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《子育て記録》送り出しの後悔と息子のこと。

◉送り出しの後悔

今朝は雨が降っていて、週初めで荷物も多いから途中まで車で送っていった。

息子が指定した場所まで到着したから「いってらっしゃい」って言ったけど、息子はなんだかニヤニヤしていて荷物を取ろうとしない。

私が「行くの嫌だ?寂しいの~?」とからかってみると「ちがうよ~」と。
その後直ぐに「学校まで行って」と言われたけど、雨の日の学校は車がとても多くて学校に入るにも出るにも大変な状況になるから、と断った。

「ほら、いきな」と声をかけると、「わかった」と荷物をまとめ、いってきますと車を降りた。

するとすぐに、息子の名前を呼ぶ声が。
他学年の男の子で、大きな声で数回息子を呼ぶ。

息子は一度振り返るけど、その子に駆け寄ることはなかった。
私も「?」と思いながら車を出したのだけど、なんとなく息子がいる方向に顔を向けると、他学年のその子と一緒に歩いていないようだった。

息子とその子は特に仲が悪いとか、喧嘩したことあるとか無いはずだけど、なんとなく違和感を感じた。
家の方向が途中まで一緒だから、登下校で会えば一緒に歩いているけど、何か思うようなことがあったのかな?

ただただ、雨の中歩くのが嫌だったのか・・・
なんなのか・・・

息子が理由も言わずに「お願い」をしてくるときは、ちょっと言いづらい理由があるとき。
その理由を聞いても答えないことが多いけど・・・
答えがなくても「どうしたの?」と聞けば良かったな、と後悔。

ただ、「雨の中を歩くのが嫌だから」であっても。


◉息子の性質

息子は最近、【ネガティブな理由はカッコ悪い】という意識を持ち始めている。
祖父母に怒られたとか、上手く出来なくて悔しかったとか、なかなか言わない。
嫌なことがあっても「大丈夫」って言ってしまう。
その「大丈夫」が「大丈夫」でないことを、私は十分に知っている。

でも、息子が自ら話し出すまでは、しつこく聞き出すことはしないようにしている。
自分の中で気持ちの処理ができれば、それでいいから。


息子は優しく、言葉も荒っぽくない。
「俺」とか「やべぇ」などの言葉は使うけれど、人の心をスパッと傷付けるような言葉は使わない。
とは言え、外では分からないけれど。

思ったことをそのまま言葉に変換して伝えるタイプの子と一緒にいると、その切れ味の良い言葉に息子は戸惑うことがしばしば。
「え~」と何も言葉を返せなくなってしまう。

言葉というものは、その人の捉え方で良い言葉にも悪い言葉にもなる性質があるから、なかなか難しいものだ。


いつだか、他学年の女のことに八つ当たりされたことがあった。
息子はただその場にいただけなのに、その女の子にとって都合が悪い出来事が起きてしまい「○○は見なくていいの!」と言われてしまった。

息子としてはその場にいることしか出来ない状況(例えるなら、何かの行列に並んでいるだけ)なのに、「見なくていい」と八つ当たりされ、ショックを受けてしまった。
元々その女の子は、息子に当たりが強いなぁとは思っていたけれど・・・


息子は一人っ子で、家では基本的にマイペースに過ごしている。
理不尽に子どもを怒ることはしないと決めているので、明らかに指摘すべきことは指摘するけど(食事の時はお皿に手を添えるとか、トイレを汚したらキレイにしてとか)、私の気分や感情のままには物事を言わないように気をつけている。

言葉の切れ味と、言葉による心へのダメージを知っているから、こそなんだけど・・・


家と外では全く環境も違うし様々な人がいるから、息子自身『家と外は違う』と分かっているだろうけど、まだその対応・対処は上手くできないと思う。
まだ低学年だし。

色々な人と出逢って、関わって、もまれて、学習していくことは沢山ある。
その中で、辛いことや悲しいことも起きる。
とは言え、息子の悲しそうな顔を見るのは、随分堪えるものだ。


◉素敵な世界を生きて欲しい

私は知っている。
意識が現実を創っていくことを。
そして、親が普段使っている言葉が、子に多大なる影響を与えることも。

だから私は、息子とは「ラッキーだね」とか「良いことがあったね」と物事の良い面にフォーカスすることが自然と出来るように過ごしている。

宿題が難しくて、間違っていたり進まなかったりすることがあっても、

失敗は悪いことではない。
すんなり出来た人よりも手間がかかった分、経験値が稼げてる。
失敗したらその分、正解したとき嬉しい。


と伝えている。

私は《勉強が得意になれ》ではなく《嫌いにならなければいい》と思っている。

だから、
宿題はできるだけ楽しくやれるように工夫するし、間違えた問題ができたときはハイタッチして少し大げさに喜んでみたりする。

間違えても、失敗しても、楽しくできると「もっと上手になりたい」と純粋に思えるようになるから、そこを目指している。


人間関係もね、自分の周りには良い人ばかりだって思えるようになると、本当にそうなっていくし、自分が何か失敗してもその人たちがちゃんとフォローしてくれるから、失敗が怖くなくなる。

周りの人を信頼することができると、安心して失敗できる。
そのためには、自分自身をよく知らないと、だけど。


そういうことを、ここには書ききれないけど、たくさん息子に伝えて息子の世界が更に素敵になっていくように、出来る限りのことをしていきたいな、と強く思っている最近。


とりあえず今朝の後悔を繰り返さないようにする。
安心できる場所があれば、人は外で頑張れるから。

《頑張る》と《甘える》のバランスはまずは大事だと思う。


◉超余談

私は全然英語が喋れない。
でも、ふと英語が喋りたいと思った。
そしたら偶然、海外からの観光客の男性と話をする機会が。
彼は、翻訳アプリを使いながら、私は超簡単な単語を使いながら、とてつもなく辿々しいやりとりをしたのだけど、それがとても楽しくて、最近は日常会話の簡単なフレーズを少しずつ覚えてるところ。

とある英会話の動画で、
「発音とか上手に喋ろうとかどうでもいい、とりあえず伝えようという気持ちで話してくれ、僕らは君の伝えたい気持ちを最大限聞き取りたい」
と言っていて、確かになーって思った。

逆の立場で考えると、お相手が拙い日本語を話していたとしたら、こちらはその拙い日本語を聞き取ろうと努力する。
知りたい内容と、教えたい内容が合致すれば、最高に嬉しいはず。

そのスタンスでいいんだー!と思ったら、
気楽に取り組めるようになった。

私が求めてるのは饒舌に話すことではなく、拙くともコミュニケーションが取れること。
ガチガチにならなくても良いようだ。


もっともっと、
気楽に、軽やかに生きられそうだ。

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