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月のおまじない。(7)

< 7 >
もう向こうの世界にいくことはないだろう。そう思っていたのぞみに、あるアイデアが浮かんだのは、満月の三日前のことだった。その日、学校で昼休みが終わるチャイムがなった時、のぞみとさとこは教室に向かう二階の階段をかけ上がっていた。はあ、はあ。息を切らしながら校舎に走りこみ、階段を上がっていると、
「いた」
のぞみが転んでしまった。
「大丈夫?」
先に階段を上がっていたさとこが戻ってきて、しゃがんでうずくまるのぞみに声をかけた。
「うん、平気」
 
向こうずねをすりむいてしまった。足にはすり傷ができて、うっすらと血がにじんでいる。
「いたいの、いたいの、とんでけ」
さとこが突然、人差し指をのばした右うでを、力強くふり上げた。
「それ、なつかしい。保育園のとき、田中先生がいつもやってくれたやつ」
涙のにじんだ目で、のぞみは笑った。
「でしょ。意外とおまじないって効果あるよね」
二人は五分おくれで教室にもどった。となりのクラスの先生とおしゃべりしながら担任の先生が現れたのは、それより少し後だった。セーフ、セーフ。ふたりは顔を見合わせた。その時、のぞみは思ったのだ。
(おまじないって、やっぱりいいかも)
 
考えてみたら、自分も月の隕石に向かっておまじないを唱えることで、むこうの世界に行くことになったのだ。おまじないには力がある。何か新しい、元気が出そうなおまじないを考えてみよう。それを小さなのぞみちゃんに教えてあげよう。つらい時、心ぼそい時、おまじないがあれば、きっと勇気もわいてくるはずだ。母親の帰りを待つ日々は、当分のあいだ続くわけだから。
 
20〇〇年、8月20日
その夜、外は雨が降っていた。空は雲におおわれて月は見えない。でも雲の上には、まあるい満月がのぼっているはず。
 
アブラカタブラ オッタマゲ ナンミョー ホケキョー コッペパン
 
おまじないを唱えたのぞみは、布団に入り目をつぶったものの、なかなか寝付けなかった。興奮しすぎているのかも。ゴロゴロと身体の向きをかえる度に、パジャマのポケットにしのばせた月の隕石が足に当たる。のぞみは月の隕石も、小さなのぞみちゃんに手わたそうと考えていた。だって本当は、七歳の誕生日に渡されるべきものだったのだから。のぞみはポケットの上から、手のひらを丸めるようにして石を包み込んだ。手の温かさが隕石に伝わっていくように意識を集中した。そしていつの間にか、眠りに落ちていた。
 
目を開けると、リビングは、いつもの夕方の時間で、のぞみちゃんが一人、テレビを見ているところだった。それにしても…。どうしてこの時間にばかり自分はこっちの世界にやってくるんだろう。もしかすると、ひとりの時間に意味があるのかもしれない。ひとりの時間には、不思議なことが起こるチャンスがあふれているのかもしれない。
 
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
女の子は、とくに驚いたようすもなく、知り合いに挨拶するように朗らかに返事をかえしてきた。
「そうだ、そうだ」
のぞみは、今回の大切な目的を思い出した。あわててポケットに手をあててみた。何も入ってない。どうやら自分のもっている月の隕石は、こっちの世界に持ちこめなかったようだ。のぞみはがっかりした。失敗だったか…。ん、まてよ。もしかすると貴理子が持っているかもしれない。
「ちょっと、待っててね」
テレビの前にすわっている女の子を残し、のぞみは貴理子の部屋に隕石を探しに行った。鏡台のひきだしの中をごそごそ、ごそごそ、かき回す。
「あった」
 
一番下の引き出しの奥に、四角い箱を見つけて、のぞみはホッとした。ところがリビングに持ちかえった黒い箱を見せると、女の子はたちまちけげんな顔になった。
「どこから持ってきたの?」
「え?」
女の子が疑いぶかそうに、こちらを見ている。
「のぞみちゃんのママの引き出しから持ってきたのよ」
女の子は、さらにこわい顔になった。
「じゃあ、ママのものじゃない?」
「ちがうの」
のぞみはゴクンとつばを飲み込んだ。ゆっくり説明しなくちゃ。ここでしくじったら意味がなくなる。
 
「これはね、のぞみちゃんに送られてきた月の隕石なの」
「月の隕石?」
「そう。のぞみちゃんのパパから、七歳の誕生日に送られてきたのよ」
「だって、ゆうれいさん、ママの鏡台の中から取りだしてたじゃない」
やっぱりバレてたか。のぞみはあわてた。
「ママがこっそり隠してたのよ。これは本当に、パパがのぞみちゃんに送ったものなの」
「なんで、そんなことが分かるのよ」
全く信用してくれない。当たり前か。わたしはゆうれいなんだもの。でもゆうれいであることを利用するしか、信じてもらう方法が見つからない。
 
「のぞみちゃん、この前、パパに会ったでしょう?」
「…」
「パパから隕石の話、聞かなかったの?」
「聞かない」
女の子は首をふった。もしかすると、父さんは再会した後で、隕石を送ることを思いついたのかもしれない。それで母さん宛てに送ってきたのかも。短い時間のあいだに、のぞみの頭はフル回転した。こんなに頭を使ったことは、おそらく一度もないくらいに。なんとかのぞみちゃんが、これを素直に受け取ってくれるような説明を考えなくちゃ。
 
「わたしはね、月の妖精なの」
隕石が、満月の夜に生まれたのぞみちゃんへの贈り物であることを、分かりやすく説明するのは本当に大変だった。でも話をしているうちに、のぞみちゃんの表情は少しずつ、少しずつ、ゆるんで行った。
「わたしは、満月の夜に生まれたのね」
「それで、のぞみっていう名前になったのね」
学校で習う勉強と同じように、覚えたことを口に出して頭に刻みつけようとでもするかのような、真剣な目をしていた。
「ゆうれいさんって、月から来た人なの?」
そう言って女の子は、パチパチとまばたきをした。
「えーっと。月から来たわけじゃないけど、パパの願いを届けるために、のぞみちゃんの元に現れたのよ」
女の子は、手わたされた隕石を満足そうになでた。
 
「もうひとつ、今日はのぞみちゃんに大切なことを教えるわ」
「なあに?」
「月のおまじない」
うわあと、女の子の表情が、さらに明るくなった。
「おまじないを唱えるとね、月の神様がのぞみちゃんに力を貸してくれるのよ」
「知りたい」
のぞみは、自分で考えたおまじないを、神妙な顔つきで唱えた。
 
アブラカタブラ ヘノカッパ ヤキメシ ナキムシ サバイバー
 
「え、なあに?もう一回言って」
のぞみが唱えると、女の子も続けて唱える。二人で何度もおまじないをくり返した。
 
アブラカタブラ ヘノカッパ ヤキメシ ナキムシ サバイバー
 
「どう?覚えた?」
「うん。覚えた」
のぞみちゃんは声をほそめて、こう言った。
「わたし、この前もばあちゃんといっしょに秘密のおまじないを考えたの」
「へえ」
「でも、それは秘密だから」
「そう。それなら、内緒にしていなくちゃね」
女の子の表情が、心なしか活気づいたように見えた。一人で留守番している心細さがふきとんでしまったみたいだ。
 
「月の隕石は、もうのぞみちゃんが持っていていいのよ」
「ママに見つかったらどうしよう」
「大丈夫。ママは気づかないから」
「ほんとう?」
「本当よ」
「じゃあ、わたしの机の引き出しにしまっておく」
「それがいいね」
「ゆうれいさん、ありがとう」
女の子が小さな両手で、のぞみの手を握った。小さくて冷たい手だった。ふふふ。わたし、昔の自分と握手してるんだ。のぞみもぎゅっと握りかえした。
「ゆうれいさん、力が強いね。ゆうれいなのに」
「そうでしょう」
二人は笑った。そのうち女の子の笑顔が、すうっと薄くなっていった。
 
気付いたら朝だった。のぞみは夢から自分の部屋に戻っていた。窓の外からさしこむ日の光がまぶしい。雨雲は夜のうちに通りすぎていったようだ。
 
ついさっき、小さなのぞみちゃんと握手をしたばかりだったのに。あの子の目はキラキラしていた。まるで月の光のようだった。のぞみは起き上がり、壁にかけてある鏡に映る自分の顔をみた。髪は相変わらずボサボサだ。ずいぶん長くなってしまった。伸びた髪の奥にある、自分の瞳をじっと見つめてみた。
(わたしの目もキラキラしてる)
 
パジャマのポケットに手をやると、ゴツゴツした月の隕石が触れた。あ~あ。わたしは小さなのぞみちゃんに、むこうの世界で隕石を渡せたのだろうか。分からない。同じ隕石なのだから、むこうの世界のものとこっちの世界のものと、区別がつくはずがない。そう思いながら、のぞみは久しぶりに、机の上に並べてあった正方形の四角い箱を手に取った。パカッとふたを開ける。あれ、何か入ってる。以前は気づかなかった、二つ折りにしたメモ用紙が底のほうに貼りついていた。なんだろう?
 
「月のいんせき 大もりのぞみ」
アブラカタブラ ヘノカッパ ヤキメシ ナキムシ サバイバー
 
「うわああ」
のぞみの顔に喜びがひろがった。
片仮名は下手くそで、字がゆがんでいた。一年生ののぞみの字だ。ちゃんと、むこうの世界の自分に、この隕石を渡せたんだ。そして今、その隕石がわたしの机の上にある。
 
下に降りていくと、貴理子が朝ご飯の支度をしていた。おはようと声をかけると、貴理子はのぞみの方にふり向いて、
「のぞ、誕生日おめでとう」
とニッコリ笑った。のぞみは今日で十一歳になったのだ。
「ありがとう」
「誕生日のケーキ、何がいい?母さん、帰りに買ってくるから」
「おまかせします」
「なんか、大人な返しだねえ」
「まあねえ」
のぞみがおどけて見せると、貴理子も「お任せくださいませ」とポーズをとった。

玄関まで行ってランドセルを背負ったのぞみは、もう一度リビングに引き返してきた。
「どうしたの?忘れ物?」
食器を洗っていた貴理子が、ふり返った。
「わたし、髪の毛、ボサボサ」
「うん。ずいぶん伸びてきたね」
「週末、切りに行こうかな」
「いいよ。いつものお店に予約入れておこうか?」
「ううん。今回は源五郎さんのお店で切ってもらおうかな」
「え?」
貴理子がびっくりしている。別にまだ認めたわけじゃないけど。まずは源五郎さんって人に会ってみなくちゃね。そしていつかきっと、父さんにも会うんだ。

(完)




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