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もう我慢ばっかりするのは止めにした。

私は諦めるのが得意。子供の頃から何か欲しいものがあって、買ってほしいと言っても買ってもらえないことが多く、そのうち欲しいと言わなくなりました。「どうせ無理」を学習したわけです。


親の顔色をうかがって生きてきたからか、ダメっぽい事はなんとなくわかるのでほしいと言う前に話をやめればそれでオッケー。慣れたものです。


このやり方は、最悪なことから逃れるのにはとても役立ったんだけど、自分が前へ進むのにはものすごくジャマになった。すぐ諦めてしまうから何にも続かないって事。


人にちょっと何か言われたらもうそれでポキっと折れてしまう。もうイヤってなる。


これをご丁寧に何10年もやってきた。だから未だにな〜んにも成し遂げていない。


子供は二人いて、ふたりとも成人しているから、子育ては一応完了したと言えるのかな。もっとああしたら良かった、何でこうできなかったんだという思いはいっぱいあるけど、まぁここではオッケーと言う事にしておこう。


英語が好きだから、と外語短大に入ったけど、実のところは親元から離れたい一心でうちから通える最も遠い学校を選んだので、入学してからも、親の目を気にせず伸び伸び遊ぶことに力を注いだ。当然、勉強は2の次になる。


出席しなければ単位が取れない科目は事前にリサーチして出席するようにしていたが、そうでない教科のときは、友達と待ち合わせる駅で学校に行くのをやめにして駅前でお茶したり買い物したりして遊んで帰ることもあった。


うちの親は心配ばかりして信頼してくれない人たちだった。


今考えれば、それには理由があって、私は未熟児で生まれ数日保育器のお世話になったらしいんだけど、数年前に生まれてすぐに子供を亡くしているから、ものすごく心配したのだとか。


私にすれば知ったことではないけど、親にしてみれば怖かったんだろうなとは思う。また子供を失ってしまうのか、という気持ちは辛いよな〜。


ただ、親たちは、その気持ちをずっと引きずっていたのか、私にはひどく過干渉でうるさいことこの上なかった。それでいてお金を出すことは嫌がったので、私はただただ窮屈な子供時代を過ごした。


あの頃、もしも、親が私に使うお金を惜しまなかったら、腹違いの姉はグレていたかもしれないし、私は私で鼻持ちならないわがまま娘になっていたかもしれないので、これで良かったのかもしれない、という考え方もあるけど、私は私にもっとお金を使ってほしかった。


小さい頃、普通ので良かったのに、やけに立派な室内用の滑り台を買って、私があんまり喜ばなかったと言ってちちがガッカリしていたらしい。アホか。そんなことでいちいち落ち込んでどうすんだよ。


女の子なのに、死んだ子が男の子だったからって、私に赤いスポーツカーや高級レーシングセットを買ったくせに。私がそれを喜ぶとでも思ったんだろうか?


見事なまでの想像力の欠如。自己中の極み。


こんなふうだからわざわざ遠い学校に通ったんだよ。ホントは下宿したかったんだけどダメって言われたからさ。


この頃の私は親とケンカする方法もパワーも持ち合わせていなかったので、こうするしかなかった。


こうして大人になっても、結婚しても、子供ができても、自分のことは後回しにして家のこと、旦那のこと、子供のこと、って日々過ごしていた。


結婚を卒業(笑)して、ずいぶん楽にはなったけど、それでもどこか自分を後回しにしていたみたいだ。


それが、一昨年にはめまいで検査、このときはその後特になんともなかったんだけど、去年入院することになって、初期だけとガンだったし、色々あって何とか入院手術して元気になった。


ここら辺のことは別の記事に書いているので、そちらを読んでみてほしい。


それで、私のは子宮の病気だったんだけど、ある人に「子宮は我慢を溜め込む」みたいなことを言われた。もう抱えきれないから病気になっちゃったってこと?


まあ、有り得なくもないか。取っちゃうんだからもう大丈夫なんだけどね。


で、退院してしばらく経った時に思った。

「せっかく元気になったんだから、これからは我慢したり諦めたりしないで、じぶんのすきなことをやるんだ」ってね。


そこから今の私が始まってます。

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