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男はつらいよ・寅さん パリでもイスラム世界でも通用する普遍的価値観

23日付の朝日新聞に「『TORA SAN』仏で花と咲く パリ上映会盛況、『家族のつながり』に笑い泣き」という記事が掲載された(編集委員・小泉信一氏の記事)。漫画やハイテク以外の知られざる日本への関心が高まり、その一例が「男はつらいよ」なのだという。2月15日付の「ウェブ論座」でも映画ジャーナリストの林瑞江さんによる記事で「寅さんを通して日本を知った」と語るフランス人もいることを伝えている。小泉氏の記事では、家族の関係を大切にするフランス人の想いが寅さん映画に投影されているのではないかというフランス人のコメントが紹介されている。
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15723708.html?iref=pc_ss_date_article&fbclid=IwAR3ES26ZOUQhLmG4692adnj2bWduFtk2R7u28JJ6kfD_kAtefRoHZ0Fn-08


 寅さん映画で外国が舞台になるのは「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」で、オーストリア・ウィーンが舞台だが、中東に関する言及があるのはわずかに1か所しか記憶にない。

「男はつらいよ」の第10作「寅次郎夢枕」の離婚歴のある美容師・志村千代(八千草薫)が別れて暮らす息子に少しだけ会って帰り、悲しく、寂しい想いをするのだが、その千代を寅さん一家は食事に招待する。

八千草薫さん、きれいでした 「男はつらいよ 寅次郎夢枕」より アマゾンより


 寅さんは、「あのな、お千代坊を、オレがここに連れてきたら『坊や』だとか、『倅(せがれ)』だとか、『息子』そういう類のことはいっさい口にするなよ」とかおばちゃんやさくらに指示する。ところが工場の仕事から帰ってきた博に寅さんとのやりとりは、
寅次郎「ハハ…、なあ、博、今日工場でなんか楽しい話なかったかい?」
博(新聞を広げながら)「別にありませんねぇ…」
寅「なんだよ、おまえ、面白くもなんともない男だなあ、なんかこう、新聞に面白いことでもないか?あったら発表しろよ、え」
博「中近東はだいぶ騒然としてますねぇ」
寅「あ、そうか、そら大変だなー、どうなんだそれで」
博「総領事の子供が誘拐、13歳の少年か…」
寅「13歳の少年?なんだおまえつまんないよ、そんなもん」と焦って新聞を丸めてくしゃくしゃにしてしまう。

 1972年公開だから、騒然としている中近東とはレバノン内戦あたりかと思ってしまうが、寅さん一家の優しさや思いやりがスクリーン全体に染みわたるようなシーンだった。

高木老舗と寅さん 16作 葛飾立志篇 米倉斉加年さん 小林桂樹さん  樫山文枝さんと共に https://www.takagiya.co.jp/torasan2.html


「男はつらいよ」はエジプトのカイロの日本大使館が開催した映画鑑賞会でも大変人気があったという。日本に留学するエジプト人留学生によれば、「男はつらいよ」の上映は日本の地理や自然環境などをエジプト人に紹介するのに大変良い機会となり、そこで日本に興味を持って、日本語を学ぼうと思った人がエジプトでは現れたそうである。

https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bugai/kokugen/nichigen/issue/pdf/6/6-05.pdf?fbclid=IwAR1ySeelcr-bNmk9C4r2BecFjsrvH0D8nyqCWr-DfT4hoWUW4gxrbiZcIMY

 「男はつらいよ」のロケは高知、富山、埼玉県以外の都道府県ではすべて行われた。確かに、外国人が日本各地の風土や習慣を知るよい教材となることだろう。家族の結びつきなど日本人の情愛を外国に知らしめるよい媒体ともなったことと思う。

 マレーシアの映画監督ヤスミン・アハマド氏(1958~2009年)が最も好きな日本映画は「男はつらいよ」だったし、イスラム世界でも受け入れられるのはイスラムの教義にも通じる価値観が映画シリーズの中で表現されていることにも関係しているように思う。イスラム世界もフランスに負けず劣らず家族的な結びつきを大事にし、子沢山の家庭が多いことに容易に気づく。

このセリフ、すべて頭に入っていることに気づいた https://www.suruga-ya.jp/product/detail/892030280

 寅さんの言葉の中に「お天道様は見ているぜ。」(第11作 『寅次郎忘れな草』)があるが、イスラムの考えでは、すべての人間には生まれた時から二人の「書記天使」がついていて、その人の善行と悪行を漏れなく帳簿に記録する。この帳簿が最後の審判の日に各人に手渡され、神によって「決算」される。帳簿から人間の行為が判断され、義の行いをしてきた者は天国に迎えられ、多少の罪は許されるものの、邪まな行為を犯した者は火獄に導かれる。「最後の審判」という考えによって、イスラムは強い「責任」の概念を人々に徹底させることになった。「お天道様は見ているぜ。」はやはりイスラムだけでなく、どの宗教、どの社会にも共通する普遍的な考えだろう。「宗教は問題ではない。善き人生を送るならば神の祝福があるだろう。」―モハメド・アリ(アメリカのボクサー、イスラム神秘主義に帰依した)

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