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毒親が見せてくれるもの。

最近、「毒親」についての記事がよく読まれている。
毒親プロセスを越えたので、
結局「毒親」がなんだったのかを書いてみる。

「毒親」に辿り着く人たちは多分、
大人になってなんだか生きづらさを感じるようになり、その原因を探していく中で「毒親」というワードを知り、自分の親がそれに当てはまっていることに気付くのだろう。

私はそうだった。


毒親についての詳細はここでは書かないけれど、
毒親プロセスを越えた今。

私は自分の親を「毒親」と思わなくなった。

自分の親に対する今の認識は、
「私の親」という役割を持っている人たち、になった。

そこに特別な感情は、無い。
親だから、とか、
大事にしなきゃ、とか無い。

今は普通に話をするし、食事を共にすることもある。
けれど、「親だから」とかは、無い。
「家族だから」とかも、無い。

便宜上「両親」とか「家族」という言葉を使ったりするけど、特別な感情や想いは、無い。

だから、「子」や「娘」や「長女」としての【義務感】は無い。
私と両親は血は繋がっているけれど、完全に別の人間だ。
私がこの世に生まれるために必要な人だったけど、だからといって、特別視しなきゃいけない人たちではない。

これが今の、私の認識。
冷たいと思うかもしれないけど、表面上は良好な関係だ。
私はこれで満足している。


さて、どうして私たちは自分の親を「毒親」と認定するのだろうか。

子どもの頃は何ら疑問に思っていなかったのに、大人になってからどうして親に対して違和感を抱くようになるのだろうか。

なぜ、生きづらさの原因が親になるのだろうか。

これは非常に簡単な答えがあった。

それは、
「親からの自立」が始まったからだ。


生きづらいのは、
【親の価値観】で生きてきたから。
『自分の価値観』で生きていないから、生きづらい。
これまでの生き方が自分の価値観に沿ったものではないと気付き始めたから、その違和感が自分の内側で警報を鳴らす。

ということは・・・

【生きづらい】と感じているあなたは、
自分の人生を歩み始めているということであり、
実はとても喜ばしいことなのである。


あなたは、生きづらさを抱える原因となった「親」を恨んでいると思う。
私は恨んでいたし、実際に「恨んでいる」と両親に言い放った。

その感情自体は、悪者にしなくていい。
なぜなら、自分の奥底に、
こんな人生はただの時間の無駄だ!
という怒りが潜んでいるからだ。

要するに、
自分の本来の人生を歩みたい!
という希望があるということ。

あなたは自分の人生にとって正しい意識があるから、怒りや恨みという感情が湧いている。

怒りや恨みには、希望や本音が隠れているものだ。
これらの感情を悪者にすると自分の希望や本音を悪者にしてしまうから、自分を責めなくていい。

責める前に、本当はどうしたいのか、探ってあげて。


自分の親が「毒親」だと知った後、
きっと、たくさんの不満を抱くことになる。

こうしてくれなかった。
ああして欲しかった。
など、いろんな想いが次から次へとわいてくる。

こういう思考が止まらなくなる時がやってくる。

他の親たちは当たり前にやってくれることなのに、とか、
普通はこういう愛情表現をしてくれるのに、とか、
もう本当に際限なく湧き出てくる。


ここが一番苦しく、辛く、自分をコントロールできなくなる段階だ。
泣いたり怒ったりする。
でも、親に対する罪悪感なんかもあったりして、自分が間違っているんじゃないかと自己叱責に陥ったり。
どこを向いても落ち着かず、何を想っても考えてもスッキリしないし、死んだ方がましじゃないかなんて想う瞬間も出てくる。


内側が大パニックに陥ってるこの時は、誰に何を言われても、
うるさい!黙れ!何も知らないくせに!
と、八つ当たりしそうになる。

軽々と「親なんてそんなもんだよ」と言われた日には、
やっぱり自分が間違っているのか、と海底に沈むような感覚になる。

だから、むやみに人に相談しない方がよい。


内側の大パニック状態の時は、最低限の日常生活を送ればいい。

少し状態が落ち着いてきたら憶い出して欲しいことがある。

それは、

親に求めていることを、自分が自分に与えるということ。



親にもっと話を聞いて欲しかった人は、
自分の心の声をたくさん聴くようにしてほしい。

親にもっと愛情表現をして欲しかった人は、
自分で自分をたくさん褒めたり、励ましたり、大切にしてほしい。

親にもっと甘えたかった人は、
自分の「やりたくない」を叶えてほしいし、
自分にいろんなご褒美を与えてあげてほしい。


「毒親」というワードに立ち止まった人たちは、
自分の親からの自立するためのプロセスを歩んでいる。

自分の価値観で生きる道が啓いたのだ。


だから、
親に改めて何かをしてもらおうとせずに、
自分の感覚に従って進む練習をしてほしい。


私のように、時には親に八つ当たりしてもいいと思う。
それで落ち着くのなら、やってみてもいい。
どうなるかは自己責任だけど、八つ当たりされた親の反応を見るというのも何か気付きに繋がるかもしれない。


大人になった私たちに、
「毒親」である親たちは何もしてくれない。

我関せずだったり、
何言ってんだか、
のようのな態度や反応をされるかもしれない。


知っておくといいのは、

親は1mmも変わらないということ。


自分だけが変わらなきゃいけないなんて、そんな馬鹿なことがあるか!
と思うかもしれないけど、
親が変わることを望み続けるよりも、
言い方は悪いけれど、
さっさと見切りを付けて、自分と親の間に精神的な境界線を設けた方がラク。

その方が、自分の思うような関係性に早く変化する。


私の母は、父の愚痴や文句を今でも言うけれど、
私はそれを自分事にしなくなったから気にならない。

父の諸々のタイミングの悪さも変わらないけど、
自分に害が無いものは自分事にしない。


親は親の人生を歩んでいて、そのペースは親のもの。
私は私の人生を歩んでいて、そのペースは私のもの。

歩調が違うのは当たり前だし、
進む方向が違うのも当たり前。

「親」「家族」という関係性があるけれど、
それを自分の人生に含ませなくていいし、わざわざ持ち込む必要もない。

これは、親を見捨てるとは違う。


私は私、親は親。
と完全に区別するということ。

親だけでない。
自分の子でも、パートナーでも、友人でも、職場の人でも同じ。


自分の親が「毒親」だと気付いたということは、
自分の人生を歩み始めたサインなんだよ。

嘆くことじゃない。

やっと自分の人生を歩める、と安堵していい。

親の価値観から解放され、
自分の価値観を第一に考えるときがやってきたのだ。


プロセスはキツい。
でも、越えた先は気楽なもんだよ。

自分の価値観で生きると、これほどラクなんだと気付けるから。

大丈夫。
道が啓けたのだから、進めばいいだけ。
進んで行けば、必ず越えられる。




公式LINE:@840cfzef


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