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プーチン大統領が使う「テロ行為」という言葉 ―帝国主義はこの言葉を好んで使ってきた

 ロシアのプーチン大統領は5月30日、モスクワの高層アパートなどへのドローン攻撃をとらえてウクライナによる「テロ行為」だと発言した。言うまでもなくプーチン大統領が行っている戦争自体が大規模な「テロ行為」だ。今年2月末の時点でウクライナの民間人犠牲者は8000人を超えている。どの口が「テロ行為」というのかと思うが、プーチン大統領と敵対する欧米諸国も笑ってはいられない。

 2001年の911の同時多発テロ事件が起きた直後、米国の歌手ピート・シーガーは「悼みと癒しの時(A time to mourn, a time to heal)」という文章を書き、テロ攻撃があった米国も大規模なテロを行ってきたことをあらためて訴えている。シーガーは広島・長崎への原爆投下はテロ行為と述べた(In a sense, bombing Hiroshima and Nagasaki were acts of terrorism.)。広島・長崎は軍事目標ではなく、恐怖で日本を屈服させるためのものだったとシーガーは語っている。

 米国や米軍は長い間テロ行為である戦争を行ってきて、現代はより多くのテロリズム(=戦争)があるとシーガーは語っていた。シーガーによれば、911のようなテロリズムは人々に戦争を止めなければならないことを教え、大規模なテロを受けて平和を愛する人々がこれまで以上に増えていると彼は観察していた。この文章で訴えられているのは、爆弾でテロを抑制しようとすればするほど、テロリズムを増殖することになるというものだった。

 ピート・シーガーの主張はまさに正論と言えるものだが、ウクライナでの戦争を受けて平和を愛する人は増えたと思うが、政治指導者たちはロシアの軍事行動に対して対話の糸口が閉ざされて「目には目を歯には歯を」の発想によって、日本を含めて世界では軍拡が進んでいる。

 「テロ」という言葉は多くの場合、自らの軍事行動や人権侵害を正当化するために都合よく一部の国々、特に軍事力に容易に訴える国によって使われている。特に「テロとの戦い」というスローガンは2001年の米国911同時多発テロ事件以降、頻繁に使われ、ロシアはチェチェン弾圧に、また中国はウイグル人に対する人権抑圧に、さらにイスラエルのネタニヤフ政権はパレスチナ人に対する銃撃や空爆、政治犯の逮捕などを正当化するために使ってきた。

 フランスはアルジェリア独立戦争を担ったFLN(民族解放戦線)をテロ組織と呼び、アルジェリア独立戦争では100万人とも見積もられるアルジェリア人が命を落とした。イギリスは中村屋にインド・カレーを伝えたラース・ビハーリー・ボース(1886~1945年)など反英武装闘争に従事する民族主義者たちを「テロリスト」と形容しながら、イギリスはそのインド支配で350万人のインド人を殺害した。(”Britain is responsible for deaths of 35 million Indians, says acclaimed author Shashi Tharoor,”,INDEPENDENT, Monday 13 March 2017)

中村屋のボースも「テロリスト」だった


 ロシアのウクライナ侵攻後の欧米諸国のロシア非難や対ロシア制裁に「グローバルサウス」と呼ばれる発展途上国が冷めた反応をする要因の一つには軍事力に訴えてきた米国など欧米諸国の姿勢に矛盾を感じていることがある。「グローバルサウス」の国々にとってはプーチン大統領による「テロ行為」云々の発言も奇異に響いていないかもしれない。ロシアへの非難や圧力を正当化し、説得力があるものにするには欧米諸国、特に帝国主義の歴史があり、戦争で他の国や地域を屈服させてきた米国、イギリス、フランスは、戦争に訴えてきた自国の過去を省みる姿勢を明らかにし、またイスラエルによる占領地拡大に沈黙してはならない。

ネルソン・マンデラも「テロリスト」だった


 欧米は他国の主権を侵害するロシアの行為は許容できないとウクライナに対する軍事支援を行っているが、米国のトランプ政権はイスラエルが武力で占領するヨルダン川西岸やゴラン高原にイスラエルの主権を認めた。イスラエルの占領政策と欧米諸国がそれを半ば黙認してきたことがプーチン大統領のウクライナ侵攻のモデルになったことはまぎれもない。

悪しき不誠実な人間の
辿った跡は
地に舞う紙屑のごとく
風に吹き散らされる
悪しき者が墓場から
正義とともに甦ることはない。
良き人の行いは新たな命を得、
悪しき者の行いは滅びるであろう。
「ダビデの詩篇」―ウクライナの国民的詩人タラス・シェフチェンコ(抄)藤井悦子訳

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