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「頑張りましょう」は禁句じゃないの?

 いつもお彼岸の中日は、母屋に午前中から親戚が十数名ほど集まる。3月20日は母屋の準備もあるし、疲れすぎてお風呂にも入っていないからシャワーを浴びないと…と朝5:00にセットしたアラームの音で目を覚ましたけれど、何かが違う。身体が異様に重くて、脳がボワ~ンと水に浸かってふやけたような感じがする。なんとか上半身だけ起こすと右耳がつまっていた。直ぐに4年前に罹った突発性難聴を思い出した。

 今までの私だったら、この程度なら体調なんて構わずに気力で起き上がって支度にかかっていたけれど、今回は『寝ていよう…』とまた直ぐに横になった。婚家の行事より自分のことを優先するなんて結婚してから初めてのことだった。いや、過去に一度だけエレカシ観たさにロッキンを優先して初盆をぶっちぎったことがある…。

 母屋でのお客様の接待は夫に頼んだので、布団に包まりゴロゴロしていたら、疲れが溜まっていたのか気が付くと昼近くになっていた。

 翌日は休診日だったので、金曜日に病院に行き聴力検査を受けた結果『急性低音障害型感音難聴』だった。主な原因は、睡眠不足、ストレス、慢性的な過労とのこと。どれも当てはまる。逆に私と同世代で当てはまらない人がいるのだろうか?とも思う。先生から生活上のアドバイスをもらい、最後に「まっ、大変ですけど頑張っていきましょう!」と言われた。私は、『エエッ!?いまどき、このような場面で「頑張りましょう」は禁句じゃないの!?「無理しないで、頑張らないで」じゃないの!?』と思い、予想外の新鮮な言葉に思わず心の中で笑ってしまった。

 そして、カラリとした「頑張りましょう」に少なからず元気を貰った。壊れ物でも扱うように「無理しないで、頑張らないで…」と言われると、単純な私は言葉を真に受けてシュン…と沈んでしまうので、昔ながらの決まり文句「頑張りましょう!」の方が「お、おうっ…!」となれて、かえって有難い。

 家に帰って、先生の言葉を思い出して『そうだ、頑張らないとね。』と、体調回復のために今はジックリ休んで、回復したら食事や運動など生活面を見直して、ついでに家事分担も検討しようと決めた。先ずは、ジックリ休むために母屋に向かい、お義父さまに「申し訳ありませんが、1週間ほど母屋の家事はお休みします。」と言ってきた。出来ないことはないけれど、止めれば私のQOL(生活の質)が上がるのは確実だったので、とても言い難かったけれど、早速ここで頑張って言ってみた。やっぱり正直なところ、嫁にとっては義理の家族に気を遣わないでいられるのが1番の休息。

 突発性難聴になった時は冬だったので、日中は家族が出払った静かなリビングの窓辺で、みかんを片手に、背を外に向けて座りこんでいた。背中を撫でてもらっているかのように、じんわりと感じる陽の気配はとても優しかった。それに、普段は味わえない、猫の日向ぼっこのように緩やかに怠惰な時間が過ぎていくのが心地良く、ひと足早くお婆さんになった気分だったけれど、悪くないな…と思えた。

 神経が消耗している時は、見るのも、聞くのも、読むのも辛い。そんな時は味覚、嗅覚、触覚を頼りにしている。毛布やクッションの手触りや、湯船の温かさ、外気が肌に触れる触感、柑橘類やコーヒーやお茶の香り、入浴剤やハンドクリームの香り、美味しい物に助けて貰っている。気力も体力も無くダラリと過ごす自分には、気持ち良いな、美味しいな、良い香りだな…それだけで十分だから。

 夜は、いつもと違って常夜灯も灯さずに、真っ暗にした部屋で早めに就寝した。目を開けても閉じても真っ暗で、洗い晒しのような暗闇が気持ち良い。清涼感すらある暗闇がイガイガした神経を鎮静してくれるのか、スーッと眠りにつけた。

 こんな感じで『食っちゃ寝、食っちゃ寝』の生活を3日程過ごして、耳の方は回復の兆しも無いけれど、身体は随分楽になった。そして、来週は本当に年度末。こんな調子で無事に仕事が年度を越せるのだろうか?そこはベテランOL、なんとかなるのは分かっている。


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