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出会った頃の、まだ関係に名前がついてなかった時に戻ろう

付き合って2年半ほど経つ男性を「彼氏」と呼ぶのをやめた。誤解のないように言うけど、これは別れたのともちょっと違う。いや、実際別れてはいるんだけど。

私は、物心ついてからずっとコミュニケーションが苦手だったと思う。特定のコミュニティに、2年以上トラブルなく属したことがほとんどなかった。
自分というものが希薄で、相手の望む自分を演じることばかりだった。私の人生に、私はいなかった。

そんな生活が健康的なわけがなかった。実際これまでの精神的な波は、相手の望む自分を頑張って演じれば演じるほど大きくなっていった。

これは、そんな私が他者と関わる中に私を探し始める話だ。

両親、友人、そして恋人と私

コミュニケーションが苦手と言っても、私はコミュニケーション能力が著しく欠けているわけではないと思う(これを読んでいるリアルな知人には鼻で笑われているかもしれないけど)。
初対面の人と話すのは得意だし、変に疑い深いわけでもない。だけど、関係を継続することが困難だった。

両親との関係

両親との関係は、実は私が悲観しているほど悪いものではないと思う。母はよく私の話を聞いてくれるし、父も私の選択を否定したことがなかった。
なのに、成人しても私の反抗期は終わらず、突然の家出をしたこともあった。

家を飛び出して賃貸契約できるまでの半年間のホームレス生活について書いた記事もあるので、興味があったら見てみてください。これは、囚われすぎていた関係性から全力ダッシュで逃げた時期の記録だ。

両親は、私が生まれ落ちた時からずっと両親だ、と考えてもいいけど、両親と初めて会った時、私は「母と父だ」とは理解していなかったと考えることもできる。
命の成り立ちの話ではなく、関係性の成り立ちとしては、生まれた時からずっと近くで見守って育ててくれた2人の大人を「ママ、パパ」と呼び、親だと認識していった、と試しに言ってみよう。

受験、進学、とライフイベントをこなす中で、両親との関係はどんどんわかりやすい「親子」になっていった。
いつしか私は親だから・親なのに、と不満を勝手に抱き、娘だから・娘らしく、と自分を勝手に追い込んでいった。

両親を人としてまっすぐ素直に見つめたのは、子供の頃に母が仕事の愚痴を漏らした時や、成長期に父と戯れあっていて華奢すぎる背中にびっくりした時くらいだった。ふとした瞬間に「この人も一人の人間なのだ」と思い直すくらいで、私は2人のことを本当の意味では見つめられていなかった。

コミュニケーションではなくロールプレイ(役割演技)

関係の維持が既に苦手だった思春期の私は、嫌われない振る舞いをするために、コミュニケーションではなくロールプレイの技術を身につけていった。
親に対しての自分を努めて演じ、友人に対しての自分を探り探り演じる生活が続いた。

簡単な人間関係ならそれでも上手くいったけれど、そのせいで心を許せる友人も少なかったし、恋人とも長く続くことは少なかった。
自分を押し殺した関係に疲れると、そっとその人の側から離れることを繰り返した。

誰かと真剣に向き合わないことは、自分から目を逸らし続けることでもある。素直なコミュニケーションから逃げ続けて逃げ続けて大人になった私は、いつしか「ロールプレイで他者を理解(誤解)する」作品を作るパフォーマンスアーティストになった。

ここまで役割演技モンスターになったんならもういいか、と昔の私は自虐的に笑っていた。
今思うと失礼すぎて申し訳なくなるけど、誰かの彼女でいる間、私は彼女ごっこをして過ごした。そして相手には彼氏ごっこをし続けることを望んだ。
友達と話している間も、友達ごっこを円滑に続けていくための受け答えをたくさんしてしまった。

作品を発表するときは、本名とは違う「宮森みどり」という名義を立てて、希薄すぎる自分とのバランスをとっていた。
宮森みどりは、本来の私が正しく他者と繋がっていくための仕組みや装置を作るための名義だったのだと今になって思う。
生活の中でロールプレイしかできなかった頃の私と決別して、それを批判的に扱うようになった。

宮森みどりを名乗っている時は、誰かのための私で居なくても良いように思えた。誰にも囚われず、話したい人と話して、言いたいことを言って、作りたいものを作ることができるようになった。

名前のない関係で、相手を見つめたい

人生絶不調の2年半前に付き合い始めた男性を、「彼氏」と呼ぶのをやめた。散々助けてもらっておいて、大事にしてもらっておいて、「もう恋人でいるのをやめよう」なんて言い始めるんだから、本当に私はいい性格してると思う。

どんなふうに思われても、嫌われても、彼氏に押し付けてしまっていた「彼氏の役割」をもうやめて欲しかった。
彼と付き合う前から、私は彼のことが素敵だと思っていた。いい彼氏になってくれそうだから付き合ったわけではないつもりだった。

今これを書きながら、彼に押し付けてきてしまったことの多さに涙と反省が止まらない。

誰かのことを真剣に見つめることから逃げ続けてきたくせに、その寂しさを彼に埋めてもらおうとしていたこと。
「いい彼女ごっこ」なんてしなくても私を見つめ続けてくれた彼に対して、勝手に「いい彼女ごっこ」を続けては、その手応えのなさで怒ってしまったこと。

彼が目の前でどんどん彼らしくなくなっていくのに気がついて、もうこんなことやめないといけないと思った。二度と彼にそんなことをしないようにしなくてはいけないと思った。
役割演技をして他者と接することは、自分を殺すことじゃなくて、相手も殺してしまうことだった。

自分の言葉で誰かを語る

1年前、会社を辞めて学生に戻るために、実家に戻って両親とまた一緒に暮らし始めた。私は、両親との関係を難しく思うのには自分に大きく原因があると考えていた。
なので生活の隠しルールとして、他者に対して両親の話をすることを始めた。

母が、父がどんな人か、これまで言語化することはおろか、考えることも少なかった。いざ「両親の話をする」という隠しルールを施行しても、最初のうちは結構酷いものだったと思う。

だけど1年も続けると、私が両親をどう思っていて、両親が私にどう接してきてくれたかをちゃんと振り返れるようになった。
誰かに話してみると、相手のリアクションに応えるようにどんどん引き出しの奥にしまっていた記憶が蘇った。そうやって、見て見ぬ振りをしてきた両親の人となりを見つめていくことができた。

誰かを素直に見つめる練習

彼に会いに行って、「彼氏」と思うのをやめたいと伝えた。丁寧に、ここに記したようなことを順を追って伝えた。
嫌いになったり、決別のための気持ちじゃないことを、誤解がないように言いたかったから。

彼は、普段の私だけじゃなくて、パフォーマンスアーティストになった宮森みどりのことも好きだと言って笑った。

私が、私のために名乗り始めた「宮森みどり」という自由な器。誰かのためじゃなく、他でもない自分自身として振る舞うために人知れず名乗り始めた名前。それが一生懸命隠してきた他でもない私自身であることを、彼は見抜いていた。

恋人という関係をやめ、彼氏と呼ぶのをやめ、彼女として振る舞うことをやめる。だけど彼が私にとって、特別で大切な人であることに変わりはない。

私たちの関係に名前はもうない。名前がなくても、役割がなくても、実直に眼差し、これからも関わっていけたらと思っている。



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