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かけ違うふたり

もともとは真面目で責任感も強い人、
優しいところもある人なのに
いつもお酒にのまれてしまう。
うちの家族でも、お酒の問題で悩んでる人がいる。

大切な約束をしてもドタキャンされたり
体調がわるくなってしまう。
それは、私が子供のころから
そうだったので悲しい思いをよくしていた。
だけど、本人も決してふざけている訳ではない。
本人も戦っていたりします。
依存症はそういう病気でもあります。
家族だから
それは理解しようと努めるけど
他人からしたら「無責任な人」とくくられるし
「だらしない人」と言われてしまうこと。


時には私も本当にむかついて
本気の喧嘩もするけど
支えていくしかないよなと思っている。
1月もささいな事で
言い方が気にいらないといって
軽くぶたれた。
「ぶつなんて卑怯だよ!」と洗濯カゴで防衛した。
分からないなら、もう一度ぶつぞと
言われて
暴力で人をいうこと聞かせようとする意味が
ちょっと分からなくて
「ちょっと何言ってるのか分かりません。」
と言った。決してあおって
言ってるつもりないんだけど
価値観があわないのかなぁと
思いつつ、大幅に距離をとっていた。


喧嘩ばかりしているわけでもなくて
いい所もたくさんあるのは知っている。
日頃から
家族のことばかり考えてくれてるのも
知っている。
色々と学びがあって
こうして家族になっていると思う。
だから、相手のせいばかりにしないで
私自身が見直さないといけないことも
沢山あるんだ。
それと向き合っているところだよ。


家族にあまえすぎて
言い方がきつくなってしまっていたのも
しれないなと反省したり
洗濯カゴの防御もむかついたのかもな
と思ってみたり。
逆に本気の喧嘩って
信頼関係がないと
あぶないものになってしまうんだと思う。
ラインをこえてしまうというか。
土台がないのに
お互いに痛めつけるだけのものは
消耗するだけだ。


どうしても
ぶつかってしまうとき
何か見直さないといけないことが
相手にも
自分にもあったりする。
そこをね
たくさん洗い出しているところです。


相手は変えようとしたって変わらない。
自分が変わりたいときに
人は変わっていく。
だけど自分の内側を変えることは
自分でしていける。
見える現実が変わってくるし
相手が同じことをやってても言ってても
こちらは今までと同じ反応はしなくなる。


私はずっと
小さいころから
家族の失敗があるたびに
同じレンズで
「悲しい」とか
「恥ずかしい」をうつしてきたんだと思う。
そのレンズを変えていく作業でもあるんだ。


ずっと同じようなことで喧嘩してきたね。
でも終わりにする。
感謝して、「かなしい」や「恥ずかしい」を手放す。
縁あって家族でいてくれてありがとう。
いたらなくて、ごめんとも思う。



特に相性のわるい家族とは
より気付きを多くもらえる関係なんだと
思うんだ。
ボタンをかけ違うことにも意味がある。
というか、意味があるものにできる。
自分しだいなんだ。

ちゃんと成長していきたいな。




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