マガジンのカバー画像

頭の中にあったもの

16
noteに書いた駄文戯文。
運営しているクリエイター

記事一覧

エルドラド

1.

 これを見ているだけでなんとなく心が癒される。心の健康が回復してゆく。なんてなものが誰にでもあるのじゃないだろうか。

 私の場合、そうした癒しを与えてくれるものとしてまず真っ先に思い浮かぶのが、冬場の野球場だ。それもプロ野球の興行が平素から行われているような立派な野球場を見るのがよい。

 冬場の野球場。寒風吹きすさぶ中、ゲームが開催されることもなく、誰からも省みられることなく、ただただ

もっとみる

面白きことも無き世を面白く

 面白い。というものは取り扱いの厄介な代物でなかなかにその実態は掴みにくいものである。

 昨今のテレビ番組についていえば、たといばバラエティとカテゴライズされる種類の番組なぞはいまや内容的にとんでもなくレベルの高いものになっている。タイトルロゴからスタジオセットなどの手が込んでいることは云うに及ばず、またその内容そのものについても”芸人”と自ら称する、至極愉快な会話をあたかもショースポーツのよう

もっとみる

生きるヒントでピント

 モノは云いようだ。モノは云いようでその印象を如何様にも変える。

 たといば近頃ではその辺のスーパーマーケットでも催されるほど当たり前となったマグロの解体ショー。

 あれも売る側が”マグロの解体ショー”と云うから、買い物客のみなさんもああ"マグロの解体ショー"なんだなと平気に思って見に集まり、そうして職人の手によりマグロが捌かれ解体されるのを当たり前に観覧し、ついに刺し身へと変貌したマグロの肉

もっとみる

獲らぬ狸が皮算用

 大変なことが僕の身に起ころうとしている。

 あとひと月半の後には僕は億万長者になっている。億万長者になってしまっている。

 宝籤というものを買った。これは一枚三百円で販売されている番号札で、後日、然る可き人物により厳正なる抽選が行われ当選番号が確定、該当する番号札を購入した人は見事当選ということになり、何らの努力をすることなく莫大な金銭が貰えるというものだ。

 僕が購入した籤はサマージャン

もっとみる

行きつ戻りつ時代は進む

 進歩の行き着く先は退歩であった、ということは割合に良くあって、たといば廻転寿司。

 廻転寿司とはそもそも、職人と面倒な遣り取りをすることなく、随意に自分の好きな寿司を選んで食することが出来るように、との意味合いから産まれたものだ。専門用語と通人が跋扈するそれまでの寿司店では、職人にそう云って自分の好きなネタを握ってもらうには、客の側にも相応の教養が求められる。ハマチとカンパチとブリの違いぐらい

もっとみる

ほんとに狂ってるのは

 やはり請われてテレビに出演する人というのは皆、押し並べて偉人なのだと思った。

 今週、突如として日本中を席巻した兵庫県議会議員の号泣会見。あの会見が近来稀に見る面白い見世物であったことは衆目の一致するところと思う。が、これを報じるテレビのニュースショー/ワイドショーに出演しているキャスターならびにコメンテーターの皆さんときたら、あんなに面白い動画を目にしても一切笑うことなく、それどころか「こん

もっとみる

真実真正に生きよう

 ひとつ嘘をつくと、その嘘を隠すためにまた別の嘘をつくようになると云う。

 そうして嘘に嘘を重ねていくうちに、いつしか、取り返しの付かない事態へと、手ずから自分を追い込んでいく。

 だから、嘘をついたらなるべく早いうちにごめんなさい、私は嘘をついておりました、と白状してしまったほうが身の為なのだが、実際はなかなかそうもいかない。人には体面とかメンツとか人間関係とかいった、しがらみ的なことがらが

もっとみる

思考の棚ざらえ。

 思考が纏まらない。

 noteに何かを書き記してやろう、noteにひとつ面白い何かをぶっ書いてやろうと目論みテキストnoteをオープンして、いろんなことを考えたのだが、思考が四方八方に飛んでしまってまったく考えが纏まらない。

 こういうときは出来ないことは出来ないと開き直り諦めてしまうのが手っ取り早い。無理をすると体に良くないしネ。

 そういうわけだから、ここンところ吾輩の脳内に浮かんだ思

もっとみる

1.21ジゴワットの未来

 気がつけば西暦二〇一四年も半分がところを過ぎようとしている。

 時の速きこと風の如し。この分ではあと一年もしないうちに間違いなく西暦二〇一五年が到来しているだろう。

 そうなると大変だ。二〇一五年といえば十月に、一九八五年の世界からマーティ・マクフライがタイムマシンのデロリアン号に乗って時間旅行してやってきてしまうのだから!

 とまあそれは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』

もっとみる

寝ては夢 起きては現 幻の

 明晰夢。なるものを見る人があるらしい。

 睡眠の最中に見る夢。あれを見ているときに、その夢ン中で「ああ。自分はいま夢の中の世界に居るのだな」と自覚出来、その自覚の元に夢の中に於ける自らの振る舞いを随意にコントロール出来るという。

 なんたら羨ましいことであろうか。夢判断/精神分析の大家であるフロイト先生が云うには、夢というのは、普段の暮らし向きにあっては無意識のうちに抑圧している下卑た/反社

もっとみる

ジャパン・アズ・オンリー・ワン

 二〇二〇年に予定されている、二度目の東京五輪の開催を契機にいろいろと我が国も変わりそうである。

 その変わりそうなことのひとつにカジノ合法化がある。

 巷間囁かれている噂によれば、政府主導で東京は港区・台場にシンガポール顔負けのカジノを建造、そこを一大カジノタウンとして莫大なる観光収入をあげようという腹積もりらしい。そういやKONAMIが、カジノ法案成立を視野に入れた会社を作ったらしいネ。

もっとみる

自分を縛り上げて。

 吾輩は猫である。勿論嘘である。吾輩が猫の訳ないでしょうが。

 では吾輩は何であるかと云えば、吾輩は何事に拠らず考え過ぎてしまうばか者である。何も始めないうちからああでもない、こうでもない、といらぬ呻吟をした揚げ句、うわあ。まだ手も付けないうちからこんなに気持ち/精神が苦労するんならいっそこんなこたあしないほうがマシだァ。なんて思って、何もしないうちから諦めてしまう。

 本当に一事が万事こんな

もっとみる

後悔を先に立たせて後から見れば

 「小さなことを積み重ねていくこと。それがとんでもないところへ到達する唯一の方法」

 かのイチロー選手の言葉である。なるほど。と首肯するしかないパーフェクトな言葉である。これをイチロー選手が云う、というのがまたなんともいいよね。

 イチロー選手を引き合いに出してから自分の話をするのはまことに気が引けるのだが、この言葉を思うたびに、嗚呼、してみりゃあ自分なぞは、いったいどれほどとんでもないところ

もっとみる

迷宮入り。

 極論や結論めいたことを鼻高々に云ってしまうのは馬鹿の所業に他ならないけれども、そうと理解していながらも僕は敢えて「インターネッツとは検索のことである」と鼻高々に云い切ってしまう。だってそうしないとこれからする話がうまく進まないのでネ。

 探せばなんでも見つかるのが現代インターネッツの大きな利点のひとつだ。ググレカス。なんてな言葉が雑言として当たり前に通用するぐらいに検索が占める比重は大きい。も

もっとみる