかせてくれる人」を
大切にしていきます。


では、また。
失礼します。

サポートしていただければ、あなたの習慣活動を全力で応援します!!