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転校、イジメ、そして・・・

続きまして三度目の投稿です。始まります(笑)

1970年代後半、晩秋のとある田舎の小学校での出来事。

築ウン十年の木造建築の小学校。廊下はコンクリート。そこを転校間もない私は一人うつ向き気味にトボトボ歩いていた。…すると、突然私の視界に天井が映し出された。と同時に後頭部に痛みが走る。一瞬何が起きたのか分からない。どうやら、向かいから歩いてきたある同級生に、いきなり倒されたようだ。(あとで知ったが、同じ学年のガキ大将的な存在Kであった。)
咄嗟に起き上がろうとすると、仰向けになった私のお腹に馬乗りになっている人がいる。そう、私を倒したKである。そのまま私の左頬をかきむしり何処かへ行ってしまった。あまりの恐怖に痛みもその後の記憶もない。
帰宅し母に診てもらったら「あんた肉までいってるやんか!大丈夫か!?」と驚かれたことを微かに覚えている。(ちなみに頬の傷跡は、完全に消えるまで20数年かかった。)

この日から完全に学校が嫌になるが、登校拒否も出来ず、誰にも悩みを相談することも出来ず、ただひたすら我慢と良い子でいることにエネルギーを費やしていくこととなる。みんなの言うことに逆らわず、良い子でいればイジメられないし、先生や大人にも怒られないと考えた結果である。だか、現実はこの作戦でますます人から舐められていった。結果、小学生時代は、色で表すと黒に近いグレーな期間となった。

小学六年間で体験した主な出来事を、学年別に簡単にまとめます。もしかしたら、記憶違いで多少時期が違うこともあるかもしれませんが、まあそこはご愛敬。

❮一年生❯
春から秋…大きな学校で、友達も多く楽しく過ごす。
転校後の秋から…Kに頬を傷つけられる。
        担任が非常に怖く厳しい女性で萎縮しまくり。
❮二年生❯
担任が新人で優しすぎる女性で、生徒にかなり舐められてた。その為、悪ガキ共のいたずらが酷くなる。当然おとなしい私は的の一人となる。体育の着替え時間はかなりの確率でみんなの前でパンツを脱がされる。何度かパンツ一丁で職員室に逃げ込むも、教師は悪ガキ共をチョッと叱る程度なので、ほとぼりが冷めたらまた狙ってくる。

❮三年生❯
妹が新一年生として入学。
学校のクラブでサッカーを始めるが、やはりここでも嫌味を言われる。実は私は運動神経だけは良かったようで、妬みなどもあったみたいです。

❮四年生❯
同級生数人に押さえられ腕をハサミで切りつけられる。
近所の友達の父親から目をつけられる。なぜか嫌われていた。ある日、使用直後のチェーンソーを足につけられ摩擦熱で火傷させられた。更に、この家の子供達とも遊ぶことを禁止された。


❮五年生❯
正式に親が離婚。
サッカー部も辞める。
父方の祖母癌で亡くなる。

❮六年生❯
この頃からイジメがなくなる。やったーっ!

❮時期は忘れたけど他にあった出来事❯
低学年の一時期なぜか父が一緒に暮らしていたが、ある夜酔っぱらって帰宅した父が台所から包丁を持ち出し、母親を脅し怒鳴るという非常にショッキングな事が起きた。子供部屋でビクビクしてた私と妹のところへ一瞬母親がやって来て「大丈夫やから絶対部屋から出たらアカン!絶対に!」と言った。結果誰も無傷で何もなかったが、メチャクチャ怖かった。
母が、「このことはお爺ちゃんにもお婆ちゃんにも(母方の実家が近かったので)誰にも言うたらアカンよ。」と言ってたが、数ヵ月後私は耐えきれずお婆ちゃんに言ってしまった。どうなったかは知らないが。

平日の午後、借金取りが家に何度か来た。母には「知らない人がお母さんが何処で働いてるか聞いてきても、知らない、と言いなさい。」「会社の電話番号も教えてもらってない、と言いなさい。」など、色々と覚えなければならないことがあった。
玄関先から中々動かない借金取りが来て、野球のバットを手にして妹と部屋の奥で構えてたこともあったなぁ。

辛いことではないけど、ファミコンブーム到来の時期はホントにみんなが羨ましかったです。確か四年生くらいからお小遣いを毎月500円もらってたのが救いで、これを貯めてゲームウォッチを一つだけ買ったことが今でも忘れられない最高の思い出です。1,980円の「影忍者」っての。これ高校生になるまで持ってた(笑)
余談ですが、私が始めてファミコンを手にしたのは、先輩の中古をカセットとまとめて初任給で購入した時です。その頃は既にスーパーファミコンの時代だったと思います。遅っ!(笑)

実は四年生の頃、とある下校時に自殺を決めた瞬間がありました。数日前から手段を色々と考えてました。当時はググるなんてことは当然出来なかったので、何かの雑誌などを立ち読みして楽に死ねる方法を探してました。そして、ガス自殺が一番苦しまずに逝けるということを見つけます。(ホントかどうか分からんし、皆さんもやったらダメよ(笑))
この日は妹より早く帰宅できる日で、母親は当然平日は仕事でいません。絶好のチャンスだったわけです。

しかし、神様は違うチャンスを与えてくれました。普段絶対いるはずのない母親が既に帰宅していたのです。
いつも通り鍵を開けようとすると、既に開いている。「なんで?」と思いながらドアを開けた瞬間…「おかえりぃ🎵」と母の声。「今日は予想外に早よ仕事終わってラッキーやわ」とのこと。私の目に一気に涙が溜まり、溢れかかったのですが、それに気付いた母が「どないした?」と声をかけてきた。私は「死にたい」と言葉を残してすぐに子供部屋に逃げるように入った。
私にとっては本当に奇跡的な出来事で、平日の昼で仕事を終えた母をこの日以外見たことないのです。この日でなければ今、私はいなかったかもしれません。神様は生きるチャンスを与えてくれました。
幸いにもあの日以来、死にたいと思ったことは一度もありません。逃げたいと思うことはたくさんありましたけどね。

今回は長い投稿になってしまい申し訳ありません(汗)お付き合いくださった方ありがとうございます。
覚えてるだけでこんなにあるので、たぶん細かいことも含めるとかなりの出来事があったはずです。「でも安心してください。生きてますよ!(笑)」

ここまでで既に、幾つか疑問など持たれた方がいるかもしれませんね。父の動向とか家賃とか。質問くだされば答えられることはお答えしますし、今後の記事にあげるかもしれません。

年末に向けそろそろ追われてきてます私ですが(笑)、なんとか年内あと2記事はあげたいと思っております!
マイペースで申し訳ないですが、今後もボチボチとお付き合い宜しくお願いいたします。


Don't kill you.Because you can be easy going …

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