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マフラーを巻いたうさぎ。(1)

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学校からの帰り道、まい子は小さな身体に不釣り合いな大きな荷物を、肩から斜めがけにして図書館の前を通り過ぎようとしていた。冬をつれてくる風は、日増しに冷たくなってきているというのに、まい子の額にはうっすらと汗がにじんでいる。実際のところ、中学一年生の荷物は見た目以上に重たいのだ。

「もう無理、いったん休憩しよ」
図書館の前には小さな広場がある。大きな木の下のこわれかけたベンチに、まい子は荷物をおろした。それから腕を持ちあげてぐるぐると回してみる。ふう。顔をあげると、図書館の中の様子がよく見えた。
(今日もたくさんの人が来てるな)

小さな町の小さな図書館にしては蔵書数が多くて、お年寄りから子どもまで、さまざまな年齢の人が利用しているようだ。自習室は、定期テスト前になると学生たちであふれかえる。今日も入り口付近のテーブル席では、おじいさんたちが数人、新聞を広げたり、分厚い本を静かに読みふけっている。

(あれ?)

テーブルの中に一人だけ、おじいさんじゃない人が混じっている。いや、人ではなさそう。あれは…うさぎ?白い耳のようなものが、時々ピクンとうごいて伸びたり、縮んだりしている。
(まさか、そんなはずはないよね)
まい子は置いていた荷物を肩に背負いなおすと、図書館の入り口めざして歩いて行った。

グワーン。にぶい音がして自動トビラが開く。まい子は足音をしのばせて、そっとテーブル席に近づいた。
(うわ、やっぱりうさぎだ)
おじいさんたちに紛れて、くたびれたチョッキを着たうさぎが、分厚い本をパラパラとめくっていた。首には赤いマフラーを巻いている。

まい子の視線を感じたのか、うさぎが顔をあげた。ふたりの視線がパチパチっとぶつかった。うさぎは「おや」と目を見開き、片手を上げてこっちこっちとまい子に合図した。うさぎはさっと立ち上がると、手招きしながら窓ぎわの席へと歩いていった。

(ど、どうしよう)
まい子はとまどいながらも、恐る恐るついていった。窓ぎわの席だけは人気がない。きっと直射日光が当たるとまぶしいからだろう。
「まあ、すわんなさい」
うさぎは、まるで人間のようにまい子に話しかけた。まい子は、ペコっと軽く頭を下げてから、荷物をテーブルの横に置き、うさぎに向かい合うカタチでいすに腰かけた。

「あんたには、わしの姿が見えるのかね?」
威厳のある品のいい話し方だった。まい子はコクンとうなづいた。
「ほっほっほ」
それを聞くと、うさぎは愉快そうに笑った。
「たまにこういうことがあるんじゃわい」
まい子に見つかったことも、まんざらではないという反応だ。
「あの、あなた、うさぎですか?」
「さよう、わしはうさぎじゃ」
うさぎは、目を細めてまじまじとまい子の顔を見ながら言った。

「あんたはエリーにそっくりじゃな」
「エリー?」
「わしの飼い主だった、女の子じゃ」
うさぎは、歯をむきだしてにっこりほほえんだ。前歯が一本欠けている。よく見ると白い毛も真っ白ではなくて汚れている。人間でいったら一体どのくらいの年齢なのだろう。おじいさん?うさぎのおじいさんってところかな、とまい子は思った。
「エリーも小柄な女の子だった。あんたみたいに制服がぶかぶかで、ちっとも中学生には見えなかったよ」

(へえ、わたしと同じだ)
中学一年生の冬になるというのに、まい子もまだ制服が自分の身体になじんでいないと感じている。
「三年間着るものだし大きめに作ってもらいましょう。そのうち背も伸びるはずよ」
採寸の時、お母さんがそう言ってお店の人に調整してもらった制服は、今もぶかぶかだ。

「大事な調べものがあってな。図書館にくれば分かるかもしれんと思って、このところ毎日通っているんじゃ」
「調べもの、ですか?」
「さよう」
どうやら「さよう」という言葉が、うさぎの口ぐせのようだ。

「何を調べているんですか?」
まい子がたずねると、
「ほっほっほ」
と、うさぎは大きな高笑いをした。
「あんたはまだ子どもじゃ。子どもに助けてもらう必要はない。大丈夫、わし一人で何とかできるから」
うさぎは何を調べているのか、話すつもりはなさそうだ。まい子は少しがっかりした。自分にも手伝えることがあるかもしれないと思って声をかけたのに。うさぎは、その思いを察知したかのように言葉をつづけた。

「今日はこうして人間の子どもとおしゃべりを楽しめただけでも、もうけもんじゃわい。ありがとよ」
そう言うとまい子を残して、うさぎはスタスタと元いた席にもどっていった。まい子が図書館を出て行く時、うさぎはまた顔をあげ、手をひらひらふって挨拶してくれた。

  ******     

(うさぎのおじいさん、今日も調べものしてるのかな)
あれからまい子は、うさぎのことが気になって仕方がない。それにもう一つ、まい子には気になっていることがある。うさぎが首に巻いていた、ボロボロのマフラーだ。

何か新しいことにチャレンジしたいと、まい子は少し前から考えはじめていた。運動も得意じゃないし、絵をみるのは好きだけど不器用だしと、いろいろ理由をつけて、まい子は部活に入っていない。勉強だって授業についていくのがやっとだから、成績は中の下くらいだ。せっかく中学生になったのに小学生の頃と何にも変わっていない気がする。

(編み物、やってみてもいいな)

同じクラスのモモちゃんが、自分で編んだピンク色のマフラーを自慢げにみせてくれた時、まい子も一瞬ときめいた。自分にもできるかもしれない。そんな時に見かけた、あのヨレヨレのマフラー。赤とは呼べないくらい色もくすんでいた。あのうさぎさんに新しいマフラー、プレゼントしちゃおうかな。まい子はそう思ったのだ。

あれ以来、まい子は学校帰りに何度も図書館をのぞいてみた。たまには中に入って歩き回り、うさぎの姿を探してみたこともある。でもまだ再会できていない。
(もう図書館にはこないのかな。調べものが終わってしまったのかな)
まい子は後悔していた。この前会った時、もっと積極的に話しかけたらよかった。こんなに人見知りな性格じゃなかったらなあ。もっと親しくなれてたら、次に会う約束だってできたかもしれないのに。

小さな気がかりはそのままに、時間は日々ゆっくりと確実に過ぎていった。学校では期末テストがあった。まい子は予想通りかんばしくない成績だった。とくに苦手な数学の点数はひどいものだった。
(これを見たら、さすがのお母さんも鬼みたいに怒っちゃうかな)
成績がこれ以上下がったら、塾に通わせるとおどされているのだ。

その日も重たい荷物を肩に背負い、まい子は地面をにらみつけながら図書館の前を歩いていた。
「やあ」
ふいに声をかけられ顔をあげると、うさぎが広場のベンチに座って手をふっているではないか。
「わしのこと、覚えておるかい?」
「はい、もちろん」
まい子の頭から、テストの点数の悪かった苦々しさが一気に吹きとんだ。

「まだ調べ物してるんですか?」
「ほっほっほ」
まい子がたずねると、うさぎは楽しそうに笑った。
「そうなんじゃ。まだうまいこと調べがついてなくての」
うさぎは、頭をぽりぽりかきながら言った。
「すまんかったの、この前は。あんたのことを子ども扱いして。わし一人でなんとかしたいと思っておったからの」
「でも、まだ調べているんですね」
「さよう」
おじいさんは、きっぱりといった。

まい子は大きく息を吸い込んでから、低くて強い声で言ってみた。
「よかったら、わたしにも手伝わせてもらえませんか?」
うさぎが、まい子の目を見つめかえした。しばらくの沈黙が流れた。うさぎの赤い目は少しに濁った色をしていた。声にはハリがあっても、身体にあらわれているものは隠しようもない。本当はけっこう疲れているのかもしれない。
「そうじゃなあ…」
うさぎは、いいともいやだともいわず、空を見上げた。青くすんだ空が二人の上にどこまでも広がっていた。

「わしの大事な人が逝ってしまってな。探そうにも当てがなくて困っているんじゃ」
「それって…」
「エリーじゃ」
死んでしまったエリーの行方を追っているのだとうさぎは言った。さっきまでの陽気な雰囲気はすっかり消え、しょんぼりと肩をおとし、小さな身体をちぢませたうさぎが、ベンチに座っていた。まい子はぎゅっと胸をしめつけられるような気持ちになった。
「わかったわ」
まい子は力強い声でいった。
「わたしもいっしょに手伝うから」
その日二人は、毎週土曜日の午後に図書館で会う約束をした。

  ******     

その晩、まい子はお母さんに聞いてみた。
「ねえ、あたしに編み物できると思う?」
お母さんは夕食の後片付けをしながら、ばかばかしいというジェスチャーをしてみせた。
「できると思えば大抵のことはできるって、母さんいつもいってるでしょ?」
「でもあたしが不器用なこと、お母さんだって知ってるじゃない」
お母さんの肩がピクッとふるえた。
「…ま、器用とはいえないけどさ。練習しているうちに上手になっていくんじゃない」

せっかくだからお父さんに編んであげなさいよ、感激して泣いちゃうかもよとお母さんは言ったけど、まい子はそんなの絶対いやだった。初めて編んだマフラーをあげる相手がお父さんだなんて夢がなさすぎる。いいじゃない、お父さんにはお母さんがいるんだから。
(うさぎさんなら、きっと喜んでくれるんじゃないかな)

(つづく)




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