再び自らの足で歩くために(2022.01.12)

学校ではいじめられ、休み時間のできるだけ全てを、トイレの個室や担任の準備室で過ごした。家では受験が順調なフリをして暖かい家族と過ごした。

それらはその頃の私の居場所の全てだった。

だから、担任や両親に嫌われたり疎まれたりするようなことだけは、絶対にあってはならないことだった。

「何を考えているかわからなくて気持ち悪い」
「お前がいると邪魔」
「いじめても気がつかないからもっとやってもいいんじゃない?」
「ブス、きもい」
「宮◯にはその仕事まだ早いんじゃないですか?」
「宮◯さんは体調管理もままならないので正直一緒に仕事がしたくない」
「非常識」
「メンヘラ」
「言ってることコロコロ変わりすぎ」

社会に出ても、私に聞こえるか聞こえないかの声量で、昔と何も変わらないようなことを言われている。

こんな言葉を浴びながら送る生活は本当に苦痛だった。いつか、みんなと大きく違いのない普通の人間になって、普通の生活を送りたいと心から強く思った。普通の人はあまり事を荒げないことに気がついて、自分の中に湧き上がる不満や蟠りに重たい蓋をした。

私を否定する声がいつも聞こえる気がして、そうすると私は、塞ぎ込んだ気持ちの向こう側でクラスメートが笑い合っているのを羨ましそうに眺める小さな頃の自分に戻ってしまう。

私は彼らみたいに、心から笑い合って人と話がしたかった。

人から間接的に「あの人が嫌ってたよ」と聞かされることもあった。自分に向けられた嫌悪に無自覚だったことへの反省が止まらない夜が何度もあった。夢にまで見た。それまで知り合ったたくさんの人が、代わる代わるわたしの嫌なところを告げて去っていく夢を何度も見る。そんなことを言われる原因を作ってしまったから、これからはそこを正して普通に生きていかなくてはならないと強く思った。

私は、普通であれば居場所ができると思い込み、どうやったら普通を装えるのかをずっとずっと真剣に考えて、ほとんど寝ない日が続くほどに悩んだこともあった。

だから私は、自らが原因であると忘れないように生きてきた。自覚がないとまた同じことを繰り返してしまう。あの頃の、クラスの女子にバイキン扱いされていた頃の私に戻るのはもう嫌だった。「いつかきっと普通になれる。そしたら今聞こえている嫌な言葉たちも、きっと聞こえなくなる。だから今は耐えるべき時なんだ。」

こんなことを思い込み、心が壊れるのに時間はかからなかった。

精神病院へ行くその足取りはいつも重く、心の病院なんてものは大体汚いビルの中に入っているようなもので、そんなところへ二週間に一度赴かなくてはならないのを、本当は煩わしく思っていたような気がする。

会社が休みの土曜日に予約をしてそこへ向かう道の最中、まだ残ったままの金曜日のご機嫌な吐瀉物に遭遇すること。

散歩した犬の糞尿の跡を見つけ、私以外の存在が営む生活があることを実感のないまま知る朝。

病院に付き添ってくれる人が時折視線を私に向けるのを感じながら、自意識過剰と思われないように気がつかないフリをする。

わたしはわたし以外のものをいつも気にしていて、病院の中に入って診察室に入った時でさえ、周りのことを気にしていた。

これまで見てもらった何人かの先生は、いつもわたしが言いたくないようなことを聞き出そうとし、聞きたくない言葉を繰り返し浴びせてきた。そんな中でもわたしは先生の目が気になって、ニコニコして、もう作り慣れた『おっしゃる通りです』と言う表情をかぶる。その顔は私が見つけた数少ない『正解』のうちの一つだった。

『正解』は無駄に長く人生を重ねていると、どんどん増えていった。おいしいものを食べた時の『おいし〜!』の顔と台詞。これは口にしてから態度や言動に出すまでの間次第でいくらでもバリエーションを作れる万能の『正解』。何かしてもらった時の『ありがとうございます!』の顔と台詞。これはしっかり感謝を向けるべき相手の目を真っ直ぐ見ることが重要で、その愚直さはいつも幼さと可愛げを十分に演出してくれる。

そして謝った方がいいタイミングで繰り出す『ごめんなさい』。これは簡単でいい。なんだかわからないけど、コミュニケーションの間で不備が起こったと感じたらすかさずその正解のポーズを取ると、不思議と関係性が悪化しなかった。(しかしこの『正解』は、言われた相手をときたま嫌な気持ちにさせることを、後に知ることになる。)

そんなふうにコミュニケーションの『正解』の教科書をあらかた作りきった。その頃にはもう、身なりや化粧の正解も覚え始め、装いが周囲の人間に発信する「私」と言うものの一部であることにも敏感になって、神経質に洋服を選ぶようになった。

ふと周りを見渡すと、多くはないが友達がいて、彼氏もできた。

気がつくと両親も、「あなたが何を言っているのか、何を言いたいのか理解できない。」とはもう言わなくなっていた。

これが私の、コミュニケーションの始まりだった。

何年もかけて培った私のコミュニケーションの教科書は、私を、ただ同じ反応を返すだけのロボットのようにしてしまった。必死に足掻いて掴んだものはただただ空虚なマニュアルで、私がかつて憧れたコミュニケーションには似ても似つかない代物だった。

私は人の前では、私ですらなくなっていた。私を私たらしめるものは全て、重たい蓋の下に仕舞い込んでしまっていた。一人で考え事をして、読書をして、饒舌に文章を書くときだけ、かつて私だったものが顔を覗かせた。

そして体外的な私のアイデンティティは、”空虚”に最初のピンを打つことになった。

美術の道に進んだ私は、私というこの空虚な体面だけの個体を面白がって、その表面だけを手に取って、自ら進んでモチーフにした。その結果生み出した作品はたくさんの評価をいただいて、立ち寄った人がとてもいい作品だと言って泣いてしまったりすることもあった。

それは、憧れて止まなかった、あのコミュニケーションとどこか似ていた。心から伝えたいことを表したものを、心で受け取ってくれる人がいた。私がずっと伝えたかったことは、発話を通さずに伝わった。それまで重ね続けた虚しいだけの対話の時間の全部がどうでも良くなるくらい、嬉しいことだった。それだけで生きてきてよかったと本気で感じた、人生で初めての瞬間だった。いくつも超えた、のしかかるような重苦しい夜のことなんて忘れてしまうほどだった。

私にとって作品を発表することは、不慣れではあったが立派なコミュニケーションだった。相変わらず空虚な時間を重ねるだけの私だったが、重たい蓋を少しだけ持ち上げ、溢れてしまう部分を言葉以外で表す「制作」と呼ばれる行為は苦しいながらも飽きないし、満たされた。

そうして私のアイデンティティは「表現者」という場所に2つ目のピンを打った。そのピンが外れることのないように、何度も立ち帰った。次は何を作ろう、どうやって伝えよう、とひとりになればすぐに考えるようになった。この杭は、悩んだときや苦しい時、嫌な自分が上手に隠せなくなりそうな時、いつも私を支えてくれた。

そして、マニュアル通りのコミュニケーションは、もう1つだけ私に楽しみをくれた。私はマニュアルを駆使して、相手をもっと知りたいと思っていた。私は元来、人が大好きだったのを知った。

その気持ちを、今日までずっとずっと、心の底から大事にしてきた。

人の経験を引き出し、作品に昇華させてもらうことも増えた。ずっと役立たずのゴミそのものだと思っていたマニュアルは、私を表現者たらしめてくれた。

これまで飲み込んできたいくつもの言葉や思いは、空間に昇華して、見る人にふんわり浴びてもらうくらいが丁度良いのではないか。

それは、ストレートに言葉で伝えるにはあまりに不恰好で、そして一切の誤解を許せなくなってしまうからだった。

表現者であることはモチベーションが続く限り続けていくことに迷いはない。表現者としての私に、手段をくれたあのマニュアルも、今では大切なものになった。

だが、親しい人たちと、もっと発話で"コミュニケーション"を取りたい。自分を殺さずに接したい。そして、私の話も聞いてほしい。知ってほしい。現在の多くの悩みはここにある。

勇気を持って、初めて重たい蓋を開けて、どろっとした液体を掬い上げて「これも私なの」と言った時のことを忘れない。大事な第一回目は大失敗だった。私の告白はその人の中で、「みんなそうだよ」という言葉の中に仕舞われてしまった。そうではなく、今目の前にいる私を見てほしかったな、と思いながら、またマニュアルをめくって貼り付け慣れた笑顔で会話を続けた。その下ではぐしゃぐしゃな顔をしていたんだと思う。

みんなそうかもしれないけど、みんなそれを上手に隠してるのかもしれないけど、わたしは隠すのが下手でたまに失敗してしまう、ということを言おうとしただけだった。でもその場でその話をし続けたら、また居場所をなくすかもしれないと思った。それだけは嫌だった。心の底から怖かった。

マニュアルの中にはしっかりと、人はネガティブな情報よりポジティブな情報を好み、ネガティブな情報よりもポジティブな情報で動く、という情報があった。それを思い出しながら、ひとり眠った。

濁り切った粘り気のあるその気持ちを、私はまだどう爽やかな言葉にしたらいいかを知らない。

嫌だった気持ち、辛かった気持ち、悲しかったこと、死にたいと思った場面。大好きでたまらないもの、絶対に譲れないこだわり、壊せないルール。

どれも私にとっては大事な大事な本質だ。このドロドロだけが、愛しくてたまらない自分だ。これらを優しいトスにして、理解を乞うようなことはできない。したくない。

そんなことをするくらいなら、私の納得する爽やかな言葉を、方法を探すことに時間を費やしたい。大事な人に聞き入れてもらえるような、そんな言葉を。知らない誰かにも目に留めてもらえるような作品を。

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