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『たけしの挑戦状』にみる北野映画のプロトタイプ

(初出:旧ブログ2017/10/02)

 『アウトレイジ 最終章』が楽しみだよコノヤロー。オイラ実はたけしさんの大ファンなんだよね。全作品見てるし、大学の卒業論文も「『アキレスと亀』と『その男、凶暴につき』」がテーマだったくらいだよ。みんながたけしに注目しているタイミングだし、オイラも「たけし論」を今日はやっちゃうよ。

 『たけしの挑戦状』は86年、最初に監督した『その男、凶暴につき』の3年前にたけしがプロデュースしたファミコソフトだ。理不尽なほどの難易度で「伝説のクソゲー」と言われることも多く、「ベロベロに酔った状態のたけしが言ったアイデアもすべてゲームにした」、「攻略本の版元である太田出版にクレームが殺到し、最後のほうは『担当者は過労死した』と対応していた」など様々な都市伝説をも生み出した作品である。クソゲー具合ばかりが注目されるが、のちのちの北野映画に繋がる要素が様々な形で詰まっているように思うので、あらすじを追って検証したい。大まかなあらすじはこうだ。

 ①うだつの上がらない会社員が会社を辞め、妻と離婚する。
 ②カラオケスナックで歌っていたところをヤクザに襲われるが、返り討ちにし、その勇敢さに関心した老人から宝の地図をもらう。
 ③ハングライダーで海を越え、南太平洋の島へ。
 ④島の洞窟で宝を発見、エンディング。

 ①で既にテレビゲームらしからぬ単語が飛び交っているが、ここで退職&離婚をしておかないと、③で海を渡ろうとするまえに上司や妻に連れ戻されてしまう。……確かにゲームクリアの必須条件に”退職”と”離婚”があるとはみんな思わないだろうな…。しかし日常を捨てて南の島へ行くという筋立ては『3-4x10月』、『ソナチネ』と同様である(この2作の後半の舞台は沖縄)。また妻と別れるという点は異なるが「日常からの逃避行」という意味では『HANA-BI』、『Dolls』とも通じる。ちなみに『たけしの挑戦状』のストーリーに直接関係のある女性キャラはこの妻だけであるが、女性があまり登場せず、男性主体のホモ・ソーシャル的環境ものちの北野映画に共通して言えることだろう。

 カラオケスナックで(初期型のファミコンにはマイクが付属していた)歌っているとヤクザが現れ、殴り倒すことで老人から宝の地図が手に入る。暴力、ヤクザという北野映画の核をなす要素ももちろん『たけしの挑戦状』に登場する。このゲームはAボタンで登場するすべてのキャラを殴ることが可能なのだ。北野映画での暴力は常に突発的に発生する。たけしによれば「殴る」と言ってから殴るより、突然殴ったほうが絶対に痛いからだという(この話はビートたけし『頂上対談』の、柳美里との対談に詳しい)。理由もなしに主婦や子供を殴ることが可能な一方、街を歩くヤクザや警察官も主人公に対して理由なしに主人公に殴り掛かってくる。本来暴力を抑止するための存在であるべきの警察官が殴ってくるという点もポイントの1つだ。デビュー作である『その男、凶暴につき』もたけし演じる我妻は警官ながら「凶暴」な男であり、『アウトレイジ』(『…ビヨンド』も)でも小日向文世演じる片岡は暴力団とべったり癒着していた。暴力を止めるべき警察が暴力に加担していることも、北野映画の世界に暴力が根付いている理由の一つだろう。
 
 筆舌しがたいほど難しいハンググライダーと洞窟探検をクリアし、無事宝を発見するとエンディングとなり、ついにたけしの顔が登場する。数多の難関を乗り越えクリアしたプレイヤーに対して「えらいっ」の一言のみ。……これだけでも十分ヒドイがこのまま5分待つとゲーム史に残る伝説の一言をたけしは言い放つ。

 「こんな げーむに まじに なっちゃって どうするの」

………あんまりな言い方である。スタッフロールのスペシャルサンクスに「プレイしてくれたあなた」という旨を書くようなゲームさえあるのに、「まじに なっちゃって どうするの」という、プレイヤーも、ゲームそのものも根底から全てを否定する凄まじい一言だ。しかし「否定」こそ北野映画の真髄なのだ。バイオレンス北野映画の主人公たちは様々な形で死に至り、存在を否定されてきた。『座頭市』でも最強の侠客だったはずの市がラストであっけなく小石につまづき、『アキレスと亀』では芸術を追い求め続けた主人公が、芸術のメタファーである錆びた空き缶を最後に蹴飛ばした。こうしたアイデンティティの「否定」こそ北野映画の締めくくりであり、『たけしの挑戦状』の「全否定」も北野映画の大いなるベースと言えるだろう。

#北野武 #ビートたけし #映画 #ゲーム  

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