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違和感が爆発したのは、愛を知っていたからだ。

一昨年から向き合っているのが両親のこと。

無関心という毒を持つ父親と、過干渉などの毒を持つ母親。
「毒親」として納得しようとし続けていたけど、全く納得できない状況が落ち着きつつある。

診断したわけじゃないけれど、
両親ともに発達障害(グレーゾーン)なのかもしれない、と最近になって気付いたときから、様々なことが腑に落ちたり、理解できたりしている。

具体例を挙げると止まらなくなるから書き出すことはしないけれど、どうも「性格」とか「育ち」では片付けられないものが沢山ある。

両親ともに距離感がおかしいのと、人の気持ちが分からない。
「嫌だ」「やめて」と何度も言っていることを、少し時間を置くとまたやってくる。一時期は二人とも認知症を発症してるのか?と思ったくらい。

だけど、発達障害(父はADHDで母はASD傾向だと思う)と疑うようになって、これは外側(私)が言ったところで治らないし、本人たちが問題というか、なんとかしたいなと考えない限りは、どうにもならないと分かり、諦めつつある。

私が積極的に物理的距離を取り、両親を拒むことが最善の方法。
だと思っている。


そうそう。
だからなの。

発達障害は遺伝すると言われているけれど、一旦そこは置いておき・・・

今までグレーゾーンの両親に育てられていたから、私の基礎はグレーゾーン思考で出来ている。
それが、大人になって徐々に違和感を感じて、なんで人と違うのか。
なぜこんなにも生きづらいのか、と感じてきた。

きっと、私もグレーゾーンだったら、この違和感や生きづらさは感じなかったと思う。
両親が今も尚、なんら違和感もなく生きているのと同じように。

例えば、母は勤めるところ全てで人間関係のゴタゴタがあるが、その中心人物となっているのが自分自身であると理解できないし、原因はいつも自分以外と思っているように、【自分は何も悪くない】と信じ切って生きていくと思う。


私は自分の内側と外側のギャップに違和感を感じてきたし、一昨年くらいから『確かにこっち(外側)の考え方の方がラクだよな」と思えるようになってきた。

なんていうか、本当の自分になっていくというか、自己統合という言葉が一番しっくりくるような。

両親から、言ってしまえば押しつけられてきたものを捨てていき、やっと自分自身というものが確立してきた、のような。


私は【両親から愛を十分にもらえていなかった】と思っているが、それは私が《愛》を知ったからだ。

人を愛することを知り、子どもを愛することを知ったからだ。
私が《誰かを愛する》ということを知ったからこそ、両親から愛を感じていないということに気付いたのだと思う。


今はこうやって言語化できているけれど、これが言語化できる前は、ただただ苦しかったし、なんで愛されなかったのか、のような考え方しかできなかった。

しかし今は、
両親は私が知っている《愛》を知らないんだ。
という地点に行き着いた。

知らないんじゃ、できない。
だから求めても仕方がない。
よね。


りんごを知らない人に「りんご持ってきて」と言ってりんごは来ない。
その人が「りんごって何だろう」と疑問を持って知るための行動に移せば、その人は「りんご」を知ることができるけど、そうじゃなければ一生知らないまま。

私は《愛》を知りたくてたくさん学んできたけれど、両親はそうではない。
「こっちは精一杯やってきた」と言われておしまい。

この溝を埋める気は全くない。
こっちが歩み寄ると調子に乗って何かやらかすから、一定の距離感を保たないとダメなのね。


もう、赦す、赦さないの問題じゃない。
如何に距離を保ち、接触しないか。


生きづらさを抱えている人の中には、
私と同じようなパターンの人もいるんじゃないかな。

実は両親がグレーゾーンだった場合。
それなりに生きているから分からなかった・・・って。

結構、つらいというか。
しんどいね。
でも、それが分かると、少しラクになる。

求めても無意味だと理解できると、また一歩進める。

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