見出し画像

第2章 なぜみやこやをつくったのか_ボランティア体質でいいのか③

町づくりをボランティアに委ねるのはいいことなのか。
今回は人口の問題と絡めて書いてみます。

人口の増減について「自然増減(出生、死亡)」「社会増減(転入、転出)」というのがあります。

地域創生という言葉を知っていますか?
「地方創生HP」
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/

地方創生(ちほうそうせい)とは、第2次安倍政権で掲げられた、東京一極集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることを目的とした一連の政策である(wikiより抜粋)

この政策で誰が得したのか、未だにさっぱりわかりません。こんなもの最初からうまくいくはずがないことなんて、大概の人は分かっていたはずだ。

だって、考えてみれば、自分達の学生時代も「宮崎で仕事をしたい!」とは思わなかった。まず働きたいと思う仕事が宮崎にはない。当時は行きたい学部もなかった。宮崎に大学がないから県外に行く。そしてそのまま就職というパターンが通常だ。

色々と、反論データを出されてもやっぱり人口流出は止められない。

シンプルに考えてみよう。

若者が東京へ流出する理由は、いつの時代も同じで「地方は仕事がない」「東京は魅力的」「一度は県外に出てみたい」

「地方の魅力を発信すれはきっと地方にも・・・」なんて、どんなきれいごとを言っても、リアル若者達の現実的な感覚はまっすぐと都会に向かっている。

地方創生に予算を投入した割りには、思うような成果は挙がっていない。当たり前だ。そもそも論として全国に人口がいないのだから。外国人労働者を雇わないとやっていけない時代に、地方への人口を増やそうという理論はただの地域間の取り合いというだけであり、何も根本的な解決にはならない。

地域での魅力を訴えたところで、便利ではないところに人が来るか。

答えはNOだ。

もう一つ妙な話があります。

外部ボランティアの活用だ。
過疎化した地域へ地域外のボランティアが入って活性化につなげるという事業。

毎回思うのだが、

地域の外から来た人たちは、その町に一生住むつもりがあるか?

そういう気持ちがないのであれば、この事業は単なる「自己満足」の事業であり、本質的な解決にはならない。

ある関係者に「どうしてこういう無意味な事業をするんだ?」と聞いたら、やれっていわれたらやらないといけないから。と言っていた。

本音はどうなのか?と聞くと、効果はないだろう。という。
理由は色々ある。ただ、ここでいうとまた色々な人に怒られるので今回は省くことにします。

分かっているのだ。こういう事業に関わる関係者は予算があるからやらざるを得ないだけで、本質的な解決には繋がらないという事を。

宮崎市内においても、各地域で聞き取りをしてみると、町づくりの後継者不足に悩んでいる。若い人が果たして参加できる社会構造になっているか。

私が一番いいたいのは、

「町づくりというのは、生活をする環境の問題だから、やっぱりそこに住んでいる人が主役なのだ。その町が高齢化を迎えたらもう、それを現実に受け止めて対策を練らないといけない」

例えば防災にしてもだ。
災害時の役割表があるが、高齢化した住民ばかりの組織表を見て「こりゃ、実際は皆、逃げ遅れるな」といつも思っている。

しかも、若い人たちは日中その町にはいないのだ。

そうなると、その組織表は全く成立しない。

こうした色々を現実的に考えてみると、「普段から施設で生活をしたほうがいい」という理論に行き着く。

私は今回、県のアクションプラン作成に関わった訳ですが、5年後の宮崎の人口の目標値について、審議委員からかなり議論が出た。

理想論の数値を掲げて、それを元にしたアクションプラン作りをすることに何の意味があるのか?せめて人口についてはもっと確実なシミュレーションを数値に落とし込むべきだ。

正にその通りなのだ。

分かっている人たちは分かっている。現実というものを。
無理な理想論を掲げたところで、それが実現不可能ということを。

理想の人口数値が基盤になると全てがおかしいプランになっていくのだ。
そういう訳で、結局今回の県内の人口の目標値は修正が図られることになった(メディアでもこの件は報道された)

地方創生にしろ、地域外ボランティアにしろ何でも取り掛かった数年間はいいのだ。一種の流行みたいなもので盛り上がる。しかし、着実に高齢化が進む地域ではそれに変わる代替案をしっかりと考えておかないと、いざという時に対応ができない。

一極集中という話も良く出るが、正にそっちの方が効率がいいのだ。
その町に支える若者がいなければ、どうしようもないのだ。

ここからが、今日のテーマなのですが、こうなればボランティア、共助という考えはそもそもが成立しないということになる。

外部からボランティアで来る人たちは、その町から高齢者がいなくなるまで、支えるのか。若者がその町に定着するまで支えるのか。

市内でも、地域をまたいで助け合う仕組があるが、全体的に若者達は日中にボランティアをしない。というかできない。当たり前だ。仕事があるから。そうなると、町づくりも継続してやるわけにはいかないのだ。

町づくりって、日祭日にするお祭りやイベントだけじゃない。

毎日、「その町」で生活をしているのだ。

そんな日常を、無償でフォローできますか?

町づくり=イベントではない
町づくり=町を支える・町での生活を支える

そういう事なのだ。

長年の活動を通して、どう考えてもこの理論にしか行き着かない私は、自分の理論を確かめようと今回介護事業を自分の町で立ち上げた。

これが可能になると、

・町の中で若者が働く
・町の中のHUB拠点ができる
・町の人たちを巻き込める
・町の防災対策になる(わが施設を提供できる)
・町の人の日常をサポートできる

そういう事ができるんじゃないかと思ったわけです。

やってみた結果?

着実に効果は出ています。当初はどうなることかと思いましたが、このメソッドが正しいことが少しずつ分かってきました。
この辺りを、しっかりとこの「ワタシマチメソッド」で公開していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?