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80年代の追憶

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記事一覧

流氷に会いに行った少年

流氷に会いに行った少年

大学1年の終わった春休み。

ふたり部屋の学生寮でルームメイトだったH君が突然失踪した。

「流氷がみたい。」

それが最後の呟きだった。

富山県の小矢部と言う町の出身で、実に実直な男だった。

グリークラブでテノールをやっていて、喉を守るため、必ずタオルを首に巻いて寝ていた。反面、剽軽なところもあって、心を和ましてくれるルームメイトでもあった。

ご両親が藁をもすがる思いで、手がかりを探しに寮

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ジャワの農村での激辛原体験

ジャワの農村での激辛原体験

1983年の夏。

いかにもジャワの少女らしい健康的な褐色の肌とクルクルした丸い目のアニタは涙を流して笑い転げた。

中部ジャワの農村地帯に一泊のホームステイで訪れたぼくに、アニタは悪戯に、

「赤いのは辛いけど青いのは大丈夫よ〜」

と言って青唐辛子を手渡して齧らせた。

あまりの辛さに身をよじらせて悶絶するぼくを見てアニタは笑い転げていたのだ。

ぼくの激辛フードの原体

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「卒業出来ない夢」

卒業出来ない夢を見る。未だにそんな夢を見る。

大学4年の2月だった。
友人ふたりと2週間のアメリカ横断旅行を終えて帰国した。

震災10年近く前の阪急西宮北口駅。

駅前にはまだ小汚い立ち喰い蕎麦屋と学生相手の安い居酒屋と小さなケーキ屋が立ち並ぶばかりだった。

大学の学生寮に向かおうとその駅前で乗り合いバスに乗り込むと寮の後輩がふたりいる。

アメリカの土産話をしてやろうと語りかけるが何故だか

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映画「スティーブ・ジョブズ」を観て思い出したこと

映画「スティーブ・ジョブズ」を観て思い出したこと

パソコンベンチャーに転職したぼくは芸能事務所に入り間違えたのかとホッペをつぬっていた。

20年前の1996年。Windows95発売の翌年だ。

社長はほとんど毎日メディアに囲まれて取材を受けていた。

旧東海道にほど近い北品川の狭い事務所はカメラの照明とフラッシュで昼間から安い風俗店のようだった。

メーカー直販の時代だとメディアは褒めそやした。これからはファブレスの時代だと騒

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ベトナム帰りの友への追悼

89年に「7月4日に生まれて」と言うトム•クルーズがベトナム帰還兵を演じた映画があった。今でも重く深い記憶の残る作品だ。

ちょうどその頃まだ20代の青二才のぼくが米国テキサス州フォートワースの同じ職場で出会ったチャック•サイザーも海兵隊出身のベトナム帰りだった。

話すと普通なのだが、肩幅が広く胸板が厚い厳つい体格とちょっと危ない目つきのオジサンだった。

時折オフィスで大声で奇声を

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プロ雀士M子

あくまでも一般論だが、歳を重ねると共に概ね男はパワーダウンし、女は逆にパワーアップする。

さて、M子はぼくの高校時代の大親友Yの彼女だった。

最近迄はそう思っていたが再会したM子は、「あれはY君が勝手にそう思い込んでいただけやわ」、とぶっきらぼうに言い放った。

おまけにM子は「Y君はKさんが好きやったんやわ。」と言い、「同窓会に全然出て来やへんのんはきっと頭が禿げ上がったんに違い

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関西のコーラと関東のコーラ

「関東のコーラと関西のコーラ」

40数年前の秋の夕暮れ時。

中学に入っても小学生気分がまったく抜けないぼくらは近隣の田園風景の中を自転車で日中さんざん遊び回ってひどく喉が渇いていた。

ヒロマサ君の家は地元の本屋さんだった。ルネ・シマールのサイン入り万年筆がおまけに付いた旺文社の中一時代もヒロマサ君のお父さんが配達してくれた。

その本屋さんの前にあった自販機で瓶のコカ・コーラ

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娚の一生を観て思い出した豊川さんの思い出

学生時代寮生活を送った。

体育会、文科系でも吹奏楽や応援団、詩吟部、ESS、グリークラブといった部活に所属する学生の多い硬派&バンカラ集団だった。

当然ながら楽しい寮生活にも集団生活はややも疲れることはある。

寮の前に甲山の麓に延びる狭い坂道があった。早朝馬術部の学生がトロットで馬を駆るひずめの音が耳に心地良かった。

その坂道を隔てた隣に戦後間もなく建てられた木造の左翼系学生寮

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クワガタ獲りのスタンバイミー

 小4の夏休みのある日。
 今日みたいに茹だるような暑さだった。

 裏山の雑木林へクワガタ採りに友人数人で連れ立って出かけた。

 クワガタ、カブトの棲息にはホットスポットが必ずある。
 その日もぼくらはいつもの目的地を目指していた。
 ところがその木が視界に入ってくる頃、ぼくらはいつもと様子が違うことに気づいた。
 先客がいた。2年先輩のN君とその隣家に住む同級生のI君だった。

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カフェ・ハイチのドライカレーを食す

カフェ・ハイチのドライカレーを食す

 「これ、ドライカレーちゅうやろ!」

 28年前、新宿 HAITI のドライカレーを初めて食べたとき、ドライカレーとはそれまでカレーチャーハンだとばかり思っていた新入社員のぼくはそう叫んでしまった。

 水分が蒸発するまでしっかり炒め込まれたカレールウが、ご飯の上にかっちり塗り固められた一見色気のないドライカレー。
 と思いきや、ドライパセリのグリーンが狂おしくも食欲を誘い、意外性をもっ

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尼崎心中

尼崎心中

 「赤目四十八瀧心中未遂 車谷長吉」
 先日帰省時に行った赤目四十八瀧の写真をFBに上げたところ、Tさんにご紹介頂き本日読了。
 意外に重いテーマの一冊だったが、ふとこんな過去の経験を思い起こさせられた。

 題名は赤目四十八瀧が入ってはいるが、物語の舞台は阪神尼崎。
 阪神尼崎と言うと、関西では「アマ」と呼ばれる少し特別な場所だ。
 学生時代、そのアマの中でもかなりディープな地区の病院で、週

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秋空に消えた恋 `84

 もう9月だ。新学期。
 かつて、ぼくにも後期学期の始まりの頃があった。

 大学の学生寮。
 携帯電話のない時代。部屋の固定電話も自治会寮則で禁止されていた。
 約70名の寮生に緑とピンクの公衆電話がひとつづつあるだけだった。

 夕刻になると、この電話の周りにたむろする連中が必ずいた。
 十円玉数十枚をポケットの中でじゃらじゃら言わせながら、うきうき、ニヤニヤ。
 彼女との長電話のため

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流氷が見たいとHは言った

 大学1年の終わった春休み。
 学生寮でルームメイトだったH君が突然失踪した。
 「流氷がみたい。」
 それが最後の呟きだった。
 富山県の小矢部と言う町の出身で、実に実直な男だった。
 グリークラブでテノールをやっていて、喉を守るため、必ずタオルを首に巻いて寝ていた。反面、剽軽なところもあって、心を和ましてくれるルームメイトでもあった。
 ご両親が藁をもすがる思いで、手がかりを探しに寮においでに

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トイレの神様

 「トイレの神様」

 数十年前。ジャワ島をひとり旅した。
 夕闇迫る古都ジョグジャカルタ。
 バリ・デンパサールからの長距離バスを降り立つが、宿泊先の目星さえつけていない。
 ジェスチャーで意志を伝え、不安いっぱいで飛び乗ったベチャ(三輪型人力車)のおじさんが、ゲストハウスに連れていってくれる。
 食事にもありつき、マンディ(水浴)を済ませ、ジャワコーヒーの沈澱を待ちながら、ロビーでくつろい

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