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平成は「当たり前」が「当たり前」になった時代

ついこの前まで、こんな時代があった


令和最初の日、デイサービスのお客様が、こんなものを持って来られました。

「臨時召集令状」と書いてあります。

いわゆる「赤紙」ってやつです。


漫画とか、戦争映画でしか見たことのないものでした。

「これが来たら、終わり。」
「もう逃げらんない。」

持って来てくださった90代の男性は、熱々の煎茶を飲みながら、
大笑いしてこう言いました。


「よく持ってたわね〜」
70代の女性と80代の女性が食いつきました。

「いやあ、コピーなんだよ、ほら、名前入ってないでしょ?でも、これ実際に使われてたやつなんだよ。」


数十年間の日本の変化


74年前。

26年しか生きていない僕が言うと、説得力に欠きますが、
まだ74年です。

74年前、こんな姿を想像したでしょうか?

このかたは、80代。
終戦当時はまだ幼少期。
それでも、小さな少女の脳裏には、戦時中の記憶が色濃く残っているといいます。

赤紙を見せびらかして笑って、みんなで回し読みして、”嫌だね〜”とか言ったりして、ケータイで写真撮って、その姿を写真で撮って、

このうち、1つでもやってしまうと、「犯罪」になった時代です。

そうです。当時なら、過激派犯罪集団と言われてもおかしくありません。


”今の彼ら”と”今の僕ら”


今の人・昔の人、と分断するのはナンセンスだなあと思いながらも、こんなタイミング(令和)なので、あえて分断して考えてみたいと思います。

「平和」

多分、何が平和かというと、感じ方はだいぶ違うんだろうなあと思います。

”明日の命”のこともわからない。
生きていられるかもわからない。

そんなこと、僕らは考えたこともないんじゃないのかなと思います。

ほんの数十年しか変わらないのに、”今の僕ら”にはその感覚がわかりません。

平和であることが当然で、平和ではない世界を想像することすらできません。

”今の彼ら”はどんな気持ちでいるのでしょうか。

明日生きてられるかもわからない。
そんな時代で若き日を過ごして、

とにかく体力の続く限り働き続けて、

80年90年100年の人生の終盤、やっと手に入れた「平和な日々」。

平和という言葉に対しては、明らかな分断は存在すると感じています。

多世代との共存

世代間ギャップ。

例えば、スマホとかSNSとかテレビ視聴。

このくらいであれば、時代とともに変わるものだし、直接的に社会構造自体に関わるものではないです。

しかし、
『平和』という、なんともザックリとした概念の違いにおいては、
"ギャップだね〜"だけでは、中々避けて通れそうにありません。

例えば、
政治、それも安全保障などに関してや、
道徳教育、倫理教育などに関しても、世代間の違いから、意見の違いが生まれそうです。

違うから、共存はできない。
経験のない若い世代には任せられない。
いや、年寄りには引っ込んでもらい、これからを担う世代に任せて欲しい。

様々な意見が出るでしょう。

本質的な共存とはなんでしょうか?

僕らは民主主義に生きています。
民主主義である以上、
"違うからお前の意見は聞けない"
では、筋が通りません。

違うものであると受け入れ、
自分と違う人がどんな思考で思想で、行動しているのかを知る必要があります。

世代間共存の手段

そのための手段として、
【シニア向けスマホ教室】を行なっています。

世代の違うもの同士が、
『"難解そうに見える"スマホ』という、ある種の共通敵に向かって、
ともに楽しんでいます。

もちろん、会話の中で、
合わないな〜
自分達とは違うな〜
と思うこともあります。

それでもいいんじゃないですか?

違うね〜
でも、楽しいね〜
って思うことが、ほんの少しでもできれば、
世代間の違いを知ることができます。

知れば、共通敵を通して理解できるようになります。

理解出来れば、少しずつ受け入れることができます。

そうやって、世代間の違いを"つながり"に変えていきたいと思います。



今日はここまで!!!







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