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アストラット・ジルベルト、ボサノヴァ、ブラジル先住民

ボサノヴァの名曲で、大ヒット曲「イパネマの娘」(1964年)で知られる歌手のアストラット・ジルベルトが5日、亡くなった。1945年にサンバの発祥の地とされるブラジル・バイーア州サルヴァドールで生まれた。サンバは、キリスト教の謝肉祭で黒人奴隷たちが強制移住や労働の嘆きや悲しみを歌い、踊ったのが始まりだった。
 

https://www.youtube.com/watch?v=a8wcZUUXJFs

「ボサノヴァ」とはポルトガル語で「新しい傾向」などの意味で、サンバ音楽にジャズやフランスの印象音楽などの要素が採り入れられて、1950年代に心地よい、洗練されたサウンドをもつ音楽ジャンルとして流行し発展していくことになった。

イパネマはリオデジャネイロの南に位置する海岸で有名な地区だが、「イパネマの娘」の作詞者ヴィニシウス・デ・モラエスには「ヒロシマのバラ(Rosa de Hiroshima)」という作品があり、ネイ・マトグロッソの美しい歌声とともにブラジルでは反戦・反核ソングとして若者たちに広く支持された。

〔ヒロシマのバラ〕
燃えるような紅い薔薇のような傷を負った人たちのことを
忘れてはならない 忘れてはならない
薔薇のことを 薔薇のことを
ヒロシマの薔薇を 語り継がれてゆく薔薇のことを
何もかも無に帰す 愚かなる 放射能の薔薇のことを
(抜粋 http://summereyes1983.blog9.fc2.com/blog-entry-448.html より)

https://www.youtube.com/watch?v=sR1gC4GsFGM

 ヴィニシウス・デ・モラエスは詩人、作家で、作詞・作曲も行い、歌も歌っていた。映画「黒いオルフェ」の脚本も手がけたことがある。

映画「黒いオルフェ」より https://zilge.blogspot.com/2010/09/blog-post.html

 ブラジルでは「イパネマの娘」がヒットした1964年に軍事クーデターが発生し、4月15日にカステロ・ブランコ将軍が大統領になった。左翼勢力を弾圧し、翼賛体制を築き上げるとともに、ラテンアメリカの反共親米の砦となった。「ヒロシマのバラ」がつくられた背景には軍政への反発と、1972年にアングラ・ドス・ヘイスの原子力発電所が建設されたことへの懸念もあった。 ブラジルは他のラテンアメリカ諸国とは異なりポルトガルによって入植された。ポルトガルと先住民との関係は当初友好的なものであったが、木材や砂糖の貿易で利益を得ようとする入植者はすぐに対立や衝突を起こすようになり、沿岸部のトゥピ族はほぼ絶滅状態になったが、その暴力的制圧手法はポルトガルのブラジル支配のモデルになった。ヨーロッパ支配は赤痢、天然痘、インフルエンザ、ペストをもたらし、先住民の人口は激減した。NGO「サバイバル・インターナショナル」によると、ブラジルの先住民人口は現在、1500年の7パーセント未満で、植民地時代以前には最大1、000の異なる部族が存在していたとされているが、現在では推定197の部族しか残っていない。https://www.refworld.org/docid/4954ce5a23.html

 ブラジルでは先住民の文化は滅び、代わってポルトガルのラテン系文化が広まっていった。ブラジルのような砂糖のプランテーションが経営された国では、先住民の減少に代わる労働力としてアフリカの黒人奴隷が強制的に移入され、その過酷な労働を強いられた。奴隷たちはカトリックの信仰を強制されながらも、アフリカの出身地の神を信仰し続けた。教会ではキリストを讃える踊りと見せかけてアフリカのリズムで踊り、それがブラジルのサンバの起源ともなった。

ブラジルの先住民トゥピ族 東洋人のようですね

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