見出し画像

贅沢な時間

 昨年の暮れに実家に帰ると、母から土産にレーズンバターを1本持たされた。何を思うと、娘への土産にレーズンバターを選ぶことになるのか不思議でたまらなかった。レーズンバターが好きだと言ったこともなければ、実家に居た頃にレーズンバターを食べていたことも無いのに…。
それでも、丁度そのころ読んでいた江國香織さんの『泣く大人』で、バター愛を語るエッセイのなかにレーズンバターが登場していたので興味をもったところだった。

 私には背徳なかたまりに思えるバターを、江國さんは『贅沢なかたまり』と表現している。また、『ふいにカロリーが頭をよぎることも、ないとは言えない。でも、私はすぐに、その軟弱な考えをふり払う。』とも書いてある。好きってこういうことだよなぁ…と思う。私もバター好きの1人だけど、軟弱な考えから好きという純粋な気持ちを貫けず、贅沢ではなく、背徳と感じてしまうのだと敗北感を覚えた。やっぱり、本物の「好き」には強さがある。後ろめたさをふり払えないような私は、まだまだバター好きとは言えないと思った。
 
 休日の明け方にコーヒーを淹れ、小皿にレーズンバターを3切れ乗せ、リビングで独りの時間を楽しむ。空もまだ藍色で、深夜よりも静寂を感じるなかで、じっくりとコーヒーと共に味わうレーズンバターは格別だ。ツルンと舌の上を滑ると、直ぐにヌルリとした触感に変わり、濃厚な旨味と甘みを残して瞬く間に消えていく。その後を、レーズンがシャリシャリとした小気味よい触感と成熟した甘みを口の中に広げてくれる。それぞれが、舌触り、歯触りまで満足させてくれる。
 そして、とある選書サービスを利用して送って頂いた、届いたばかりの本をパラパラとめくる。数冊あるうちの1冊は詩集だった。自分で詩集を買うことはないので少し新鮮だった。

多忙な人

忙しすぎては いけない
大切な人に
会えなくなって
ひとりで困っているのを
見過ごしてしまう

忙しそうに していると
心を 開いてくれるはずの人が
いつの間にか
黙ってしまう

そんなことがあったら
どんなことを
成し遂げたとしても
虚しく感じるだろう

世の中が
仕事と呼ぶものに
心を
奪われては いけない

詩集 幸福論 若松英輔

離れて暮らす家族や友人のことが頭に浮かんだ。そして、自分自身も。忙しさに心を奪われて、大切な身近な人や、自分を取りこぼすことの無いように過ごしていきたいと思った。

 誰も居ない、時間と空間のなかでコーヒーとレーズンバターと詩集を堪能する。なんて贅沢な時間だろう。こんな時、大人で良かった…としみじみ思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?