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問いかけは思考を緩めてくれる

先日のCULTIBASE Labのイベント『問いかけの作法:チームのポテンシャルを活かす技術』を観た。勉強になるテーマが毎週あってなかなか学習が追い付かないくらい…でも面白い。

問い/問いかけ/問うのイメージ

名詞か動詞の違いはあるけれど、どれも微妙にニュアンスが違うように感じる。

「問い」はみんなで眺めている感じ、一定の距離があるような。
「問いかけ」は、誰かからふっと自分の前に問いが置かれて、「うーん何やろう」と考えるきっかけになる感じ。
「問う」は、目の前に考えるべきことをどどーんと置かれて、問われると少しうっとくるような感じがする。

これはうちのフィルターが随分とかかっているので原点に立ち返ろう。

問い→問うこと。尋ね聞くこと。/人々が創造的対話を通して認識と関係性を編み直すための媒体。
問いかけ→問いかけること、質問。/思考と感情を刺激する。
問う→わからないことやはっきりしないことを人に聞く。また、相手の考えを知ろうとして、ある事をたずねる。多くの人に判断を求める。質問する。

*引用:goo辞書/『問いのデザイン』(安斎・塩瀬,2020)から定義や性質を抜粋

ここで「問い」と似た言葉、「質問・発問」との違いについても、『問いのデザイン』では分かりやすく整理されている。

質問→問う側は答えを知らない。問われる側は答えを知っている。
情報を引きだすためのトリガー
発問→問う側は答えを知っている。問われる側は答えを知らない。
考えさせるためのトリガー
問い→問う側は答えを知らない。問われる側も答えを知らない。
創造的対話を促すトリガー
*引用:『問いのデザイン』(安斎・塩瀬,2020)p.43

正解ばかり求められる場だと、質問・発問は多い。これらが全てなくなることの弊害はあると思う。一方、これまでの生活で問いを考えたり、求められたりしてきただろうか?自分の場合は「問い」を考える体験ってほとんど覚えていない。それだけ「答えにたどり着く」ことが良しとされてきたんだと思う。でも、大人になってからは、自分で何が課題か見つけて問いを立てて実行する機会のほうが圧倒的に多い

もう課題や正解は出尽くされている社会だから(いわゆるVUCAですね)、今度は自分で課題、「問い」を見つけて動いていくことのほうが求められる。そこが課題だと気付いた今の自分は、むしろ「問い」を求めているし、「問い」について対話したいと思うようになった。多分、これからの時代が正解よりも自分で課題を見つけに行かざるを得ないから。そして、正解を求められて委縮するよりも解放されたほうが自分の感じたことをより大事にできるからだと思う。

ライブイベントを観て

ファシリをしていると意見が出ないことはまあまあある。それは「何かありませんか?」とふわっとした投げかけだから仕方ないのがよく分かった。
これを「相手が考えていないから」と理由付けることがある。自分の場合だったら、「説明が分かりにくかったんかな。もっとこう言えば良かったのに悪かったな」と反省モードになってしまう。

果たしてそれだけ?
ちゃんと場を見ることができているのか?

相手が答えられないのは《引き出す術がなかった》という安斎さんの話で、なるほどと思った。何かしら人は感じているはずで、相手が気付いていない引っかかりを顕在化させるきっかけになるのが「問いかけ」なんだなと腹落ちした。

カウンセリングでも、相手の話を聴いて受け止めるだけでは前に進まない。現状どれくらい進んでいるんだろう、最初と比べてどんな変化があっただろうと毎回評価していくことは大事だし、この発言・問いかけは相手にとってどうだったんだろうとセラピストがプロセスを振り返ることはとっても重要。SV受けるとかケースカンファで振り返ることも、気付きの場になる。
何か1つでも相手の見えない引っかかりを引きだす言葉、「問いかけ」によって流れは変わるもの。それが相互作用の面白さでもあり難しさ。だから、「問いかけ」を切り口にプロセスに注目することは大事だなと思った。

家族や友人、職場でも同じことは言えると思う。悩んでいる人にとって、自分の中で作られた思考・自分自身に問うている「問い」に縛られていることがあるんじゃないかなと。それを周囲のふとした「問いかけ」によって、自分が導き出した「問い」から緩まることができるのかなと思う。

思考を緩める問いかけを考える

ここで教育改革家の藤原和博さんの『朝礼だけの学校』というYouTubeを思い出した。毎回動画のテーマが面白いし、自分で考えてみようという気持ちになる。朝早いのでリアルタイムでなかなか聞けないのだけれど、何度も観ている。

今朝観た動画から関連して思ったのは、頭を柔らかくさせること、情報編集力に思考をシフトさせること
正解を与えられて処理することだけでは額面通りにしか捉えられないし、クリエイティブなものは生まれない。

ブレストでの教示は、相手を否定しない、突拍子のないアイディア、非現実的なアイディアを出すこと、アイディアを組み合わせていくことをたいてい言っている。特に、突拍子のないアイディア・非現実的なアイディアを出すこと、これってすごく大事だけど意外とできない。藤原さんも動画で言われていたが、まずあり得ない、バカなアイディアを最初に出すことが大事。それによって、周囲のクリエイティブで斬新なアイディアを《引き出す術》になるのだと思う。

対話の場では斬新さはそこまでなくていいけれど、相手の考え・引っかかり・モヤモヤを引きだす「問いかけ」という点では同じことが言えるのではないかと。それは、自分の思考、相手の思考を緩めてくれる「問いかけ」になっているのだと思う。


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