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言葉には力がある

自分の言った言葉で誰か傷つく人がいるとそれは「凶器」になる

誰しも一度は経験があるのではないだろうか
自分が思ってもみなかったように捉えられ、自分の言葉で誰かが知らず知らずに傷ついていたとか

後になってわかることだから、分かった時点ではどうすることもできないのだけれど。

誰も傷つけたくないのはみんな一緒だけど、相手によっては「なぜそんな捉え方をする?」と言わんばかりに誤解をしている人もいるし、自分でもなぜそんなことを言ったのかわからなくなる場面も出てくる。

まだ、相手の気持ちを推しはかることが難しかった頃の私は「自分がして欲しいことを相手に」「自分がしてほしくないことはしない」を基準に行動していた。

世の中にある格言にも一部載っていて、それが正しいやり方だ!と勝手に思っていた。
だけど、人の心は千差万別。誰にもわからないことはあるもので、その人がなにを求めているかなどは、本人に聞かないとわからないことが多い。当たり前の話だ。

そして、トラブルになるのは相手に対してやったことが、相手にとっては余計なお世話という時。
私ならこれが嬉しい、と勝手に決めつけているのだから、何が悪かったかなんて考える余地もない。

言葉がけも同じく。こんなことを言われると嬉しいという基準はあくまでも自分だけのもので、全ての人が嬉しいとは限らない。それはあくまでも多くの意見の中の一つ。

だから、当然トラブルにもなるし、自分がその対象者になる場合もある。

自分がして欲しくないこと、言って欲しくない言葉を投げられ傷ついたという経験も、多くの人が持っているものだと思う。
その場合の多くは「人には絶対しない」と誓う

そして、異常なほどに人を傷つけるということに敏感になる人もいる。
どんな言葉で人が傷つくのかは自分の基準なのに、その基準に全て当てはめようとする。

そして、言葉が出なくなる。

言葉を持つ人間は、案外厄介な動物で、シンプルに考えることができない時もあるらしい。

物事は全て単純明快

言葉を使うものとして、気をつけることは勝手に決めつけることじゃなく、違和感を感じたなら確認すること。

言葉に振り回されている人も冷静になってみたら、目の前で起きていることの違和感が感じられると思う。

何が大事で何が不要か
必要な人、物、事 

自分を大切に扱えないのなら、その場から離れること

まずは自分のことを考える
当たり前のことが当たり前になってなかった

それに気づいたので思いの丈を描いてみた。

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