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読書感想文〜『デューク』江國香織

ずっと昔に「すごくいい話」と聞いて読んだお話です。

当時、センター試験では出題文として全文掲載されたようです。
泣きながら解いた受験生も多かったのではないかと思います。
今もネットで検索したら全文読める受験関係サイトもあります。


キスが上手で横顔がジェームス・ディーンに似ていたデュークが死んだ。愛犬デュークを亡くした21歳の『私』。バイトに行く途中の電車内でしゃくりあげて泣いていると、周りの目から隠してくれる少年が現れた。電車を乗り換えても守るように着いてきてくれる少年。一緒にお茶をして、プールに行って…と夜まで一緒に過ごし、最後は”デュークのキス”と優しい言葉で…。


数ページの短編です。
大切な存在をなくし、悲しみに打ちひしがれている『私』が一緒に過ごした少年は、デュークがひととき戻ってきた姿なのでしょうか。

一緒に過ごしていたペットが亡くなった経験がある方は多いと思います。
私もあります。
急に体調不良になり入院したのですが退院しても良くならず、思いもよらない突然の別れだったので、辛くて泣いてばかりで、日常生活を送ることさえ困難でした。
もっとしてあげられたことがあったのではないか、もっとあの時違うことをしていたら、あんなことをしなければよかったのではないか、もっと一緒にいたらよかった。
あの子は幸せだったのだろうか?辛い思いをさせた、苦しい思いをさせた、どうしてあげればよかったのか。

今からではどうしようもない、という無力感、もう会えないという絶望感。

会いたい、と大の大人が大声で何日も泣いていました。
会えるのなら何でもする、もう一度姿をみせて、触れさせて欲しい。
それとも生まれ変わってそばに来て欲しい、と現実的ではないことも考えてしまいました。
胸がちぎれるようでした。
私が死んだら会えるのかな、とも考えました。
呆然とした毎日を過ごしていました。

日にちが経って、少しずつ”いない生活”に慣れていき、自分が生きていくためにしなくてはいけないことをこなしていく中で”別れ”を受け入れていき今に至っていますが、1年経っても、まだ1年ですが、寂しい、悲しい気持ちは消えていませんし、会いたい気持ちも強いです。

ただ、お別れの直後には思えなかった『あの子に恥ずかしいところを見せられない』という気持ちが生まれて、きちんとした生活を送って、したいことをできるようにがんばっていこう、と思えるようになりました。
心配させてはいけない、と。

キューブラ・ロス『喪失の受容過程』
という喪失に対しての受容を唱えたモデルがあります。

  1. 否認と孤立・現実を受け入れることができない

  2. 怒り・どうして私だけと憤る 後悔し自分へ憤る

  3. 取り引き・~するからもう一度会いたいと祈る

  4. 抑うつ・会えないと理解し喪失感を抱く 何も手に着かない 

  5. 受容・いない生活を受け入れていく

他にもリンデマン、パークス、カプランなどが、喪失・悲嘆のプロセスを唱えています。
辛い気持ちが強い間は「受け入れるなんてできない」と思ってしまいますが、こころは過程を経て受容していくことができます。
日にちを経て辛さを少しずつ乗り越えて行く先には、一緒に過ごした日々やクセやしぐさなど、楽しかったことを笑って思い出すことができるようになると思います。
どれだけ愛していたか、愛されていたか。
思い出して微笑んで少し泣いて、私は元気でやってるよ、いつか会おうね、と。

デュークは最後に少年に姿を変えて会いに来てくれたんだ、と思います。
未読の方はぜひ『デューク 江國香織 全文』と検索して読んでみてください。

本はこちらです↓。












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