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シネイド・オコナーの闘い―極端な愛国主義を嫌い、イスラエルとパレスチナの共存を求めた

 アイルランド出身の歌手シネイド・オコナーが(1966~23年)が7月26日に亡くなった。児童虐待、人種差別、人権、女性差別などについて声を上げ続けた。「Nothing Compares 2 U」は1990年のビルボード・ミュージック・アワードでナーバー・ワン・シングルに選ばれた。

 1990年米国でのコンサートで、米国の国歌が歌われるならば、コンサートを拒否すると言って物議をかもした。米国の国歌はオコナーにとっては受け入れがたい愛国主義の象徴だった。それを聞いたフランク・シナトラは「ぶっ飛ばしてやれ!kick her ass!」と語ったほどだ。

 1992年10月、幼児虐待でローマ教会を激しく非難するようになり、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の写真を破ったこともカトリック教徒などから反発されるようになった。コンサートではブーイングを浴び、ボブ・ディラン30周年ライブではボブ・ディランの「アイ・ビリーブ・イン・ユー」を歌うはずだったが、聴衆からのネガティブな反応を前に代わりにボブ・マーリーの「War(戦争)」を歌った。その時の様子は下のユーチューブにある。

 
 War(ボブ・マーリー)

ある人種が優れていて ほかが劣っているとかいう考え方そのものが
ついに そして永遠に 葬り去られるまで
世界は戦場
市民を等級に分けて差別する国がなくなるまで
肌の色が 目の色と同じように
何の意味をもたなくなるまで
私は戦争と叫ぶ
基本的人権が民族にかかわらず
すべての人に平等に保障されるその日まで
戦いは続いていく
そして人間の悲しい支配欲
そう幼児虐待
この非人間的な隷属が
完全に排除されるまで
世界は戦場

 彼女自身が幼児の時に母親から虐待された経験をもち、「生まれてくるんじゃなかった」と言ったこともあり、13歳の時に家出した。その後万引きで逮捕されたが、8カ月間の収容の中でも暴力を伴う恐ろしい経験をした。18歳の時に母親が交通事故で亡くなり、母親から虐待を受けたという記憶は決して払拭されることはなかった。日々、新聞などで報道される幼児虐待の問題に心を痛め、この問題は彼女の心をとらえて離さなくなっていった。

 非人間的な隷属を嫌うという彼女の考えは当然のように、パレスチナ人の置かれた人権状況や、パレスチナ和平にも向かっていった。イスラエルの極右勢力を嫌い、現在イスラエル・ネタニヤフ政権で国家治安相を務めるイタマル・ベングヴィールへの軽蔑を露わにしていった。2018年にイスラームに改宗した。

シンニード・オコナー◎▲◎蒼い囁き https://aucfree.com/items/n344958080

 パレスチナ問題ではイスラエルと共存を考え、エルサレムはイスラエルとパレスチナの共通の首都となるべきだと訴え、1997年にエルサレムでのコンサートを計画したが、エルサレムはイスラエルの単独支配になるべきと考えるイスラエルの極右は命の安全を保障しないと脅迫してコンサートの実現を妨害した。その中心的役割を担ったのはイタマル・ベングヴィール現国内治安相などで、われわれのせいで彼女は来なくなったと誇り、イスラエル・テルアビブのイギリス大使館に脅迫の文書を送ったが、オコナーはアイルランド人だった。

 オコナーは自分の二人の子どもたち、ミュージシャンなどを危険にさらすわけにはいかないとコンサートをキャンセルしたが、ベングヴィール氏に、子どもを威嚇するような人間に神は報酬をお与えにならない、という公開書簡を送った。しかし、イスラエルのネタニヤフ首相はベングヴィール氏に閣僚のポストを与えている。

 2018年に自らの神学研究の結果、イスラームに改宗せざるを得なかったと語り、コーラン(クルアーン)の朗誦の美しさにも惹かれとも述べている。イスラームの礼拝への呼びかけ(アザーン)は米国のブルースに発展し、またナショナリズムを超え、神の前の平等を特に強調し、子どもの保護を訴えるイスラームはシネイド・オコナーにとって特に魅力がある宗教と感じられたのだろう。

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